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今日はとあるお米農家さんから
お話しを聞かせていただきました。

それを忘れないうちに〜〜

田んぼの数は何十丁とあるらしい…
コシヒカリなんだけど、さらにオリジナルのコシヒカリを育てられているとのこと。

JAのお米と、スーパーのお米と
農家さんから直接買うお米って
なんか違うなぁ〜〜と感じたことないですか?

スーパーのお米はともかく
JAのお米も必ずうまい!といかない謎。
同じお米の年度の違うものを混ぜての販売
同じお米の生産者の違うものを混ぜての販売
などが主な原因だそうです。

ちなみに、今日お話しを伺った田んぼでは
常願寺川のお水を引いているとのこと。
(都会側のお米とはやは味が違うそう)
富山市内に住んでる子どもなら
必ず知っているであろう常願寺川。
そのお水をで育ったお米!!

そんな風に伝えたら
食べてるもののリアリティや感情や体温
感じとりやすくなるかな?と
お話しを聴きながら思いました。






(写真は娘の描いた絵)



春になったら見学に行かせてくださいと
お願いしてきました〜〜。
ちなみに地元の小学生に5年程
田んぼの実習されているそうで
子ども相手は慣れていそうな。
実際に育てるのってたしかに素晴らしい。
でもそれが押し付けの教育になっていたら
ピンとこないよねぇ、といつも思う。
それでもやる意義はあると思う。

本当の「育てる」って日々のこと。
毎日の少しの積み重ねて。
それを想像してほしいなって思います。



ruang こずえ





ちょっと忘れたくない色々を書き留めておきたくてブログ。





今日お風呂に入りながら閃いたブレス。
その名も


「ゲスな自分を取り戻せブレス」


入れた石さんは
・ラブラドライト
・モリオン
・サンストーン
・ガーネット
・トルマリン
・スモーキークォーツ
・サンムーンストーン


もう良い子じゃない自分を取り返そうよ。
良い子じゃなきゃいけない時期は終わった。
ゲスでダメな自分こそ最強の厄除け。
つらくて悲しくて苦しい自分こそ
実は自分に集中してるという矛盾。

ゲスでダメで辛くて痛い自分を思うことは
自分にとっても辛くて痛くてたまらない。
そこと向き合う覚悟はなかなかできないほど
怖いものだと思う。

だからこそ、その手付かずの世界には
可能性もたんまりあって…。

ピンクトルマリンは愛の象徴。
ゲスでダメな自分すらも愛。
ラブラドやサンムーンの浮かび上がるような
光り方は押し込められてきた自分そのもの。

サンストーンは希望の太陽ではなく
悪魔の欲望。
ガーネットは勝利の象徴ではなく
嫉妬の象徴。

そんな自分を取り戻して
本気で向き合ったらどうなるんだろね?








それから小粒っこ。
ネックレスに仕立てます。
超可愛いのに、リリース前なので
人目にあまり触れられないこちらに
載せちゃお。


めーーーーーーっちゃ可愛い
ウォーターメロントルマリン。
もうほとんど憧れの石。

ちなみに、連で仕入れたんですけど
写メのものより色の出方が綺麗な子を…
避けてあります。ふふっ

多分そのうちのどれかは…
私の子になる予定です。ふふっ

ああ楽しみ。






んで、ともかく
ゲスブレス(⇦略し方)があまりにも
自分の中でヒットしまくって
やっべーーーーーってなって
こりゃ今文章化しなきゃだめ!!!と
慌てて書き上げました!




ruang こずえ








子宮委員長はるちゃんの引退最後のDVD…

その上映会を開催します♡






装丁もとっても可愛い♡




「第1回子宮委員長はるちゃんDVD上映会&お茶会」
開催日時
12月22日(土)13:30〜15:30
場所
富山県富山市荒川2-14-15 
カプセルビル 2F
フリースペースLea

※詳細は一番下にあります

○内容
BODY編(さいとうゆりさんとの対談)
※DVD鑑賞の時間は約60分
その後お茶とお菓子をいただきつつ
皆様と感想などをシェアしたいと思います♡






写真にもありますが…
BODY編からスタートするこのDVDは
MONY編
SPRITUAL編
LOVE編
と続いていきます。

BODY編というのは、全ての基本になるもの!そこを無視しては先へは進めないということ。

本来DVD1本には、はるちゃんとの対談が
2人分の約120分入ってます。
お一人分の内容約60分でもなかなかの情報量…
なので、60分ごとに分けることにしました。
情報のインプットをしても
アウトプットが追いつかないと…
かーんたーーーんに忘れてしまうしね💦

なので今回こちらのDVD上映会は
全8回!を予定しております^ ^



それでね、はるちゃんの旦那様
りゅう博士がこのDVDの解説をされてて
もうこれは魔女のDVDだ、と





「性魔術書」♡ですって✨
魔術書というだけでもなにか面白そう…なのに
「性」の魔術書ですよ?!

