八戸に移住して一年半がたった。
不満ばかりだった日々だったが、この環境に慣れてきたのか環境への怒りや不満はほとんど感じなくなった。
ただ、私は東京や長野のお友達や実家の家族と会うのも高額な交通費を払わないといけなくて会うのに遠くて時間もお金もかかるこの土地に一生いないといけないかと思うとそこだけがまだ受け入れられていない。
実家がある長野で暮らせたらどんなにいいだろうって思ってる。
程よく活気づいてきて移住者も多く仕事もある。
やっぱり生まれ育った土地のが愛着があるからだ。
八戸では仕事も条件に合う仕事がなかなかなくて大苦戦。
年齢やスキルが何もない私にはなかなかのハードル。
今、なんとか頑張れてるのは、ひとまずここでできる事をしてそれでも合わなかったら考えてみようと思ってる。
早く仕事がしたい。社会と繋がる事は本当に大事だと思う。そこで自分がどう思うかだ。
八戸にきてよかった事ってなんだろうって思った時、小2の娘がのびのび元気になった事だなって思ってる。
東京の狭いマンションにいた時は、娘と向き合いすぎて、大声で怒鳴って思い通りにさせようとしたり、自分でも精神的に余裕がなかった。
自分でもどうにかしないとって思っても、イライラすると瞬発的に大声で怒るようになってしまってコントロールができなくなっていた。
直後は喉も痛くなるほどだった。
娘は幼稚園に行きたくない、ママがいい。って行き渋ったり、朝、吐き気がするって毎日のように言ってて病院行ったりしたけど、今思えば、私が精神的に追い詰めてたんだと思う。
子どもが子どもらしくいらないなんてどんな育児をしてきたんだろうと自分がバカ親すぎて情けない。のびのび自主性のある子どもにそだって自立させる事が親として幸せな事なのに。
言うことを聞かないとすぐキレてしまうような反応しかできなくなっていた。いっぱいいっぱいだった。
八戸にきて土地に合わなくて、ひどく悩まされていたので、子どもに執着せずにすんだのか、怒る事もだんだんなくなった。(以前は向き合いすぎて本来、そんな事で怒る事じゃない事にも怒っていたんだと思う。)
6年間の育児で体に染み付いてしまったすぐキレてしまうスイッチはそう簡単に治せるはずもなかったのに、今は大声なんて全く出さなくなったし、娘は私の顔色を伺う事なく、気を使う事なくのびのびしている。みていても全然違う。
大きく環境を変えたなかったら、私は変われなかったとおもう。ダメだとわかっているのに、瞬発的にキレてしまうので東京にいる時はどうにもならなかった。何度となくノートに反省したり子育て、毒親野YouTubeを見て治そうと努力もしたけど体が瞬発的に沸点に達してキレてしまう…。
そんな育児をずっとしていたら娘の将来、人間性はどうなってしまっていたんだろうと思う。そんな子育てを大切な時期にしてしまった自分を責めても取り戻せなかっただろうし、1番大切な最愛の娘の人生を台無しにしてしまう所だった。
今、小学2年生。一度も学校休む事なく、行き渋りもなく、自分はなんでこんなに人気なんだろって嬉しそうにお友達との事を話してくれる姿にほんと良かったなって思ってる。
娘は本当に頭もよくて、感性が鋭くて、優しい子。
元気なおてんばむすめだったのに、自我が強くなりだした頃、私がそこを抑えつけてしまった。
東京生活。25年も住んで慣れた土地。楽しくていい所も沢山あった。
でも、仕事もバリバリやったし、もうゆっくり田舎でのびのび子育てしたいという願望が大きくなっていた。
状況が整ってないのに憧れだけで移住してしまった。
東京と田舎の違いの大きさについていけなかった。田舎で18年育ったのだから大丈夫と甘くみていたが、その後の25年で私はすっかり東京の人間になっていた。
今、私が八戸で生活できているは娘がいるから。
しっかりものの娘への依存が大きい私。
いつか巣立ってしまう娘。今からしっかり覚悟し生きていかないといけない。