良識と常識を持った物言わぬ多数派は

例え同じような考え方をしていたとしとも

自らを省みる事なく、聞くに堪えない言葉で、集団で他者を罵る人々とは行動を共になどしたくならないし 話も聞こうという気にはなりません


いわゆる 「右」でも「左」でも それは同じです


今 多くの人が(実際はノイジーマイノリティかな) 自己の客観化なしに あるいは自分を棚上げして

その威力も知らずに言葉を乱暴に扱っている


歴史の流れの中で

世界地図(情勢)の上で

自分が何処に立っているのか知ろうともせず

その原罪にも気付かずに


『負』のお墨付きを与えられたもの、人を叩き続ける

人によっては 快感さえ覚えながら…

人を攻撃するって気持ちいいものね


批判が全く許されない社会や組織は恐ろしい

でも僕らは言葉を使って他者を肯定し 日頃の感謝を伝えなければならない

言葉を応酬させてあるべき姿を探し続けなければならない

そして時には批判し合わなければならないだろう

その時 自分自身を外す事なく…


あまりに自分を棚上げした言葉 歌 態度 言説が多すぎると思う


今回の原発の事で避難しなければならなかった方々 風評被害にあっている方々が東京電力の経営陣と幹部の人達に罵声を浴びせてしまうのは仕方がないと思う


自分が同じ立場だったらやはり同じ事をすると思う


でも そうでない人間が 今までたっぷり電力の恩恵に浴してきた人間が その事に感謝せず批判を越えた罵りを浴びせる事ができるのか?


ミュージシャンが


電気を大量に使う工場で生産された電気楽器や舞台装置を使い


電気を使ってつくられた衣装を着て

派手な電飾の下で思索の足りない反原発ソングを歌い


電車に乗って会場に集まったオーディエンスが一緒に声を張り上げ快感に酔う


20数年前も今も 強い違和感を覚える光景


いや今だとさらに傷んだ者に対する集団リンチのようにさえみえる


東京電力や経産省 政府にたくさん問題があることは百も承知

批判も仕方がないと思うし 多角的な検証もされなくてはならないと思う


安全保証(ミサイル攻撃、北朝鮮のテロ)から考えても『脱』原発しかないと思う


しかし すべては自分の態度からだし 言葉の使い方は選びたいものだ


電気をつくる仕事 それを送り続ける仕事 メンテナンスは命がけです


僕の職場でもたくさん電気を使わせて頂いています


まずは感謝からだと思う


日本人なら…

何故 評論家やコメンテーターが偉そうに

『東電は工程表を必ず守らなければならない』

なんて言えるのでしょう


『被災者の身になって』と言えば 何を言っても許される権力を手に入れたと深層で思っているのでしょう


今は少し落ち着いてきているそうですが、福島第一の最前線の方々が命を懸けて作業されている事には変わりありません

余震と津波の恐怖の中でこれから梅雨と夏を迎え現場の負荷は また少しずつ大きくなって行きます


無責任に机上の論理でつくられたものをマストタスクとして安全地帯からプレッシャーをかけるな


被災地への関心を持ち続けると共に作業員の方々とそのご家族 被災地と国境の自衛隊員 海保の方々 消防 警察とその方々のご家族の心に想いを致し続けていなければならないと思います



どうしても 工程を守らなければならないというのなら 次に作業員の募集がかかった時に真っ先に応募して自らが現場に行ってほしいです

ほとんどの人が原発の恩恵を受けてきたのですから…