これは、もう知りたいですよね。笑

あと…個人的に
皆さんとも性のお話ししたいです♡
どんな魔女様と出会えるか今から楽しみに
していますね〜〜!!







☆お申込みはこちら
rum0518@yahoo.co.jp

☆参加費
1700円

☆日時
12月22日(土)13:30〜15:30
(15分前から私はいますが、それ以上前にお越しになるのはお控えくださいませ)

☆場所
富山県富山市荒川2-14-15 
カプセルビル 2F
フリースペースLea

※駐車場などは追ってご連絡します


○ほかの場所での開催要望あれば
お引き受けいたします♡
是非お問い合わせください♡




ruang
spiritual partner
こずえ








「我をなくす」
そのための作法であり
そのための修行。

作法をやや煩雑にすることで
集中する必要が出てくる。
それを切らせば、修行すらできない。

修行には、他者ありきの作法が多い。
あからさまに人に頼らなければ成立しない。
普段、目に入らないからと
意識から随分遠い他者へも
自然と気が向く。

料理人の方が
「私は何も作っていないんですね。
でも市場に行くとつい、自分が選んでる立場だと 
奢ったような気持ちになります」
(作っているのは、農家の方であり、土でありはたまた地球であるという意味)
禅の修行は行動ありきなので
誰もが目の前の世界に取り入れやすいと思う。

そして、定期的にどこかしこで
修行の一環が行われているが
それをやって「スッキリした」だけではなく
その感覚を持ち帰ることも大事だと思った。
今を大切にし、「我をなくし」
他者を思う作法や修行だから。

修行をするメリットをあげるなら
「問答無用で感じることをさせられる」から。
情報や出来事ばかりに目を向けて
なにかをジャッジするばかりで
本来大切にしたいはずの「心」は
わかってるだろう、とか
当たり前だろうと、とかで
二の次三の次にされているように思う。

本来大切にしたい「心」を
感じることは、不安や恐れもあるけれど
向き合うと、心がスーっとなる。

心を感じる時間がなければ
気持ちを表すことへの思考も減る。
感情は誰もが豊かで、幅が広い。
パッと見、語彙力によって
感受性を判断されがちだけれど
大人だって自分の感情を全て表現などできない。
しなきゃいけないのではなく
自分の心と向き合おうという意味で。



禅の教え、私が感じ取ったものの覚書として。








だいぶ、寒くなってきましたね
秋の曇り空から降り注がれる
冷えた雨が好きです

スーパーなんかに行っても
買い物を終え、その冷えた雨を避けるため
小走りに車に駆け寄って行く人を見る方が
その人の家の暖かさを想像します



家は、ホッとできる場所でありたいですよね
でも私の今までの多くはそうではなかったように思います
むしろ、家にいながら「帰りたい」と
涙した記憶もあります
特に思春期の頃に酷かったですね



最近になり、家が以前よりも
過ごしやすさを感じられるようになりました
家の中の雑然さも
父と母との関係に特別な変化や
理解があったからではないです

以前の私であれば
その居心地の悪さから逃れる方法は
「人に頼りたい」がダントツでした
(でも頼れる、都合の良い人もいなかったけど…)

甘えたい、頼りたい、安心したい
ホッとしたい…

ごくごく最近は
そのホッとさせるのは自分なんだな、と思いました。
まず、自分が自分にホッとさせる言葉を
かけれてるかな、てこと。

今日ランチに行きましたが
帰りがけなんだか疲れたな、と思いました。
親しくしている相手でしたが
それでも今日はなにか緊張したり
気をつかったりとしていたのだな、と。

その場の空気に合わせようと
気をつかっていたのだな、と。
そんな自分に気づいたら
「あー頑張ってたんだな」と思うし
頑張ってた自分に気付ければ
それを認めることもできる。
無意識にしていたことも、ちゃんと自分が
自分に評価すれば良いだけ。

そう思ったら
人に頼る発想がますます減るわけで。



それでも誰かに頼りたくなるようなこともあって
ただ、それはもっと「頼る」ことが
明確になってきました。
甘えたいとか、ホッとしたい、同調してほしいではなくなってきた。
今はそのことに少しホッとします。

同調が嬉しい時もあるし
ステキな言葉をかけてもらえたら
また嬉しいわけで
そんな時は感謝をおくれば良くて
自分から求めにいくと
得られなかった時、自分にダメ出しをするような、情けない気持ちになります。


人に安心を求めない
(求めすぎない、でも良い)
自分で自分の頑張りを認める
(そこに価値がある)