懐かしい神社
子供の頃からずっと何かと言えば
旅立さん
と言って常に側にあった神社
父親から、昔川を渡って行く旅の
安全を祈って建てられた
と聞いていたけれど
大人になって改めて由緒を調べてみたら
意外と伊達さん関わっていたのね
由緒(神社庁HPより)
この神社は、白河天皇の永保年間(1081~1083)の創祀といわれ、山城国伏見稲荷神社の御分霊を勧請し稲荷大明神と称する。神社合祀令により明治4年9月保食神社(うけもちじんじゃ)と改称、村社に列する。昭和34年9月旅立稲荷神社と名称を変更する。旅立明神と称することについて、藩祖伊達政宗公が青葉山に城を定め、初めて参勤の際、当時、下河原五軒茶屋といわれた赤壁楼にて休息し、この社に代参を以て道中安全を祈り、日を経て無事に帰着したので神恩に感謝し、直ちに神祇官に奏請して「正一位旅立大明神」を賜り、「旅立明神」の社号を奉ったと伝えられている。爾来、藩主参勤の際には赤壁楼より道中の安全を祈ったといわれている。
独特なお手水
子供の頃は怖くてね
何で狐なんだろうと怖かったけれど
由緒を知ると納得
(神社庁HPより)
すぐ側に広瀬川があり
お祭りの時は堤防から参拝客の中から
同級生を見つけると
いつの間にか同窓会のように
グループが出来上がり
先輩達の顔、後輩達の顔
楽しかったなあ~
そして娘が産まれてからは
一緒にお地蔵さんに健康をお願いして
優しいお顔のお地蔵さんに
娘も喜んでお参りを
嫁ぐ時
旅立つ先が平安でありますように
とお願いしました。
その報告を兼ねて
ん十年振りのお参りでした
赤壁桜の五軒茶屋は憧れのお店でした
御大尽様や経済人
結婚式やらと子供時代には
賑わっていましたが
今はもう有りません😢
時代ですね
伊達政宗さんが伊達者として
秀吉さんに会う時にも
お参りして行ったのかなぁ~とか
イロイロ想像してしまいました。
懐かしき変わらない神社
たびだちさん
娘がたびだちさんに行かないの?
お墓参りの途中に言い出しました
あそこに見えているのに
お参りしないの?
その一言でお参りです
娘よ
素晴らしい
ありがとう
思い出させてくれて