こんにちはあ

あっついですねえ

 

今年のニューフェイス
オニヤンマ君(バッタもん)
ここは勝手口だけど
ほんとに蚊に刺されないなあ
もしかして
効いてる??
現在各所に3頭配備

家の軒下にハチが巣をかけないという噂もあるんで
あと2頭位追加するかもね

 

参道入り口

 

修那羅山安宮神社様の後半です

 

今回は3回目のブログ記事となるんで

今更ながらなんで基本データ等は

過去のブログからコピペしてきました

 

過去に撮影

 

修那羅山安宮神社は

江戸時代最後の山伏(修験者)と伝えられる

1886 年に修那羅大天武によって創建されました

修那羅大天武は1795年に

現 新潟県妙高市に生まれ

各地の修験道場や霊場を巡り

約60年間修行を積みました

その後安宮神社の開祖となり

明治5(1882)年に生涯を閉じました

子供の頃から天狗に認められた修那羅大天武様

山岳信仰といえば

山のパワーを理解されていた修験者ですもんね

晩年こちらに居を構えられたのも

舟窪山に

飛騨の位山と同じようなパワーを感じられたのかも

 

 

 

拝殿右側の鳥居をくぐって

裏の石神仏群の杜に入ります

奥に入ると世界が変わるんですよねえ

 

入る前にK君を誘ったら

突然行かないと

おいおい

ここで奥に行かなきゃ意味がないだろ~

と思ってかなり誘ったんですけど

先に車に戻るって聞かないんで

車のキーを渡したんですね

 

実は石神仏様は細かいのまで入れると千体以上おられるとか

木像160体は拝殿左の室内に置かれていて

窓越しに覗るようなんですけど

 

K君が待っていると思うと

焦っちゃったんで

今回もまた木像拝観するのを忘れちゃったんですよ

次回こそ

お詣りしたいなあ

 

修那羅大天武様像

大天武の死後

土地の人々が彼の偉大さを称えて像を奉納された

江戸末期

修験者として各地で修行された

修那羅大天武様がこの地に定着され

雨乞い 加持祈祷 悩み相談など

地元の民と接しているうちに

あまりにも強い法力 神通力が知れ渡り

信州全土から参拝者が増え

祈願成就のお礼にと石神仏が奉納されたんだそうです

 

大天武様の死後 土地の人たちが

彼の偉大さを称えて

修那羅大天武様像を奉納されたんだとか

 

修那羅大天武様と言われている像

村人は生前の大天武様を見知っていたので

顔も実像に近いお姿なんだとか

境内で最も大きく高い石像で

身の丈五尺七寸(約1m73cm)の大男であったといわれます

 

不動明王様

 

裏に入っていきなり

石祠様がズラ~っと

こちら様では石神仏石祠は全て

一柱づつ摂社とされているそうです

 

猫神様に挟まれた中央に鬼神

右手は胸に左手を腹にあてた修那羅特有のポーズ

角が猫耳にも見えるし指先の爪が尖っているんで

猫の鬼ではないかと観察している人もいますねえ

 

養蚕をしている人たちには

ネズミが大敵なんで

退治してくれる猫を神様として

お祀りされていたんだとか

 

 

千手観音様

佐久間造山氏が奉納されたといわれており

緻密なお造りですねえ

 

いつもは一体ごとにお詣りをしてから

写真を撮っているんだけど

焦っていたんで

まとめて遥拝させていただきました

 

立体的な石神仏ばかり写真に撮るんだけど

文字だけの奉納石板のほうが

圧倒的に多いんですね

ほとんどが倒れて草に埋もれてちゃってんですねえ

 

人面獣身神

文字はコンコウサマと読むそうです

狐の憑き物落としの祈願で奉納された神像

人面獣身神様 コンコウサマ 

お稲荷信仰に出てくる神様らしい

 狐憑きに効果があるらしいとか

 

 

 

子育観音

 

おいぬ様

 

不動明王立像

 

この急坂を登って尾根に出ると

鬼神三体の広場に出られます

意外に気付かない人が多いかも

 

最近じゃどこの神社様でもパワースポットばかりですけど

こちらの修那羅山安宮神社様も

ネットで検索すると

観光案内のついでに

最強のパワースポットとかがいっぱい出てくるんですよねえw

気持ちはわかりますけね

ゆっくりしたかったああ

 

鬼神三体

とんかち 鉄棒とか金属製の恐ろしい武器で

威嚇する鬼たち

 

その横にニコニコかわいいお坊さん?が

 

 

緑がきれいでしたねえ

 

おいぬさま

 

 対神の武士

ともかくこちらの石神仏像は

バラエティーに飛んでいて

数時間居ても撮り切れないんですよねえ

今回は境内の雰囲気と地味目な画像を上げてみました

 

なんだかK君が同行してくれないんで

急いで参拝というか

撮影だけをしただけだったなあ

 

