こんにちはあ

 

いよいよ梅雨入りが近いんですかね

お天気がすっきりしなくなりましたねえ

6月3日に

皆神神社様にお邪魔したときの写真です

この時は良いお天気でしたねえ

青空が懐かしいっす

 

 

 

岩戸神社様の前の道

ここから歩いて皆神神社様まで歩いて行けるようですね

 

車で狭い道を登っていたら

広い農地があって作業をされているひとも見えて

意外に開けているんだなあとか思っているうちに

突然 皆神神社様の敷地に入っちゃいました

10分弱位だったかな

 

キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!

キタ━━━ヽ(*´Д`)ノ━━━━!!

(ネット死語だそうですね)

 

世界最大最古の皆神山ピラミッド

 

昔からムーとかオカルト的な皆神山の解説には

この看板の写真が必ず添付されていたんですよね

 

オカルト愛好歴うん十年

昔から憧れていたんですよねえ

 

もう50年ぐらい経っているんじゃないかな?

途中書き換えしたのかもだけど

ほんものですよ ほんものですねえ

やっと来たんだあ

感激したなあ

 

今はネットで全文書き起こしが読めるんですけど

コピペは止めときますねw

 

トンでもな内容にはついていけないけど

宇宙と繋がっているんですよ~

ここはw

ロマンだなあ

 

世界最大最古の皆神山ピラミッド

で ある


やっぱり ちょっとはコピペしたいw


皆神山の造山方法は

エジプトのピラミッドのように人の労力ではなく

初歩的な重力制御技法により オイオイ サッソク ツイテイケナイッス

 

(そーいえばエジプトのピラミッドやチベット神殿とかでは

笛を吹いて巨石を空中に浮かべて造ったとかの説が

最近割とマジで言われ始めてんだよなあ

ピラミッド墳墓説もほぼ否定されているし

海外の方が遅れているよなあ)ウ~ムム

 

当時長野盆地が遊水湖沼となっており

その岸のゴロタ石等堆積土砂石を浮遊させ

空間移動させるといったダイナミックな方法でした

従って現在でも皆神山山塊だけが

非常に軽く負の重力異常塊となっています


この皆神山の盛土的山塊が自重により電磁波が生じ

この磁力と重力制御(反重力)により デター ハンジュウリョク

物体が垂直に離着陸するようになったのです

古文書に出てくる天の羅摩船(アマノカガミブネ)

天鳥船(あめのとりふね)等がこの飛行体です

皆神山は遡っての縄文時代や

エジプトインダス黄河シュメール各文明よりずっと古い

今から2~3万年前の超太古とのいうべき

遠い旧石器の時代に造られました
皆神山を造った人間は

須左之男命(自然主義的な科学技術者集団の総称)で

現代科学とは全く異質で

はるかに優れた高い知的能力をもつ人類でした

(旧人ネアンデルタール人系)


神社などが祭られたのはあくまでも近代の話

皆神山は墳墓ではなく

超太古の時代の古代に造られたピラミッド

地球上の各地や宇宙空間への航空基地として造られたのです

現存する古代の超オーバーテクノロジーの証なのである


このように皆神山は神々が活躍した基地であり

宇宙船で現われたり姿を消したりしたので

人たちは神聖な山 として崇め後世に伝えたものです


原文は山田久延彦氏の

「新説・古事記」から基づく記述らしいんですが

堂々と言い切っているのが最高ですねえ

数十年間

設置を許している神社さんも好いですねえ
 

こちらはまともな案内板ですね


皆神山は今から35万年前に堆積作用が進行していた

長野盆地の一隅に噴出した輝石安山岩の火山である

この溶岩は粘り気が強く流れにくいマグマが地表に上がってきて

冷えて固まって丸みを帯びた山頂と急傾斜の斜面をもつ溶岩ドームとなった

中央部のくぼみは噴出した溶岩が地下に逆戻りしたことを示している

この山の安山岩は見た目で鉄分の多い赤石と少ない青石の二種があって

豊栄や松代町の石仏墓石に多用され松代城の石垣にも使用されている

 

やっと現実世界に戻れて

すっきりはするけど

オカルト看板の方が楽しいよねえw

 

 

車を降りて参拝の準備をしていたら

トイレ清掃に来られた地元の女性が来たんで

会釈をしたら

東京から来たの~って声を掛けて頂きました

はあ~いって

返しただけだったけだったんですねえ

 

今思うと

勿体なかったなあ

せっかく声を掛けて頂いたんだから

神社の情報とかいろいろ

怪しい見どころとか

聞けばよかったのになあ

けっこう舞い上がってたんですかねw

 

普段無人の神社ばかりで

地元の人たちの話が聞けなくって

残念とか思っていたのにねえ

とっさの事態だったとはいえ

こういうチャンスを生かせないのは

相変わらずへたれだなあ

 

