こんばんは。さら子です。
「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか 」

この深淵なタイトルの絵を、ゴーギャンは2度目のタヒチで描き上げました。
幅3.8mもある大作です。
日本には、2009年に国立近代美術館に来ていました。
日本の絵巻物のように右から左へと、人の一生が展開していきます。
私などにこの絵の解釈ができようもないのですが、
相続や終活のご相談をお受けする身としては、左端の老婆の様子にいたたまれなくなります。

ゴーギャンはこの老女について、
「死を迎えることを甘んじ、諦めている老女」、
そして、「奇妙な白い鳥が、言葉がいかに無力なものであるかということを示している」、
と書き残しています。
ゴーギャンにとって、この時期は(他の時期もだけれど)家庭も破綻させ、経済的にも健康面でも苦悩と絶望に苛まれたころでした。
といえ、まだ49歳。
ここをなんとかのりきって、もっと違った老境にいる老女を描いてほしかった…。
ゴーギャンは、55歳で亡くなります。
さて、絵もさることながら、個人的にはずっと心に残っていたのは、この絵のタイトルです。
「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか。」
この壮大な問いかけに対して、はなはだ小さい話ではあるのですが、
「私の一族はどこから来たのか?」
と、思っていたのです。
そのようなわけで、最近、積年の思いをひとつ実現しました。
母の父方のルーツの地を訪れてみたのです。
半年ほど前に、戸籍の広域交付制度を利用して取った戸籍の束を判読し、家系図を作りましたので、
父方、母方ともに、1800年ごろに先祖が住んでいたところの地番まで判明しています。
父方は、今の場所に数百年ずっと住んでいますが、母の父方は、母の実家の隣県にありました。
父と母と共に訪れてみると、かつて藍で栄えた静かな町でした。
家のあった場所は更地になっていましたが、通りには、屋根に「うだつ」をあげている商家が並び、古くからの面影を残していました。

この街のうだつは、「こて絵」で装飾されているのが特徴で、このお宅も鯉の滝登りがあらわされています。
「うだつの上がらない」という言葉の語源になった、あのうだつです。
屋根に立派なうだつの上がっている家は、繁盛している証ということになります。
かつての庄屋屋敷も保存されていました。

ほのかに藍の色をしています!

母は、子供のころに一度だけ、法事に連れてきてもらったことを覚えていました。
きょうだいが多く、お出かけには一人ずつしか連れてきてもらえなかったので、とてもうれしかったとのこと。
親戚の子たちと一緒にこの坂道を下って、小学校の庭で遊んだことを覚えている、と言っていました。
こちらは帰り路に撮影。

母の父方の本家は、少なくとも江戸時代からは代々この街に住んでいたことになりますが、十年ほど前に更地になったようです。
いまは全国的に、代々の家を「実家じまい」する、その転換期のまっただなかです。
誰も住まなくなった家をどうするか、
実家じまいに頭を悩ませる方は多いと思います。
賃貸や売却、国庫帰属軽度の利用、民間の引き取り会社など、様々な方策を検討することになります。
住むものいない家を管理し続けるのは、費用と労力の面からも並大抵のことではありません。
もとより、気持ちの問題もあります。
私の実家でも、自分の代で家が途絶えるかもしれないことに、父は心を痛めています。
それでも、「我々は何者か」という言葉の中に、家、土地という形あるものを超えて、継承されているなにかがあることもまた、感じ取っていいかのもしれないと思います。
自分のルーツの地を訪れて、家や土地といった形はもうなくなっていても、自分の中に「継承」されている片鱗を知ることができた気がしています。
(私は服の色では紺色が好きなのですが、関係あるかな
)
なにより、80半ばになる母が喜んでくれてよかったです。
(ちなみに父とは、「実家しまわないプロジェクト」発動しています。もう一代継続すべく、挑戦中です。)
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実家じまい、とくに地方の実家や田畑、山林については、長年悩んでいるかたがたいへん多いのですが、よかったら一度ご相談ください
。
行政書士さら法務事務所