こんにちはあ

今日もパソコンは元気です

そのまま続けよっと

 

諏訪の旅記事も最後になりました

5月17日の続きです

 

前宮様をお暇した後 五分程で神長官守矢史料館に着きました

上社本宮様から前宮様に繋がる県道 岡谷茅野線

国道152号線の途中に入り口があるんで

本宮様の次に寄ったんですけど

なんと TVの撮影をしていて

ご協力をお願いとか言う邪魔だオーラを感じたんで

そんなのに 付き合う気も無くて 一旦出て

前宮様の参拝をしていたんですね

時間も経ったんで もういいかと

再び戻ってきました

撮影隊は奥にある藤森照信氏の作品の方にいるようで

まああ~いいかと 先ずは参拝をさせて頂きました

 

最近では尾瀬沼で撮影のため登山者を停め

ネットで炎上した某局が話題でしたけど

旅先とかでTV撮影に出会うと 

運が悪いというか ほんといやですねえ

 

資料によりますと

神長官守矢(じんちょうかんもりや)史料館は

守矢家の敷地内にあって

守矢家が代々一子相伝の口伝によりに残された話を書き置いた

古くからの文書を保管・公開する市営の博物館になります


出雲に国譲り神話があるように
諏訪にも地元神 洩矢ノ神が
建御名方命に国を譲った神話があります

神長官 守矢家は、古代から明治時代の初めまで

諏訪大社上社の神長官という役職を勤めてきた家で

大祝(おおほうり)諏訪氏は現代神(あらひとかみ 生き神)であって

実際に神事を取り仕切っていたのが神長官でした


 建御名方命が諏訪に侵攻して以来

子孫に続く 諏訪氏が大祝という

生き神の位に就き

洩矢神(もりやのかみ)の子孫の守矢氏が神長官という

諏訪大社 筆頭神官の位に就いたのです


神降ろしの力や呪術によって神の声を聴いたり

神に願いごとをする力は神長のみが持つとされており

諏訪の信仰と政治の実権は守矢が持ちつづけて
諏訪の地は、大祝と神長による二人体制で

信仰と政治の一体化した諏訪祭政体として古代中世と続き

神職の世襲が禁止となった明治初期まで続きました

と書いてあります

 

御頭 御社宮司総社

ご祭神は元々の 御左口神に
建御名方命の御子神が合祀されていると書かれていました
右側に稲荷社と天神社が並んでいます

守屋山に繋がる谷が扇状地のように広がる傾斜地です

守屋山が見えるのかは分かりませんけど

地図を見ただけだと ピークは見えないかもね?

 

いつ伺っても明るく 気持ちの好いところですねえ
 

社の後ろの大きな木はカヤの木です

 

お詣りをさせて頂きました

お賽銭がけっこういっぱい

 

お稲荷さんと天神社様

 

御左口神社 御社宮司 ミシャグチ神 みさく神と

呼び名はいろいろみたいですね

以前調べたら ミシャグチ信仰は関東地方で広まり

石神井公園とか石神井川の語源に繋がるんだとか

 

社殿の右奥には大祝 諏訪氏家の墓地群があります
奥に行くと藤森照信氏作「空飛ぶ泥舟」と言う茶室の他に

氏の茶室作品が数点あります

TVの撮影がまだ そちらで していたようですね

だからという訳では無いんですけど 今回は共に行きませんでした

また社殿の裏にはパワースポットで有名な磐座のような石が
あるらしいんですが今回も忘れていて 確認できませんでした

横は通ったはずなんですが気付きもしなかったなあw

 

御社宮司総社様の左手奥

かなりな斜面の上に玄室が見えています

 

神長官裏古墳
7世紀中頃の古墳 東西径9.5m南北径9mで

当初はさらに大きい円墳であったと考えられる

1924年(大正13年)の調査時に木棺破片 直刀 小刀子等が出土し

平安時代以降の土器片(後世の奉斎品か)が出土

埋葬者は不明

 

守矢氏の家伝では

丁未の乱の後に諏訪に逃亡して守矢氏に養子入りした

物部守屋の 次男・武麿の墓とされています

 

以前こちらで購入した書籍には

物部氏一族の末裔が守屋山の麓 諏訪の反対側に住み始めた理由が

元々 守矢家から物部氏に嫁いだ嫁の関係で

実家に近い諏訪を頼ってきたとか書いてあった気が・・・

今 諏訪の資料は知人に貸していたんで確認出来ないんですけどね

 

玄室の上に盛り土があった訳だから

かなり大きな古墳だったんでしょうねえ

 

アメブロ内で古墳を探求されている方のブログ記事を

いつも興味深く楽しませて頂いているんですけど

こちらは 本物の古墳なんだけど なんか 

あっけらかんとしてて深みが無かったなあw

 

こちらが史料館です 

鎌倉時代より守矢家で伝えてきた守矢文書を保管・公開する史料館です

 独特な造りになっていて

御柱のような四本の柱が入口に突き刺さっています

先端に鉄の鋸が刺さってます なぜかイチイの木なんだとか

高名な建築学者 藤森照信氏が設計に携わったとかで
以前来た時には建築系学生さん達の研修に出会ったんで

建築学方面では展示品よりも建物で有名なんでしょうねえ
 

 

館内に入るといきなり凄いモノが

御頭祭復元展示だとか

15頭の鹿の首と10頭の猪の首が壁に一面に

 

以前来た時とあまり変わってないようなんで

展示品の解説は過去に書いたブログからコピペしてきました

もう4年も前で驚きましたあ 一昨年位の記憶だったんで

月日が経つのは早いんですねえw

 

神長官守矢家は現在七八代目ですが
明治初期七六代目で 一子相伝の口伝が途絶え
現在では一部のことしか伝わっていないようです
天命4年(1784)御頭祭を見聞した
菅江真澄のスケッチがあったので
この貴重な儀式が再現できましたと
館長さんに伺いました

 

耳裂鹿 

神前に献ずる生贄の75頭の鹿の首の中には
必ず耳の裂けたものが混じり
これは神の矛にかかったと言われています

諏訪大社七不思議の一つです

 

あれ?昨年の位山で出てきた仔もそうかなw

耳さけの鹿ってけっこう普通なのかな?

