【最初に】飛騨の口碑の物語を面白く思い物語にゆかりのある土地を訪ねる旅をしてきました歴史的な真贋は追及しておりません宜しくお願い致します m(__)m 2019年10月8日の旅です水無神社様
水無神社HPより (字数制限に引っかかるんで かなりアバウトにまとめました)
飛騨国の鎮守として朝廷から崇敬された 水無大神は地名に由来すると考えられる
主祭神の御歳大神(御年大神みとしのおおかみ)と十四柱の相殿神を「水無大神(みなしのおおかみ)」として奉祀しています1945年(昭和20年)8月22日から同年9月19日までの間熱田神宮の神体(天叢雲剣)が一時避難していた これを御動座と言います 社名の水無は諸説ありますが社前を流れる宮川の川床があがり流れが伏流して水無川となることから水無(みなし)川 水主(みずぬし)川の水源をつかさどる神の意味であり『みなし』(水成)『みずなし』俗に『すいむ』と音読することもあります また創立鎮座の年代は神代にありと伝わりますが古伝旧記が散逸して詳しい事は定かではありません 位山の山中には巨石群があり大石を以て何かを築いたといわれたり初期の古墳のようでありドルメン(支石墓)のようでもあるなど様々な説がありますが 何かの神秘的な霊場であったと考えられています この霊山にはイチイの原生林があり天然記念物とされ位山のイチイの木を笏(しゃく)の材料として献上した

際にこの木が一位の官位を賜ったことから木は一位 山は位山と呼ばれるようになったという

説があります 古例にならい現在でも天皇陛下の即位と大嘗祭御用御笏が

伊勢神宮式年遷宮に際しては当社より位山のイチイの笏が献上されています


※こちら様飛騨一宮として摂社 末社 分社 境外摂社 縁社として飛騨の他 県外にも100社近くをまとめられて日本の神様がほとんどお祀りされているようです 本殿に向かう回廊には奉祀末社のお名前が掲げられているようですねいつかは昇殿参拝をさせて頂きたいなあ

 

さて荒神社様から30分程で到着しました やっと雨が止み傘をささずに参拝ができました

拝殿左側の大駐車場の隣から雨上がりの清々しい森に入りました

赤いのは木の皮をむいたあとなのかしら?

ご神木 ちばかの桂と 祖霊社様

   

飛騨地方の特に女性のお詣りが多く 安産 良縁 婦人病に後利益があるとか

柵越しに御本殿が伺えました

拝殿

境内もそうですがこちら様 玉砂利が美しいんですよねえ 以前職員さんがレーキで丁寧に

整地されていたのを思い出しました いつかは昇殿参拝をさせて頂きたいなあ

拝殿前の狛犬さん (狛おおかみさん)

   

神門の両側の 木造り狛犬さん(狛おおかみさん) カッコいいなあ~

   

格子の柵の中でなかなか全体像が撮れないのが残念ですねえ

神門 同時撮影4枚の内このコマだけに球体が写っていたんでUPw

拝殿右側のお稲荷様

   

怖いお顔ですが歓迎されているとは・・・思います

いつも何かしらの おしるしを感じさせて頂けるお稲荷様 今回も軽くでしたが後頭部に

温かみが感じられました 奥の森も気になるんですよねえ

社務所で大麻と御朱印を頂きお暇しました  また伺えたら好いなあ

臥龍桜で有名な公園

水無神社様から高山本線を挟んで車で10分位 飛騨一ノ宮駅西側にありました

臥龍桜という樹齢1100年を超える龍の姿のような古木桜で国の天然記念物に指定されています 元々は左端に写っている大鐘寺の境内桜だったようですが 公園として開放されているようです 以前書いたように 阿多由太神社様の祖霊舎 旧宮跡の四角い石と同じものがこちらの座禅石じゃないかなあと思いますこの時は気付かず参拝しませんでしたが残念でしたあ

 現在石の多い庭園公園とされていますが公園整備前は湿地帯だったようです

 こちらは巨石遺構ファンの間で有名な公園で元々ストーンサークルだったのではと言われ 多くの石には線刻模様が確認されているようですが よく分かりませんでした

三木祖霊舎様 高山市指定文化財(建造物)案内板から

山下城城主三木三澤が天正十三年金森長近と戦い闘死された後 霊を弔うため大鐘寺に墓と祖霊社を建てたが平成三年の台風時に被害が及び現公園に移築とあります 黒沢映画 七人の侍の時代設定が天正十四年(1586)でしたねえw そばでみると緻密というか屋根の薄板を重ねた加工が特に素晴らしく細かく作られていました飛騨の匠の文化なんでしょうねえ

飛騨の口碑から

原日本人が乗鞍の麓に現れ暫くたつと(2500年程前)上方と名乗る頭領が現れ飛騨を治めるようになり そのうちに大淡上方様と言う大神通力を持つ賢者が現れました そのお方から15代後の上方様の時代 寒冷化等で飛騨を納めづらくなったので川の水が浅く魚も採れやすい宮村(現水無神社の辺り)に都を遷都され淡上方と改名しました 近くの位山からは淡山(乗鞍岳)を拝むことが出来たので位山を祭祀場と一族の墳墓にしました 以降淡上方様の孫に皇統命(スメラミコト)という尊称を授けるようになり「位山の命」が初代皇統命となりました それからは皇統命が新たに即位する時にはイチイの木で作った位板という板の辞令が渡されるようになり 後に位山の笏しゃくと続きました 大淡上方様から35代目に大神通力(予知等)を持つヒルメムチ様(天照大御神)が生れ皇統命を継ぎました 飛騨では事が起こると現水無神社の前の河原(安河原)に飛騨中から代表が集まり古代日本式の民主会議が度々行われました 古事記日本書記の高天ヶ原安河原がこの地であります

日本のルーツ飛騨 福来出版様からまとめました
※ブログを書き始めて地図を見ると 宮村という所は宮川を中心に平地が広がり北に

高山市街方面とは山峡でくびれていて外敵からの守りに適しているかもと思いました 

水無神社の不思議をいくつか 

こちらの神様は強い力を持ち不備を犯すと宮司が抑え込まれて動けなくなったりした

過去が何度も記されているようです 

普通神社の奥宮 ご神体山はすぐ後ろや近くに接しているのに 本殿→鳥居の延長線上に位山が見えない 位山の遥拝所の御旅山の滑走路のような先も位山を向いていない等 

あたし的には上方様お住まいの跡地であり位山が遥拝地なので 水無神社との向きは関係ないんじゃないかと思うのは あたま使わなすぎなんでしょうかねえW 

線引きモノとして水無神社から南西に白銀神社 位山祭壇石 位山山頂に一本の線で

つながり 北東には 荒神社 日輪神社(飛騨の口碑には出てこないのにやっぱり重要なスポットなんでしょうねえ) 伸ばすと笠ヶ岳 戸隠連山につながりました 

まだまだ書きたいことがありますが字数制限がキツいのでこの辺で終わります
長々とご覧いただき有難うございましたm(__)m