こんにちはあ

 

相変わらず暑いですねえ

アツイゾバーロー

 

大きい地震起きちゃいましたねえ

怖いですねえ

 

Twitterを フルイネ~見ていると

北海道沖縄沖の太平洋の海底では

プレートに関係なく

連日M6位の海底地震が起きているようで

本土から遠いから地面のゆれを感じないけど

運がいいのか

これで落ち着いていくのか

これからなのかと心配になりますねえ

 

日向灘の地震の日

朝から頭の中で地震のイメージが起きちゃって

最近 地震来ないよなあとかね

地震という字が頭から離れなかったんですよw

 

友人のグループLINEに

地震に注意してねとか

マジに書き込む直前までいったんですけどねw

 

まあ~バカにされるだけだよなあっと

書き込みを止めたんですよ

書いときゃ良かったなあと

ちょいと残念wホントザンネン~~

 

いや別にあたしが

予知予言してたとか言いたい訳では無くって

なんだか午前中ず~っと

ざわざわしてただけなんですけどね キノセイキノセイw

 

個人的な忘備録として

書いときますね

 

 

地震といえば

2025年7月5日の滅亡予言ですよね

お気に入りのY先生が発信元なんで

まんざら大ぼらでも無いかもと

気になっていたんですよねえ

 

ムーの総力特集でも出て来たんで

数年ぶりに先月の8月号を買っちゃってましたw

 

これまたお気に入りで

けっこう信じている カッテニネ~ww

エスパー小林さんが

2025年の大災害は無いよと

断定しているのを読んで一安心していたんですよね

 

1999年のノストラダムスとおんなじで

なんにも起きないなあこりゃって

大丈夫だなあっとホッとしてたんですよね

 

逆に矛盾してるってのは判るんですけど

2025年になんかありそうで

今年は災害なんかが起きないと

安心していたんですけどねえ

まさか今年

南海トラフが割れちゃうなんてねえ

 

どっちを信じていいやら

 

まあ~予知予言なんて

たまたま一度は当てた人がいるのは事実として

二度目は当たらないってのが

オカルト界隈の定説なんですよねえ

オカルト趣味歴 長いっすからねw

 

たぶん今年も来年も大丈夫だあ~って

あたしが予言しときますね

ヨゲン ヨゲンダ バーローーー

 

まあ飲み水とトイレ用の水は

ちゃんと備蓄完了してるんですけどね

 

 

さてさて

 

先日ちょいと早かったんだけど

川越のお寺さんに

お盆のお墓参りに行ってきました

いつもはカミさんと車でこちらに

お参りをした後上尾に移動して

カミさんの実家のお盆参りをしているんだけど

今年はばあちゃんに留守番をさせるわけにもいかないんで

別行動として

あたしだけで行って来ました

来週は

カミさんが電車で実家に独りで行ってお盆参りをする予定です

 

川越の広済寺さん

 

お参りをした後に

独りなもんでなんとなく

たまには写真でも撮るかなあと

お寺さんの境内を撮ってみましたよ

 

せっかく写真を撮ったんだし

ブログに書こうかなと

少し調べてみましたよ 

 

曹洞宗 青鷹山(セイオウザン)慈眼院(ジゲンイン)広済寺

 

室町時代 天文17年 1548年(河越夜戦の2年後)に

後北条氏の川越城代

大導寺駿河政繁が菩提寺として建立しました

 

現在の建物は享保年間(1716~35)の頃の火事で焼けた後に

黙元和尚が再興したもの

 

古くからあるお寺さんとは聞いていたけど

470年あまりという長い歴史を刻んでいる

お寺さんなんですねえ

 

近年 川越は小江戸とかで

観光地化しているせいか

ちょいと調べただけでも

公式私的な歴史資料がいっぱい出てきて

ちょいと驚きましたあ

こちらさんも歴史的な経緯がいろいろあるんですねえ

 

うちのお墓の墓誌を見ると

4代前のご先祖さんから

こちらにお世話になっているんですよね

大体明治初期かなあ

 

特に檀家としての活動には参加していないんですけど

こちらのお寺様

維持費等かなりお安くして頂いていて助かります

お寺さんとのお付き合いが高額で

大変だと良く聞くんですけどね

 

檀家の会の皆様のおかげですねえ

毎年送られてくる決算書とかをみると

質素に誠実に運営をされているようです

ありがたいことです

 

 

