妖怪魔術士のねぐら

妖怪魔術士のねぐら

見えない世界、存在のことを書いています。

牡丹です・:*+.(( °ω° ))/.:+
昨日の夜に人と話していて、これは文章として残したい!と思ったので書きます。

「過去に傷つけられて、今も癒えずに残っている心の傷は治さなくても良いのか?」

他者からの言葉や態度、行動によって心を傷つけられた経験は、各個人で程度に差はあれど必ず誰にでもありますよね。

20年間自分達の心の傷を観察してきて、そこから色んな過程を踏んで、どん底から抜け出せたという経験から得たことを書きます(`・ω・´)

心の傷は、精神的な成長をする為に一番重要なもの。
治す・癒すという過程には、辛くて苦しいこともある。

そこで辛さから逃げて、楽な気持ちになれる現実逃避に浸っていると、どん底を永遠に堂々巡りすることになる。

それはどれだけ頑張っても、何も自分の為にはなっていないような、報われてはいないような虚無感。

幸福感・満足感は、仮初のものしか得られない。

(仮初のものしか知らなかったら、それを本物の幸せや満足感だと勘違いする場合もよくある)

人間的な成長には心の傷から生まれる他者への羨望、憎しみ等の感情と向き合い、「何故自分はそう感じるのか?」を徹底的に掘り下げていくことが重要だと私達は感じて実践し続けました。

「他者からの言葉で自分の心が反応した時、何故反応するのか?」という掘り下げを、徹底的にするのです。

以下は、あくまで私達がしてきたことをシンプルに書いたものです。

まずは一通りの感情を出す→それを客観的にみる→自分の心の状態をおおよそ把握→感情を出し切れるところまで出す→客観的にみる…

この繰り返しを、徹底的に行います。

一通りの感情を出すだけでも、一日で出すのは辛い時もあります。
そういう時は、次の日に持ち越して。
大体は出せたなと思ったら、客観的にみる工程に移る。

客観的にみるというのは、
自分を責めたり甘やかしたりする誘惑の多い沼(笑)にはまらない状態で、自分の感情を観察する。
(この沼にはまっている自分自身のことすら自覚しづらい。客観的には中々みれないのが、人間という生き物だから。)

これは私だけではなく表に出る人格全体の精神状態ですが、
「常に苦しく、希死念慮と戦いながら足取りが重たい状態」から、
「軽やかな足取りで自分の為に道を選んで進む状態」になりました。

過去の傷を放置すればするほど、膿んで悪化して、「こじらせる」。

こじらせると、過去にした自分の醜い行い、感情に「開き直り」というフィルターがかかります。
開き直るとどうなるか?

私の考えや、やり方は間違ってはいない。
今までこのやり方で、なんとか自分の精神を保ってきた。過去には、「自分が悪い」と思い込んでいたこともあったけれど、あれは思い込みだった。
だから悪くはない。
他にどんなやり方があるっていうの?

(ここで、他者からのやり方の提案や提示があったとする。)

そもそも心の傷を治すっていうこと自体に疑問を持ってる。
何故「治さなきゃいけないもの」として世間では扱われているの?
治すという行為は、心の傷をなかったことにする。心の傷は、それまで頑張って生きてきた証。
それをわざわざ治す必要なんて、ないよ。
治す必要があると、どうして私を責めるの?まるで私が罪人かのような物言いをされているように感じる。

という具合に…
他者からの提案や提示、ヒントが目の前に沢山あったとしても、全く受け入れなくなります。

自分自身に対してとんでもない勘違いをしたまま、更なる不幸への道を突き進みます。
(あ、これは本人にとっては幸せな道と錯覚してる場合もあるか。)

過去に負った心の傷によって出てくる感情と向き合うのは、なるべく早く取り掛かるにこしたことはない。

過去から学べることを知らない人は、ずっと思考停止したまま同じところを巡り続ける。
自分の進みたい道、望む世界を選べることを知らない。

過去から学んで自分の成長の糧とする尊さを知っている人は、自分の進みたい道、望む世界を選べる。