多くの人は、
・間違えていないかを確認してほしい
・誰かに支持してほしい
・転ばないやり方を教えてほしい
・正解や答えを知りたい

──そう願っている。

でも本当は、
「答えをもらうこと」よりも
自分で選んで、確かめていく力がないと
現実はあまり変わらない。



誰かがどんなに良い言葉を渡しても、
自分の中の
「決める力」「引き受ける力」が育たない限り、
得られるものは一時的。

どうやったら自分でやれるようになるか?
そこに向き合う覚悟がないと、
何も得られないのかもしれない。

そこへのその人に合わせたプロセスを
共有出来たら
もっとセッションが
有意義なものになるはず❣️

誰かが、少しでもホッと安心できますように😊
最近、
嫉妬の嵐みたいな時間があった。

(⬇️みなさんもこれが来たら良い方向に入ってます‼️
これは感情をやっと出してもいい許可が出たのである
小さい時からの無意識に押さえてきたものが、やっと顔を出していいかな?って感情が出るシステムです)

あれも
これも
それも。

誰かが(私の例)
痩せてるな
認められてるな
うまくいってるな
お金もらえてるな
人に慕われてるな

見るもの全部が刺さって、
「なんで私は…」が止まらなくなった。

正直、
この歳で
しかも年下の子にまで嫉妬してる自分が
情けなくて、恥ずかしくて、
余計に苦しくなった。


嫉妬って、こんなにしんどかったっけ?

嫉妬って
もっと一瞬のものだと思ってた。

でも今回は違った。

逃げても
考えないようにしても
「ちゃんとしなきゃ」って抑えても
どんどん増えていく。

まるで
感情のお祭り。

泣いて
悔しくて
怒って
寂しくて
置いていかれた感じがして。




そこで気づいたこと

この嵐、
実は「誰かのせい」でも
「性格の問題」でもなかった。

嫉妬を一つひとつ
ちゃんと見てみたら、
全部、同じことを言ってた。

「私も欲しかった」
「私もそうなりたかった」
「私も、ああ扱われたかった」

それだけだった。


嫉妬の正体は「願い」

痩せてる人が眩しかったのは
自分の体を好きでいたかったから。

認められてる人が苦しかったのは
ちゃんと見てほしかったから。

うまくいってる人にザワついたのは
私の人生も報われてほしかったから。

嫉妬は
意地悪な感情じゃなかった。

置き去りにしてきた願いだった。


無理に祝わなくてよかった

「大人なんだから祝わなきゃ」
「いい人でいなきゃ」

ずっとそう思ってたけど、
それをやるほど
心は苦しくなった。

順番が逆だった。

まず
「悔しかったよね」
「羨ましかったよね」
「そう思っていいよ」

そうやって
自分の感情を先に抱きしめたら、
不思議と少し落ち着いた。


嵐は、通り過ぎる

嫉妬を消そうとしなくていい。
直そうとしなくていい。

ただ
見て
わかって
否定しない。

それだけで
感情はちゃんと役目を終える。

また来るかもしれない。
でもそれは失敗じゃない。

本音が、生きてる証拠。


今日の結論

嫉妬の嵐が来たのは、
私が未熟だからじゃない。

人生を
ちゃんと欲しがっているから。

だから今日は、
無理に前向きにならない。

ただ
「そう思ってたんだね」
って、自分に言ってあげる。

嵐は、
ちゃんと過ぎていく。

今日はね、

イライラしていい日にした。


否定しなくていい。

理由も探さない。

「なんで?」は禁止。


ただ

イライラ祭り。


わっしょい

わっしょい。


「相手はこうで」

「私はこう思ってて」

「価値観の違いで」

とか、

そういう整理、今日はいらない。


だって

イライラしてるときに

ちゃんとした人になろうとすると

余計しんどくなる。


イライラは

ダメな感情じゃなくて

今ここに境界線がありますよ〜

っていうサインみたいなもの。


今日はそれを

読み解かない。

改善しない。

育てもしない。


ただ

太鼓鳴らして

神輿かついで

「はいはい来ましたよー」って

通すだけ。


イライラしていい。

否定しなくていい。

「なんだそー思うんだ」も探さない。


わっしょい。

わっしょい。




不思議だけどね、

ちゃんと祭りにしてあげると

イライラって

勝手に疲れて帰っていく。


だから今日は

反省も学びもなし。


イライラ祭り、

開催しただけ。


それで十分。