境内に鎮座する金毘羅堂

金毘羅さんは神仏習合の権現様なんだとか

本社は香川県にある金毘羅宮とのことらしいけど

金毘羅さんて航海安全の神様なのに

海のない川越にご縁があったのかが謎ですねえ

昔のこの辺りは河川が張り巡らされていたんで

その安全護りなのかな

祈雨の神様として勧進したのかもね

 

逆光できれいに撮れなかった

 

向拝のひさしの内天井に書かれている龍神様

天保10年(1839年)と書かれているけど

きれいで真新しい感じがするんで

近年補修されたのかもね

お目目がかわいいよね

 

 

このお子ちゃまがかわいい~

 

うおお~~暑いのお~~~

水分取れよなあ~~

 

楼門も専門的にみられる人には面白いんだそうですね

緻密な彫物が詰まってます

 

あごなしじぞうさん

無腮地蔵尊

よく見ると下あごがありません

歯が無ければ歯痛も無いということで

虫歯の人がお参りすると霊験があるとされています

 

 

石仏に荒縄やひもが巻かれています

 

しわぶきさま

咳地蔵尊

ある夜喜多町に住んでいた浪人が

家に帰ると石仏が置かれていましたので

お寺に納めました

その石仏に長年風邪を煩っていた棉屋の娘が

願掛けの証拠と して荒縄を巻いて

100日の間日参したところすっかり良くなりました

それが評判となり

百日咳や風邪で苦しむ人が

同じように荒縄を巻くようになったそうです

治ったら縄を解きお礼とてお茶やコンペイ糖を納めます

川越市教育委員会発行の「川越の伝説しゃぶきばばあ」より

 

三峯社

 

たぶん秩父三峯神社から

勧進したんだろうね

中を覗いたけど

おおかみさんは居られなかったなあ

 

調べていたら

水戸藩十九烈士埋葬の地

というワードが出てきましたよ

これは知らなかったなあ

お好きな方には有名なんでしょうかね

 

 元治元年(1864)尊王攘夷の叫ばれる中

水戸藩内の天狗党の乱において

幕府側の鎮圧にかかる結果となり

党員の多くは捕らえ

諸藩にお預けの身となった
 川越藩松平大和守家には当初230数名が

一旦預かりの対象となった

 

その後は川越の地から去って行ったが

滞在中に持病を抱えたり

体調勝れなかったりした士には

町医者などを呼び治療に当たったものの

次々と病死した18人と

死罪打首の刑に処せられた

江橋五右衛門の計19人が

広済寺に仮埋葬されるに至った

 

川越藩主 松平直克は

慰霊のため永代供養料金15両と

水府浪士19柱の位牌を当寺に奉納した

 

19士の墓は大正年間半ば頃まで存していたが

その後無くなり

現在は19士の名を列記した

一基の位牌のみが当寺に遺されている

水戸藩十九烈士埋葬地として

川越市の史跡に指定されています 

 

本堂の脇に

位牌や骨壺などが安置されている小部屋があって

一度入った事があるけど

そちらに安置されていたのかもね

 

広済寺さんの入り口

 

道路に面した門柱の両側に

天狗の羽うちわが刻まれた石碑があります

 

その昔

広済寺の境内は

古木が生い茂りうっそうとしていました

その中にひときわ高い杉の老木があり

そこに天狗が住んでいて

川越の町が大火事になろうとした時

持っていた団扇で風向きを変えて

火災から守ったという伝説があります

 

天狗の羽団扇は天狗の中でも

大天狗または力の強い天狗が持つとされる団扇で

羽団扇自体が強力な神通力を有するとされる

川越市教育委員会発行「川越の伝説 広済寺の天狗様」より

 

天狗の羽団扇

 

裏側

龍だと思っていたけどお獅子なんだね

 

 

川越を散策する観光客がほぼ訪れる

氷川神社様に行くために通る道に面しているんだけど

普通の小さなお寺さんにしか見えないんで

観光客もめったに入ってこないんで

正直助かりますねえ

いつお邪魔しても静かなもんです

 

氷川神社様の周辺は相変わらず

浴衣を着たお姉さんお兄さんがいっぱいいましたね

暑いだろうけどご苦労さんです

 

帰路も狭い道を車で抜けるのに

気を使いましたねえ

 

嘉永7年1854年

 

 

この後は

来るときに仏花を買ったコレガマタヤスインダヨネエ~

アグレッシュ川越にまた寄って

野菜とウドンをいっぱい買って

帰りました

2回行くのはルーチンですね

 

そうそう

時間があったんで

ウドンと野菜をお土産にして

浦和に住んでる友人宅に久々に寄ったんだっけ

 

長々と失礼しましたm(__)m