事前のサーチでは

境内に三か所の謎の井戸があるけど

見逃しやすいとかで

頑張ってコンプリートしなくちゃとか思っていたのに

駐車場にいきなり在るとわね

拍子抜けしましたねえ

 

写真を撮ったりするうちに

K君はさっさと随身門を潜って先に行っちゃってました

相変わらず速いなあ

蛇というか龍というのか

珍しい注連縄ですねえ

 

扁額の みなかみさんは

みなかみやま じゃなくって

お寺の山門によくある山の名前なんですね

こちらは昔からの修験のお寺の名残だそうです

 

向かって左側の右大神の像


向かって右側人の好さそうな左大神の像

 

隋神門の境内側のスペースに

ポツンと置かれていましたよ

 

とりあえず撮っといたんですね

 

う~んなになに・・

文化14年およそ160年前に再建・・・

調べてみたら文化14年は西暦1817年みたいで

今年からは207年前になるよなあ

ずいぶん適当だなあと思って

よく見たら

最後にこの板の製作年が昭和54年てあったから

1979年からだと

45年前で合ってはいるのかあ

そんんなに古かったんだ この板

新しっぽかったんだけど

墨文字って凄いんだねえ

 

昭和54年なんてちょっと前だと思ったジジイでしたあw

 

山門について

この門は仁王門として仁王様が
祀られていましたが

明治初期の神仏分離に伴い本来の神社に戻り

仁王様は取り去られ

右大臣左大臣の随身様を祀り

現在に至ります

当時の仁王様は長野市善道寺の仁王門に祀られています
皆神山の奉額は真田藩主六代幸弘公の筆によるものです

 

隋神門をくぐったら小さな池がありました

写真を撮り忘れたけど

 

クロサンショウウオの産卵池との看板がありました

市天然記念物

「クロサンショウウオは標高の高い池に生息していますが

松代のような標高の低い土地にいるのは珍しく

分布上貴重な存在とされています

きれいな自然水でないと生息できない」とか

 

こんな独立峰みたいな山の池にいるなんて

不思議だねえ

大昔

誰かがペットのつもりで放流とかしたのかもね

 

水も流れていないし

濁った水溜まりとしか思えなかったしなあ

ほんとにそんな希少生物が住んでいるのかねえ

 

調べてみたら

普段は地上生活をしていて

産卵期だけ水中でするらしいんで

いつも泳いでいる訳じゃないのね

 

時々子供たちと

観察会とかが行われているようで

今でも住んでいるんでしょうねえ

 

3か所の小さな池ですが

水深が深く底なし沼であるとの伝承があるらしい

奥に小さな弁天神社が見えますね

 

事前サーチでは河童の置物を見かけたんだけど

見つけられなかったなあ

 

それよりも

山の頂上付近に池があるというのが

皆神山の不思議のひとつとしてあったね

確かに流れ込む水路もないし

地下からの湧き水か雨水しか水源はないよね

スカスカな軽石状の石で出来た

浸透性が高い溶岩ドームの山なのにねえ

 

位山の天の泉の湧き水も頂上から30m位は下がっていたから

普通な湧き水だったけど

地下水が上に浮き上がってきているかもの

こちらの方が珍しいかもね

 

神門をくぐると真っ直ぐな参道の先に

侍従神社(ジジュウジンジャ)が見えてきました

 

今回

皆神神社様のブログ記事を書き始めてから

ネット検索をしてたら

出て来る出てくるw

 

歴史の研究をされている方から

オカルトスピリチュアル系の方々の

考察記事がいっぱい出て来まして

つい面白くなって

読みふけっちゃいましたあ

さすが全国区のオカルト神社様ですねえ

 

さて

どうしたもんだか

三分位 考えた結果

鶏頭のあたしにゃ

歴史的なことや不思議なことが面白すぎて

取りまとめられないなあと思いまして

 

こちら様

面白すぎですねえ

キリが無いです

 

以下

公式情報以外は

参拝させて頂いた現地で感じた

個人的なことだけを書いていくことにしました

 

侍従大神社様

児育て・寿命・火防の神として信仰される

 

正式には

熊野出速雄神社 摂社 侍従大神社拝殿だそうです
皆神神社の境内には皆神神社という神社は無く

たくさんの神社が集まって皆神神社と呼ばれています
摂社なのに侍従神社が一番大きく立派なので

奥にある主祭神と間違えて帰る参拝客が多いとか

侍従大神(じじゅうおおかみ)は

佐久の内山城主内山美濃守満久の三男下野守三郎満顕で

13歳にして鞍馬山に入り密教を厳修

その後各霊山を巡り

内山氏滅亡のとき皆神山に入山

大日寺和合院宥賢と称した

後に侍従天狗坊と名乗り皆神山の修験を完成させた

北は戸隠、南は皆神山と修験道で長い間栄えた

明治初期の神仏分離令後

山伏は全部が還俗

出速雄命と熊野の神を熊野出速雄神社とし

侍従坊は侍従大神と奉斎した
 

ほうほう とうとう来たね(にゃw)