あっ この仔はカモシカ君だったか

 

 諏訪には縄文時代から続いたであろう
生贄の風習が残っていたようですね
天孫系の穀物を主としてお供えするのとは ちょいと違いますねえ

右から 兎皮を焼いたもの 兎串刺し 猪の頭皮焼き 鹿皮焼き

 

三宝に盛られた 食品サンプル?
右 脳和(のうあえ)鹿の肉と脳のあえもの
中 生鹿 生鹿肉を煮て味付けしたもの
左 生兎 生兎肉を煮て味付けしたもの
 

今回新たにあったパネル展示の写真

現在の御頭祭 酉の祭りの饗膳だそうです

 

サナギ鈴(レプリカ)
室町初期に使われた記録があり
守矢家のミシャグチ神三つの神器とされている大切な品です
袋の中には17~8センチの
薄い金属を筒状にまいた鉄鐸(鈴)が6本入っているようです
ミシャグチ神を降ろす時や
ミシャグチ神の前で うけい や誓約の時に鳴らし
その約束に違約がおきたならば
ミシャグチ神のたたりがあると信じられていたようです
武田家との契約時にも使われたとか

 

生贄を刺したと言われる贄柱(ミニチュア)と枝 サナギ鈴

これがかなり大事な再現かも

 

こちらのエントランスの奥の常設展示室は残念ながら撮影禁止ですが

主に古文書の展示になっています

前回は「鹿食免」のお札や武田家関連の古文書が多かったんですけど

今回は時節柄 御柱関連の写真と古文書が多かったですね

 

※鹿食免(かじきめん)江戸時代肉食禁止の頃 

諏訪藩内では祭祀のため肉を食べても とがめないとの

幕府発行の免許で 諏訪藩発行の鹿食免を持っていれば

肉食OKになるからと全国的に重宝されたとかです(確か?)

 

以前に入館した時には館長さんが

長時間いろいろな説明をして下さったんで

今回は午前中に行って来た阿久遺跡の跡のお話なんかを

聞きたかったんですけどねえ

例のTV関係者の対応とか入館者も次々訪れたりで

お忙しそうで

お話を伺えなかったのが残念でしたねえ

 

毎回お土産としてこちらで書籍を購入しているんですが

今回はまだ持っていなかった

「茅野市の中世遺跡」という企画展の資料本を購入しました

帰宅後見たら神長官邸遺跡調査記録や

守屋山麓の調査記録が入っていました

中世というだけに13世紀~15世紀の遺構でして

紀元前からこの地では発掘に値する人々が住み続けていたんですねえ

 

まだ時間が早かったんで物部守屋神社様にも寄ろうかと思ったけど

やっぱり朝から何も食べてないんで

おなかぺこぺこ くじけましたw

 

高速インターに入る前にちゃんとした お蕎麦屋さんにでもと思いながらも

時間的に開いてなかったり車を停めにくかったりで

毎度の原パーキングエリアで 早めの夕ご飯

身体が火照っていたんで 冷たいお蕎麦しかないなあと

券売機を探しても もり蕎麦系が見つから無くて

カミさんがコレじゃね?っていうんで

素直に それをポチリ

 

冷やし温玉そばだったのかな・・・

いやあ~外してしまったなあ

なにこれ?ウズラの卵?みたいな小さな温玉が・・・

たしかに 入ってたんだけど

 

ともかく 揚げ玉が旨くなかったんですよねえ

何も入らない冷やしかけ蕎麦を発見すればよかったって大後悔w

山賊焼きとコロッケは美味しかったんだけどなあ

いつもは温かいお蕎麦に大満足していたんですけどねえ

でも ここは

午前中にいった阿久遺跡のすぐそばだったとは

またまた いらん知識が増えてしまったw

 

食後は夕暮れの南アルプスや富士山を観ながらの

快調なドライブ

でも

八王子から調布にかけての渋滞に引っかかってw

いつもより1時間程の遅れでなんとか調布ICを出られました

 

諏訪は日帰りでちょうど好いくらいの位置なんで 

また行きましょう っと 

 

そうそう 

やっぱり諏訪の最後はこれを書いとかないとw

 

旧約聖書から モリヤ山といえば
アブラハムが息子イサク(イシャク→ミシャグチ神)を連れ

ダジャレかよ!!w

モリヤ山に行くよう啓示を受けた

息子イサクを神に生贄にと捧げようとしたら神が降りて来て

そこにいる山羊を代わりに捧げよと命じた

御頭祭では子供が生贄になる直前に神官が止めに入り

その代わりに鹿を捧げた儀式が起源だとか

ソロモンの父ダビデの前に神が現れた場所モリヤ山
ソロモン王がエルサレムのモリヤ山で神殿の建築を始めた
ゴルゴダの丘もモリヤ山にある とか   

共通項が てんこ盛り

 

日本人よりもユダヤ人神職が

この地 諏訪と四国剣山を注目しているとか・・

信じるか信じないかはあなた次第な お話ですけどけどね

あたしとしては2000年以上前の話だしなあと

どちらでもいいんですけど

検索するといっぱい出てきますんで

オカルト好きとしては

忘れた訳では無いんで置いときますねw

 

 

長々とご覧いただき有難うございましたm(__)m