昭和60(1985)年5月24日 最後の日
五月二十四日
旅に出て十三日最后(*1)の夜をすごし朝五時起床する
五時三十分善光寺本堂に参りに行く
階段を降りると真暗闇の廊下
皆んな南無大師遍照金剛と題目を唱えて行く
本尊の真下に金の握り手有って之をつかむ事で本尊とつながると云う
やっとの想いで出て来る
沢山の人が本堂に集り拝んで永い時間すごす
なんまいだぶなんまいだぶ(*2)と四国の伯母さんと唱えて後で皆んなに笑われる
宿坊に歸り朝食をとりバスで木曽路を通り名古屋に向う
途中、晝食をとる
此處ですヾりを昨日から欲しかったのを買う
名古屋の伯母さん木曽の山あいの駅で降り別れる
高速道路を走って空港に当着し四国の方々石原さんらと別れをおしむ
千才空港(*3)に瀬野君 佐ト君二人車で来ている
おぢゅさん 譜久元夫婦 素子と兄貴の処で夕食御馳走になりやれやれ(*4)という気持ちで寝む
昭和60(1985)年5月25日 帰着
五月二十五日
瀬野君の運転で、五名一緒に送ってもらう
音威子府におぢゅさんを降ろし歌登着わ夕方
士別プリンスホテルで晝食をする
博行が歌登迄お姉等むかえにくる
之で西国三十三ヶ所霊場礼所廻りも終る
合掌
昭和六十年五月西国参り終る
信心の汗光るや
法泉寺
このブログについて。
このブログは、私の祖父、祖母が記した、「西国三十三ヶ所霊場巡拝記」を孫の私が、アメブロが潰れない限り残るであろう、
ブログに未来永劫残すために、記すものである。
このブログでは、「西国三十三ヶ所霊場巡拝記」を基本的には、後ろから、ブログに写していくつもりです。
読みづらいところには、コメントで、注釈をつけますが、基本的には、そのまま写します。