さて、今回は障害について少しだけ話してみよう。
「障害について」というか「障害者について」でもあるのだが、ともかくそういった存在が今回のテーマである。
障害者と表記すると、害の字はよくないから障がい者と表記せよ!という声がどこからともなく聞こえてくる気がするのだ。
では、まずは私なりの障害者と障がい者の違いについて掘り下げてみることにする。
初めに障がい者について。
これは皆が考えているのと同様に、身体、知能、精神のいずれかに障害を持つ者を指す。
次に障害車について。
ポイントとなるのは、障害という単語だ。
障る、害する、ものごとの達成や進行のさまたげとなること、
私にとっての障害、すなわち、私の生活にとって障害となる人間。これを障害者であると認識している。
イメージとしては障害物競走における障害物のようなものだ。
ゴールに向かって走ることへの障害となる物、故に障害物。
これと同様に私にとって障害となる者、故に障害者。
さて、続いて実際にどんな人間がどちらに分類されるのかを話そう。
例えば、電車の中で大声で歌っていたり、停車駅などを読上げている迷惑な人間だ。
あれは、移動中に余計なストレスを受けることになるので障害者だ。
ほかにも、歩きタバコをしている人間、自転車で車道を逆走する人間、暗くなってから電灯や反射板もなしにであるぐ人間など、これらは障害となる者、障害者であると認識している。
これが、私なりの障がい者と障害者の区別である。
しかしながら、自分がどう考えてようが、どんな文字であらわされようが、「しょうがいしゃ」という言葉は差別につながるのだ。
不快に感じたり、差別されていると感じる人もきっと多くいるはずだ。
口は災いの元なのだ
私は、人前でこの言葉を使うことを推奨しない。
S(障害者)にも、S(差別)にも、S(失言)にも気を付けて、他人にとっての障害とならないよう生活を送ろうではないか。
ミサキ