お暑うございます

前回の続きとなります

 

先日靖国神社様での参拝のあと

遊就館入り口のフリーエリアにある

ミュージアムショップに寄ってみました

書店では売り切れ中らしい竹田恒泰さんの新刊がここならあるかも?と

残念ながら買うことはできませんでしたが

 

こちらの館内もほとんど人が居なくて驚きました

涼しくて からだも落ち着いたころ

たまには写真でも撮ろうかなあと

普段は展示物の周辺には見学者が多くて

なかなか写真が撮りにくいんですよねえ

 

何機かゼロ戦は見ていますがこちらの機体はやっぱり美しいなあ

エンジンの右回転運動を相殺するために

垂直尾翼が正中心から右側・左側を

あえて数ミリ厚みを違えてあるとかの説がありましたが

やっぱり よくわからないなあw

 

 

 

 

 

 

遊就館の見学も考えましたけど

涼しいとはいえ

暑さで疲れていたんで また体調が良い時にでもとパス

優待券はいっぱいあるんですが

入館したらちゃんと見学しなくてはもったいないですからねえ

 

さて今回は展示されているC56で

個人的な発見があったんで

ブログ記事にします

 

C5631号機が靖國神社様に展示された経緯

 

先の大戦では日本軍が南方に侵攻した時

南方の輸送力を強化する目的や泰緬鉄道の開通等の為

日本製の機関車C56型が90両徴用され

タイ・ビルマ方面に海を渡りました

戦後被災を逃れた機関車はそのまま現地

タイ国有鉄道で使用され1977(昭和52)年頃に引退

泰緬鉄道建設に関係した

元南方軍野戦鉄道隊関係者の方々が

拠金してタイ国有鉄道から譲り受けられ

大井川鉄道で活躍している C56型44号機と共に

1979(昭和54)年日本に返還されました

返還後31号機が靖国神社に奉納されました

 

44号機は近年国鉄型に改修され

最近ではトーマス君にコスプレしたりと

人気を博していますが

こちらの31号機は細部の仕様まで

タイ国鉄時代のままでその意味からも貴重な存在だそうです

 

いつもは人が途切れないコンコース

真横から見ると見慣れたC56とはシルエットが大分違いますね

機関室の屋根低くが削られているのは

機関銃座を置かれていたとの説もあるようですが

トンネルの高さ規制かもしれないなあ・・・

でも

戦時中には敵に捕獲されない為の自爆や

爆薬を積み敵陣に特攻爆破した車両もあったとか・・・・

普段はみんなが自撮りや写真撮影をしているんで

あまりそばでちゃんと見たことはなかったんですが

ひとも居ないし撮影の邪魔にはならんだろと

この日は初めてそばでじっくりと観察してみました

元々日本の標準のレール幅は1067mmですが

タイ用に1000mmに車輪を狭めて改造してあります

展示機では大きいので気付かずに忘れていました

たった6、7センチくらいですが

なんでわざわざ縮小したのか?

東南アジアではイギリス他の植民地が多かったので

イギリスのローカル路線規格が元々牽かれていたってことが

歴史ですよねえ

 

昨年のC5631靖国神社奉納から40年企画展で展示されたミニチュアだね

当時展示物撮影禁止だったなあ

タイ―ビルマ(現ミャンマー)泰緬鉄道は

東京―大垣間に相当するする全長約415キロ位

戦後マレーシア国境に近い町で日本人の鉄道研究家が2台の機関車を偶然発見し

その後

鉄道第9連隊中隊戦友会の方々が機関車の帰国に尽力をされたとあります

重機もない時代 

イギリス軍も建設を断念した山岳地帯のジャングルでは

ゾウを使い1日1キロくらいの進みで

線路の敷設が進むたびに試運転の31号機が進んでいく

常に線路の最先端にいた31号機はわれわれにとって象徴であった

向こうで亡くなった戦友たちの代表だから靖国神社に奉納したと

第9連隊中隊戦友会代表の方のインタビューがありました
 

 

有名な戦場にかける橋の映画では捕虜の優秀なイギリス兵士がいたからこそ

トンネルや鉄橋が造られたとのストーリーになっていましたが

実際は捕虜にさせたことは単純労働がほとんどで

夕方には収容所に帰宅させ虐待等は無かったと語られています

設計施工は鉄道連隊が主導してジャングル内を完璧に開拓したようです

近年でもそのまま使用している線区も多いようですね

 

あれ?部品に打たれている刻印の番号が違うぞ?

拡大しないと分からないかもですが C5652 R

面白くなってあちこち探してみました

オリジナルのC5631が2か所

四角い部品の上部に小さくR725と

725はタイ国で使われていた時の車両番号のようです

C5623 R C5652  R=進行方向右側

戦時中でもアルファベットが使われていたんだねえ

反対側に廻ってみました

C5612 L=進行方向左側

 

C5652L LC5623 L

他にも判読できない記号が打ち込まれていましたが

まだまだ隠れているんでしょうねえ

帰宅後この辺の経緯を調べてみました

やっぱり鉄道趣味は奥が深いですねえ

調べるほど複雑になってきたんで適当な処でやめましたが

 

まとめると

戦時中C56がタイ方面に輸送された時

当然機関車一台丸ごと輸送できないので

分解して部品として分けた輸送方式だったので

現地では部品待ちの時間短縮から他機の部品を流用し

機関車を組み立て復元したらしい

また

戦後タイ国で使用されている間にも

部品のシェアが頻繁に行われてもいたようです

 

国鉄時代にも旧型の電気機関車や蒸気機関車などは

わりと頻繁に部品転用していたんで

その調査をライフワークにしている人もいるから

鉄道ファンは恐ろしいっすw

 

1979年にC5631と一緒に帰還した大井川鉄道のC5644からは

C56型11両分の刻印が確認されたとか

「出征したC56達が南方に散ったC56たちの執念とでもいうべきか

なんとしても日本に帰るぞと集まったのを見る思いがした」

と 書かれた文章を読みました

 

そばによると 各部品とってもきれいで

ピカピカに保存されていました

保存会の方々が定期的に清掃作業をされているようです

大感謝させて頂きます

 

蒸気機関車もよく調べると戦争遺産なんですよねえ

合掌させて頂きます

 

長々とご覧いただき有難うございましたm(__)m