こんにちはあ
なんだか毎日雨降りで
もう梅雨入りなんですかねえ

いやだなあ

昨日は雨の中 靖国神社様に行ってきました
しっとりとした気持ちの好い境内でスッキリしてきましたあ

 

相変わらずのパソコンですが

しばらく普通に動いていたんですけど

機嫌が良い悪い日がまた出て来て

さすがに新しいのを買おうかと・・・

ネットで価格を調べ始めたりして

買う前には一回位 リカバリはしといた方がいいかなあと

バックアップとか 準備を始めたら

突然治っちゃって スピードもアップ

どううしたんだろ???と 安心して油断してたら

また絶不調に戻ったりとかw

数日前から また絶好調が続き始めたんで

今のうちにブログ記事を書かなきゃですねえ


さて諏訪旅の続きですが

以前から縄文以降の諏訪の資料集を数冊ですけど持っていて
前宮は上社本宮以上に歴史的に面白い話が多過ぎて

しかもオカルト的な話も多くて

大好きなんですよねえw


そんなわけで どう書いたらいいのかなあと 

記事を書くのが面倒くさくなってまして
ついつい遅くなってしまいました
まあ思い出すなりを適当に書けばいいかなあとw

適当なんで宜しくお願いしますね

 

5月17日の続きです

 

上社本宮から10分程で県道16号「前宮前」交差点

なんか面白い名前ですよねえw

ここに来る前に神長官守矢資料館に寄ったんですけど
何やらTVの撮影が入ってまして
撮影にご協力お願いとか言われたんで
面倒くさくてなってこちらの上社様に先に伺いました

 

入ってすぐに でっかい藤の花が咲いていました

 

こちらも本宮様と同じに工事が入っていました

 

毎度の事ですけど本宮様とは違って参拝者が少ないですねえ

なんだかほっとしたりしてw

 

二の鳥居前の狛犬さん 

お顔だけが黒くなっちゃているのが残念ですねえ

意外に最近の平成15年建立

昔の狛犬さんが無かった時なんか記憶に無いですねえ

本宮のも時代が若そうだったけど

諏訪大社さんて狛犬さんが必要なかったのかな

元々居なくて良かったのかもとか 不思議ですねえ

 

 

 

写真で見直すと 力強いですねえ

 

十間廊にに続く階段

好い感じですねえ~

 

 

十間廊内

古くから鹿の頭75頭分などのお供え物をした

御頭祭を始め御神事が行われた場所ですね

現在でも剥製の獣を使って御頭祭御神事は行われているようですね

 


御室社
中世までは半地下式の土室(つちむろ)が造られ

現人神(あらひとがみ)の大祝や神長官以下の神官が参篭し

蛇形の御体と称する大小のミシャグジ神とともに

冬ごもりをした遺跡地である

旧暦12月22日に「御室入り」をして翌年3月中旬寅日に

御室が撤去されるまで土室の中で神秘な祭祀が続行されたという

諏訪信仰の中では特殊神事として重要視されていたが中世以降は惜しくも廃絶した
 

 

御室社

この位置で神事を行っていた跡地の目印として

小さな祠を置いたようですね

 

むっちゃん先生は

実はここには 今は隠されているけど

地下深くどこかに繋がる 長大な洞窟があるという

正統竹内文書の口伝がありますと言われていましたね

 

まあ諏訪は甲賀三郎諏方の ゆいまん国旅伝説もあるしねえ

奥さんが天狗に連れ去られて追いかけた三郎が

蓼科山の人穴という洞窟から奥さんを救出後

地底をさまよい72もの地底国を旅して

最後にゆいまん国という国に滞在して王の娘を嫁とり

13年半後に浅間山から地上に復活したが

なぜか身体が蛇体となっていた

 

行方不明になった三郎を悲観した奥さんは

諏訪湖に身投げして龍になって下社の神となり

三郎は上社のご神体になったっていうお話ですかね

 

そういえば阿久遺跡の信仰先が蓼科山ってのが不思議だったけど

こちらでも蓼科山がキーなっているんですねえ

やっぱり蓼科には なんか謎が隠されているんですかねえ

縄文時代からですもんねえ

 

また地下道が鎌倉まで繋がっているという

富士の風穴みたいな伝説も・・・

これは最近の大河ドラマで話題の鎌倉幕府が出てきますねえ

毎週楽しみに観てます そのうち諏訪の逸話も出てくるのかな?