 

無人なので

拝殿前にお札 御守 御朱印 おみくじが

並べられていました

お札と御朱印を頂いてきましたよ

 

日付入れてなかったあ

 

こっまいぬさあ~ん

こんちはあ~

岡崎型さんですねえ

かっこいいよお~

 

弘化三年(1846)現社殿竣工

愛されているんでしょうねえ

奉納額がいっぱい掲げられていました

 

静かで気持ちがよかったなあ

まねきにゃんがかわいいね

 

やっぱり竜神様だろうなあ

生きておられるようだね

 

龍に乗って笛を吹く琴を弾く仙人かな

よくできてますねえ

オリジナル画像を拡大したら

二匹の龍にそれぞれ乗っていたんだね

亀もいっぱいいるし

撮っといてよかったわ

 

皆神神社境内の摂社・末社

 

調べていたら

ある著名なお方が
皆神山には 空間 地面

至るところに結界がはりめぐらされているようだと

敏感な人や体力の弱っている時など

やられるから注意しましょうとか読んだんですけど

 

気持ちが清々しくなった境内だったとしかw

こーゆーときは

何も感じないぼんくらで好かったなあw

 

そーいえば

蚊に刺されなかったなあ

うっとうしい虫も居なかったし

好い境内でしたね

 

熊野出速雄神社本殿

拝殿前に小社と狛犬さん

変わった石碑とか いろいろあったんですね

写真は次回にアップしますね

 


この熊野出速雄神社本殿が皆神神社の本社に相当すると言われており

御社殿は慶応元年(1389)の再建とも伝えられる

 

侍従大神社に比べると

質素な雰囲気ですねえ

侍従大神社様とは

違った感じで好い気持ちになりましたよ

 

奥まで行ってきたK君とすれ違ったんで

急がなきゃって

ご挨拶の後

急いで撮影だけしてお暇しましたあ

 

 

御祭神
出速雄命(イズハヤオノミコト)
天下の泰平と五穀豊穣をもたらす神として崇敬され
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
伊邪那美命(いざなみのみこと)
豫母都事解男命(よもつことさかのおのみこと)
脇座に舒明天皇(じょめいてんのう)

古人大兄皇子(ふるひとおおえのおうじ)


奈良時代養老2年(718)出速雄神社を奉祀と伝えられる

今から約1300年前に御神明を奉祀

祈りと信仰の山として

霊験あらたかなりといわれる皆神山に鎮座する熊野出速雄神社は

「皆神神社」と尊称され、広く崇敬されている

 

出速雄命は諏訪大神の三男とされているとかで

大国主命のお孫さんてことかな

「速」がついているってことは

ニギハヤヒと関係しているかもね

 

 

神紋は十六菊と五七桐がいっぱいありましたねえ

HPのトップにも出てたし

御皇室にゆかりがあるのかな

 

お詣りのご挨拶をしてたら

ドコドコ ドカドカ バッキ バキ~とか

大きい音が続いていたんで

奥で誰かが作業でもしているのかと思って

奥まで見ても 誰も居ないんですよねえ

大型の猫位のが床下だか天井を駆けまわっていたみたい

ネズミにしちゃ音が大きいし

たぬきかイタチかなあ

下殿しても騒いでいたね

 

 

 

拝殿狛犬さん

トリミングして拡大したから

ボケボケだけど

かわいいからアップしましょう

 

 

 

少名彦命を祀る嘉佐八郎社です

 

 

松の木と雷鳥さんかな?

最初赤貝かと思ったが・・・松でいいよね

少名彦さんだったから

ここ2ヵ月程くるぶしが痛くて困ってたんだけど

治るようにお願いすればよかったかも

普通のご挨拶しかしなかったからなあ

でも帰ってきたら痛みが少し減ってはいるんだよね

 

 

珍しい両部鳥居と

富士山三国第一の扁額

 

新しそうだなあと思ったら

近年奉納されたようですね

これと同じ装飾の扁額を各社殿に奉納している

グループがあるみたい

 

真北に向っている参道

富士山の女神木花咲耶姫命を祀る富士浅間神社でした
この先が神社の境内のある中の峰の最高地点みたいですね

この参道は真北に向っていましたね

 

写真の枚数が多いんで次回に続きます

いろいろありましたよお~ww

 

長々と失礼しましたm(__)m