車で待っているK君に

無理やり連れて来たのもあるし

悪かったかなあと思い出して

お留守番のご褒美にと

缶酎ハイを買っときましたよ

 

早く呑めよと何度も言ったけど

なかなか口をつけなかったんで

機嫌が悪いのかと

不審に思ってたら

なんと 寒くて身体が冷えすぎて

体調が悪いんだとか

おお~

そう言ってくれればいいのに

心配したぜえw

車が走り出して30分位たってから

プシッって呑み始めてくれましたあw

 

 

過去の記事を見直してたら

毎回とち君が寄り添っていてくれたんですねえ

寂しがりやさんなのかな

また来るから元気でいてねえ

 

忘れてたあ唐猫(カラネコ*虎)様さんたち

 

急いでいたんでここから遥拝

次回はちゃんとお詣りしますねえ

 

摂社のオートバイ神社

過去写真

 

さあ~て

ここからは お約束の妄想話です

うっかり信じないでくださいなあw

過去記事をまとめてみました

 

こちら修那羅山は

実際は舟窪山という山です

修那羅大天武様の出生地の妙高から

修那羅に直線を引いた先が

諏訪大社本宮となります

 

昔の修験者としたら

戸隠 飯縄 黒姫 妙高 八ヶ岳は

古来大切なポイントだったと思うんで

舟窪山を修験の聖域として選んだ可能性があるかもですねえ

見えるかどうかは分かりませんけど

戸隠に向けて遥拝されていたのかも?と

線引きモノ好きなあたしは妄想していますw

 

 

舟窪山を中心にして定規を回すと

あれれれ~~~

北方が戸隠山 妙高山と つながるぞ・・・

そのまま南方は諏訪大社本宮と杖突峠じゃん

なにかある 絶対何かあるw

 

本州中部の緯度36度あたりでは

経度1秒 25.045mX60=1分が約1500m

緯度1秒 30.827mX60=1分が約1848m


舟窪山
北緯36度24分17.0秒 
東経138度06分05.2秒
標高    914 m


北に伸ばすと
妙高山
北緯36度53分29秒 
東経138度06分49秒

ほぼ東経がドンピシャですねえw

 

諏訪大社 本宮
北緯35度59分53.37秒 
東経138度07分10.09秒
北緯35度辺りでの経度1分が1500m位だから

2km位のずれでしたね


諏訪大社 前宮
北緯35度59分28.08秒 
東経138度08分00.28秒

 

先程伺った皆神山も意外に検討してますなあ

北緯36度33分14秒
東経138度13分21秒

でも皆神山は昭和になってから有名になっただからなあ

 

実は

戸隠~舟窪山~諏訪に続く直線に

山のエネルギーラインがあるのかも?

北緯36度線上には縄文遺跡が多いといわれて

諏訪の縄文遺跡も有名だしね

 

舟窪山の廻りは高い低いはあるけど山ばっかり

舟窪山はそんな中にポツンと独立した

ドーム型というか尾根は何本か分かれて出ているけど

ほぼ円錐形の単独山でした

これは もう

日本のピラミッドじゃないですかあw

こんな山の中なのに 

舟のくぼみ なんて名前が付くなんて

 

だいたい日本中に羽とか船のつく地名は

羽=船=飛ぶモノ伝承がある地名ですしね

UFOの着陸伝承にありがちで

確定ですねえw\(・×・)/

 

それとUFO話に戻るけど

飛騨の位山のように

山自体に不思議なパワーが沸いているのかも?

それだったら一番オカルト的には楽しいですやねえ

境内で なんだか心が落ち着くのも

そこでは気が付かなかっただけで

ほんとのパワースポットだったのかもなあ

 

 

 

道の駅あおき

やっぱり時間的に遅くて食事はできなかったんで

お土産だけを購入しました

 

この後は上田菅平ICから入り最初のPAで

遅い昼食となりました

 

舞茸蕎麦

やっぱり疲れてくると汁物

お蕎麦一択だよね

うまうまあ~

K君んが御馳走してくれたよ

ありがと~

山賊焼も食べれば良かったなあ

 

この後は渋滞も無く順調にすすみ

20時頃には地元に着きK君と解散しました

K君お付き合いお疲れ様でしたあ

また数年したらどっか行こーなあ~

 

戦利品の一部

タチアカネのお蕎麦は

ほんと美味しいっす

 

ハチク(淡竹)のシーズンだったんですね

一袋200~300円だったんで

友人たちのおみやげ用にもするつもりで

いっぱい買っちゃいました

 

 

 

ハチクは天ぷらにしてもらいました

うまうまでしたあ

以上でK君との旅終了でございます

あれから1か月以上経ったんだねえ

以来何処にもお出かけしていません

ああどっか行きたいなあ

 

長々と失礼しましたm(__)m