諏訪氏が北条の御家人となって

軍神の神として鎌倉幕府が諏訪大社を庇護していたため

全国的に諏訪信仰が広がった事にも繋がったんだとか

 

諏訪は各時代 面白すぎですねえ

 

御柱が無い・・・とか

後で書きます

 

本殿拝殿正面
こちらには諏訪大社四宮で唯一の本殿があります
  

賽銭箱の諏訪梶の紋

 

前宮があるこの地域は元々 

諏訪大社 大祝(おおほうり)代々の居館であった所で

神原(ごうばら)と言われ

この地にあった神殿で諏訪大社

全ての祭祀が執り行われていました

明治中期頃まで 今でいう 諏訪大社四社ではなく三社で

 上社は本宮一社だけで 

本宮に対する境外摂社

前宮社と格付けされていたそうです

 

元々 前宮の名前は上社本宮からみて

それ以前からあった宮の意味とも考えられているとか

本宮 幣拝殿の先が何も無く 

全ての神事が行われていた前宮に向いているのかも

という説が強いみたいですね

 

弐の御柱

上社は諏訪大社四宮で唯一 四本御柱の基に入れますね

 

諏訪四社の中で唯一の御本殿

他三社は拝殿のみですからね

かなりの傾斜地の途中に立っています

 

拝殿の左横には身を清めて神事を行ったと言われる

水眼(すいが)の流れと呼ばれる清流が流れています

拝殿前から左手に時計回りで巡ってみました

 

参の御柱

 

御本殿と後ろの大ケヤキ

囲いの中から藤の古木が絡んでいます

藤の木といえば

建御名方命が諏訪に侵攻した時には

手に藤の弦(弓のつる)を持って

向かえる地元の神 

洩矢神は手に鉄の輪を掲げて戦ったとの故事があるんですけど

意識して境内に藤の木を植えているのかも?

 

結果は洩矢神が負けて建御名方命の子孫に続く

諏訪氏が大祝(おおほうり)という生神(いきがみ)の位に就き

以来 諏訪の統治王となって

洩矢神(もりやのかみ)の子孫は神長官という

祭祀をまとめる筆頭神官の位に就いて

二人体制になったという事が諏訪の基本なんだとか

 

玉垣内の柵の形から以前は藤の木の根元までは入れたのかも?と
変な柵の位置を不思議に思ったんで後日調べたら

 

前宮の祭神は建御名方命とその妃 八坂刀売命と古くから信じられ
前宮の奥に鎮まるところが墳墓と伝えられ

古来より立ち入ることが固く禁じられ侵すときは神罰があるといわれた
また違う言い伝えでは

本殿裏の玉垣に囲まれた部分が八坂刀売命の御神陵であるとの

解説が見つかりました


背後の山中に古墳が残されているんで

それが建御名方命の墳墓と伝わったのかな?

本殿後ろの禁足地らしきこの囲いの中が

八坂刀売命の御神陵なのかもですね

ただ建御名方命が諏訪に来た縄文時期は

当然古墳時代以前の古い話なんですよねえ

 

四の御柱

 

拝殿右横の 壱の御柱から下を見る

以前友人の車で来た時にカーナビを前宮と設定したら

いきなりここの駐車場に辿り着いた時には驚いたなあw

 

遠く八ヶ岳が見えました

主峰 赤岳の雲も とれましたねえ

こちらに立つとなぜか毎回 

ぼお~っと してきて眠くなっちゃうんですよねえ

立つのが面倒になるくらいにねw
なんだかほっとして緊張が解けるからかな

今回もそうなりました

 

神原というスピリチュアルな土地っていう 

いらん知識があるからw

パワースポットなのかもとかww
実際は旅の後半に来ることが多いし坂道ばかりで

疲れが出始めてるんだろうなあ?
でも ほんと好い景色ですよねえ

 

(官幣)大社諏訪上社前宮の社号標

 

あまりに立派な社号標なんで横を見たら

元帥伯爵 東郷平八郎 謹書

へえ~~

建御名方命は戦の神という事から

当時軍神として著名だった 東郷平八郎元帥に

謹書をお願いしたと伝わっているようですね

 

あれ? 御柱が無い??

