そして、次の段階へ。
願いと現実を、一致させる
の次の段階は、
フィロソフィーと言動を一致させる
これがわたしの次のステップだと思う。
フィロソフィーとは、
自分が生きていく上で大切にしている考え方。
自分だけの生きる指針。
なぜフィロソフィーが重要かと言えば、
自分が今まで生きてきて、
あまりにも思考が、
・誰かが放った言葉
特に親、過去の友人関係、インフルエンサー
の主張するスタンス
に偏りすぎて、
本当は、自分はどう思っている?
どう感じて、どんな考え方を持つに至った?
というところがすっかり欠如していると気づき、
いや、待てよ、、、
それって、
わたし自身が欠如していることと同義
なのではないか、と思ったからだ。![]()
そして当たり前だが、
言動というのは、
その人が普段から何を大切にして生活しているか?
何に重きを置いて生きているか?
というのが如実に現れるものである。
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小学校一年生の娘からこんなことを聞いた。
「給食の時間に、〇〇くんが
わたしの好きなキャラクターを指して、
ばい菌だと言った。
それが私は悲しかった。」
そしてわたしはこう答えた。
「男の子は本当にしょうもないことを言う。
気にしなくていいよ。」
と。
寝る前のほんの数秒の会話。
確かにわたしは、
一日の仕事や家事にようやく終わりが見えかけ、
やっと一人静かな時間が持てるぞ、
もう疲れたから早く寝たい…と思っていた。
だから早く会話を終わらせるために、
誰かが言っていたであろう、
当たり障りのない言葉を、
自分の心で検閲もせずに口走ってしまった。
男の子はみんなしょうもないのか?
その子の名前は【男の子】か?
男の子とひとくくりにした自分に後々腹が立ったし、
気にしなくていいよ。
って言われても気にしなくなるものなら、
この世に悩みなんてなくなっている。
本当は、
「その子は自分の好きなものを悪く言われて嫌な思いをしたことがないのかもしれない。傷ついたことがないから、そう言うことが言えてしまうんだ。
だからあなたは、誰かの好きなものを大切にできる心を持っているんだよ。そして、傷ついて悲しかったけど、その悲しさを感じられる分だけ誰かの悲しさをわかってあげられる強さがあなたにはあるんだよ。」
と、言ってあげたかった。
そして、改めて文章にして、
本当は、わたしはこういフィロソフィーを
持っている人間なんだと気づいた。
自分のことわかっているようで、
全然わかっていない。
自分の考え方なんて、
こうやって文章にしてカタチにして
見えるようにしてあげないと、
自分の心がみえない。
そして、あまりにも今までの自分が
【自分の生き方】に対して
受動的だったと気づく。
自分の人生のハンドルは自分で握りたい。
たとえそれが、
他者から見て異質でも、
自分の生き方を曲げたくはない。
そう感じさせてくれた娘との会話だった。















