facebookグループ「さがよかとこ」( https://www.facebook.com/groups/saga.facenet )にYou-tube映画「東映 大いなる驀進( https://ja.wikipedia.org/.../%E5%A4%A7%E3%81%84%E3%81%AA... )」というものがあって観てみた。
映画そのものは平凡なものではあったが、撮影時(1950年代後半)の東京駅はじめ色々なところが映像として残っていて、現在と比較すると当たり前の話ながら随分違う。
撮影のほとんどは寝台特急さくら号の中であったが、私も48年前に初めて東京に来た時はこれでやってきた。
学生時代の帰省も殆どこの列車。
なんとも懐かしく・・・
昔から誰とでもすぐに仲良くなれる性格だったので、列車の中で相手の迷惑もあまり考えずに話しかけ、色々な方と出会った。
一番の思い出は夏の帰省の折に女優さんみたいな綺麗な方と出会って夜中まで話し込んだことかなぁ?
大体16時間ほどの所要時間だったと記憶している。
18時過ぎに佐賀駅を出て、翌日10時半ごろ東京駅に着くという感じ?
列車の中はほぼ満席で、映画にもある通り様々な人がそれぞれの目的・・・旅行、ビジネス、引越し、受験など・・・がある中での人間模様があったのではないか、と?
始めて乗車した時はドキドキ感もあったが、慣れてくると翌朝何時までも眠っていられるようにと、三段ベッドで朝になっても片付けられない最上段を予約してのんびり旅をしていた。
夜中は寝台車の狭い通路の簡易椅子に腰かけて真っ暗な窓の外の景色を飽きることなく眺めていた。
映画の中で印象的だったのは・・・
東京長崎間の乗車・特急料金が¥2,980.-だったこと。
台風のなか鉄道帽子の顎紐を掛けていたこと・・・中高時代顎紐付きの帽子をかぶっていたが一度も顎紐を利用したことがない。
代議士秘書が先生のことを「しぇんしぇい」と呼んでいたこと・・・中学校では4つの小学校から生徒が集まったが、郊外の農家の子供たちが「しぇんしぇい」と呼んでちょいと驚いた記憶がある。
東京駅前がすっきりしていて、関東大震災の年に建設された丸ビルの周りに殆ど他のビルがなかった・・・
農村風景だろうか、道路が舗装されていなかった。
1960年の封切映画ということは私が3歳の時だし、私の家の前にも小学校に上がるころまで、馬に荷台をひかせてのんびり歩いていたが・・・
さくら号の食堂料金がビール込み2人分で980円!!
映画の登場したやくざ(チンピラ?)のことを愚連隊と呼んでいた。
多分長崎あたりであろう、海辺の線路沿いの狭い側溝のようなところから釣りをしていた(今だったら通報される!?)
列車の中で所かまわずプカプカと葉巻やたばこを吸っていた。
さくら号を牽引していたのは蒸気機関車C62。
これはまあ、私の高校生の頃は唐津線でも何本か同じようにSLが牽引していたし・・・
などなど映画の内容もさることながら、昔の日本の景色が恰も今昔物語のようで・・・
イマドキはYouTubeをはじめ様々な媒体で映像記録があるが、
昔の映画、或いは写真は、なんとなくノスタルジーを誘う。