国道から入ってすぐの小祠さま

帰宅後調べたら溝上社(みぞがみしゃ)というらしい

祭神は建御名方神の母神 

高志奴奈河比賣命(こしぬなかわひめのみこと)

、祭事は8月25日「溝上社祭」がおこなわれるとか

ちゃんとした摂末社様ですぐに分かりましたけど・・・

 

諏訪ではどんな小さなお社にも杖サイズの枝としか思えない細くても

御柱が四隅に立っているんだけどなあ・・・

建御名方神の母親って事は出雲系じゃないからかな?

それとも もしかして 建御名方神 以前の地元神 

ミシャグジの神様を祀っているのかも(妄想)?

 

藤の木が凄くて印象に残った写真を撮っといたんだけど

こちらの祠様は 謎が深まりましたねえ

 

帰りに御朱印をお願いした時

本宮様でお札を頂いたんで前宮様でも頂こうかと思って

社務所の見本を見てたら

本宮様と同じお札でした

御神職に伺ったところ同じですよ~と

へえ~そ~なんだあ 知らなかったなあ

 

最後にパソコンの調子が良いんでおまけ話を書きます

 

諏訪大社といえば御柱ですけど

調べるほどに

実は御柱を立てる意味は未だ謎なんですってね

 

それならば もしかして

飛騨の口碑に出てくる話もアリなんじゃないかと・・・

古事記にも出て来る

出雲の国譲りの話から・・・

 

そうだ その前に

国譲りの定義なんですけど

現在は出雲の国譲りで統一されて きてますけど

昔は出雲の国返しとも言われていたとか

譲りは もらい受ける事で

返すは一旦取られたものを返す事で

元々出雲はアマテラスの土地だったものが

スサノオからの大国主命の国になり

アマテラスに返還された物語だったとか

アマテラスとスサノオ兄弟はイザナギの子なんだし

元々出雲も含む日本全国すべて

高天ヶ原系イザナギ イザナミが作った土地なんだから

当たり前っちや当たり前ですよねえ

出雲神話とは違う出雲風土記には

国返しと書かれているんだとか(確か?)

 

さて 古事記では

出雲 稲佐の浜に降り立った建御雷神 天鳥船神と

大国主との統治権譲渡を要求(国返し)の会談はすんなり成立

巨大神殿を造り祀る事で落ち着いたけど

大国主の息子 建御名方神が反抗して

武御雷神(タケミカズチ)に

諏訪まで追い詰められて

両腕を取られて(蛇神のイメージが・・・)取り押さえられ

以降末代までこの地(諏訪)から出ないとの誓いで

降参したんですよね

 

※武御雷神 鹿島神宮のご祭神で

諏訪大社の真東に北緯35度58分に 

ご鎮座され 今でも諏訪を見つめていますねえ

諏訪大社上社 本宮 前宮は北緯35度59分

 

飛騨の口碑では

その後の話も あるんですよねえ

その後

大国主は木柱で造ったオリに 死ぬまで幽閉されたんだとか

そのオリに見立てた四隅に立てる柱が結界となって

御柱の始まりではないかもと

結界から出ない誓いをした

建御名方神を祀りながらも 結界としての御柱説が

あたし的には説得力があるし

アリなんじゃないかなあと思っています

 

おまけついでに 飛騨の口碑では

元々 

イザナミは出雲から飛騨のイザナギに来た嫁で

死んだ母に会いたくなった スサノオが

泣きながら 黄泉の国があるという出雲

母の実家に旅立った後に出雲に定住して

突然現れた大国主命を

娘婿にしてから出雲国が出来たんだとか

 

いやあ~またまた長くなってしまいました

最後までパソコンが調子良くて助かりましたあ

明日はどうなるか わかんないですけどねw

 

長々とご覧いただき有難うございましたm(__)m