昨日 母は89才の誕生日でした。

しばらく 実家に行ってなかったので

ご機嫌うかがいに お昼食べに行こうと 朝 電話して もう一人77くらいの従姉妹にも おごるから 一緒に

行こうと 言うと 「今日 高校の同窓会」というので 仕方なく

母を迎えに行き

母と ランチしました。

そのあと またまた 近所に住んでいる 別の従姉妹の家に 寄ろうと

母と行きました。

行くと ご主人が 従姉妹 入院したと言う!

もともと 肝臓は悪く 心臓も 悪く

ずっと 医大にかかっていました。

でも 家にいて いつ行っても

楽しく おしゃべりしてきていたのに


今回は お腹が痛くなり 救急車で

医大に行くと おなかに腫瘍が

できていて それが 破裂してと


その処置 手術をして

そのあと 私が メールいれていたので 電話がかかってきた。


もう 家には帰れないかも

この病院で 終わるかも!と



今日 聞くと 肝細胞がんの末期で

もう 治療がないから 緩和ケアの

病院に 転院をすすめられたとのこと

息子は 介護休暇が取れるから

少しでも 家に 帰らせてあげたいと



ここで ふと いろいろ考えさせられました。

事故にあった場合も 同じですが

ある日突然 自分が 家に

帰れなくなったら 急に ポンと

いなくなったら 困るよねっと

今日 娘に 保険の証書とか

引き落としのこととか 説明しておかないと いけないねと 私が言うと


あちこちに 置いてあるから

わかるように それを 

全部まとめて 一つの

引き出しに しまっておいて

紙にも 書いといて!なんて

冷たく 言われましたわ


やっぱり 急いで断捨離しなくてはと

痛切に 思いました。


私は 女の従姉妹が 6人いて

仲がよくて 時々 いとこ会したり

昔は 旦那さんも みんなで

夜 宴会したこともあるけど

最近は 従姉妹だけで集まって

ランチしたり でも 一番年の近い

従姉妹が 60才で 乳ガンで

亡くなった。

今回 一番上の従姉妹が リンパのがんというのが わかり そのいとこの

妹と 私の二人だけが そのこと

知っていて 他には 言ってなかったのに 突然 別のいとこの 肝細胞がんが 出てきて 何か 心が 痛いし

重い重い!


うちの 母も 従姉妹たち みんな

もう 親もいないから 叔母の

うちの母のところに みんな 立ち寄ってくれる。

母が 心配するから リンパの癌の

従姉妹の話はしてない!


姪が 二人も 末期癌とは

つらすぎるから 言えません


肝細胞がんの従姉妹のは 母と

一緒に 家に行って 入院したことを 

聞いているので 症状は 知らせてありますが 本当に 今は 二人に一人は 癌の時代と 言いますが

母も 乳ガンだし 私らも

いつ なるやら


毎日を 楽しく 笑って

過ごせたらなぁと 思いますねえ


母も 89才 

頑張れ頑張れ!と 願う。


先日 肌布団から 冬の掛け布団を 出して 全部 シーツかけた。


一応 毛布も 先日 干しました。

いつでも 使えるようにと

でも 今朝 何か寒くて 急いで

冬の掛け布団にかけた シーツを

はずして カバーが 毛布地の

カバーを また 全部に 掛けました。この前 かけたばかりのカバー

これ全部 洗うの??

数日前に かけたばかりなのに


でもまあ 寒いわ

ダウンの ジャンパーも出して

服も 数枚 半袖残していたけど

急いで 取り出して 思いっきり

冬服を 出しました。


夕食も もう 鍋を 3回ほど

しました。

頻度が 多くなります。




さっき 録画していた 泣ける歌だったか 見ていて 中森明菜の難破船を

彼女が 作詞作曲した 加藤登紀子の前で 涙を流しながら 歌っていた





やっぱり 中森明菜 きれいだわぁ

もう一度 彼女の歌っているのを

みたいなぁ  と 思ってしまいました。

寒い!

先日 あまりの急な寒さに あわてて

リビングのフローリングの上に

ホットカーペットの上に じゅうたんを ひいた。そして ソファーの上に

薄い毛布を 置いた!

まじ 寒いわ!どこまで 暖房をつけずに 我慢できるか

とりあえず 着込もうとは 思うが

娘や 孫が どこまで 我慢してくれるか??

でも 庭の 金木犀が たくさんの

花をつけ ほのかに匂ってくる

でも それも 一瞬で すぐに

木の下の 階段にじゅうたんのように

落ちるから ひたすら ほうきで

はかなくては!

この寒さなのに なぜか





桃の花が 咲いている???



よその県の 新聞は どうなんだろう? うちの県の新聞は こんなふうに 死亡広告?が 出る



通夜 告別式の日時や 病気療養中のところ とか  〇〇才で 天寿を全ういたしました。とかの 紹介があったり でも 以前と比べると この広告も ずいぶん減りました。
うちも 父の時は 載せましたが
まあ 行数にもよるし 親族の名前の数にも よりますが 確か この広告だけで かなりの料金でした。
それに この頃は 家族葬も 増えたため 新聞に載せると それを見て
たくさんの方が 来てくれたりするので 最近は 葬儀が終わった後 ご挨拶 として
「故人の遺志により 近親者にて相済ませましたことを申し添え お礼のご挨拶といたします。」とか
「連絡を差し控えさせていただきましたご無礼を何卒お許しください」とかの挨拶文を 見ることも多くなりました。
もう 近親者で 終わりましたの
挨拶も 載せない方の方が多いので
いつの間にか 知らない間に 亡くなっている方も たくさんです。
でも この広告で 初めて亡くなったことを知って 急いで お通夜 お葬式に行って お見送りができたりもします。

先日も 高校のバレー部の後輩の
ご主人が 前から具合が悪いとは
聞いていたけど 63才で 亡くなったのを 知ったり また 主人のソフト部の先輩で 先日も 家も近くで
会いに行って しゃべってきたばかりの方の 広告を 見て ビックリしたり  頭の血管が突然切れて 場所が悪く手術できなかったようです。
その方は 長男一家が 我が家から
近くのマンションに 引っ越した時の大家さんでもあり マンションの前の
畑で いつも 作業をされていたので
二人の孫のことも ずっと 気にかけていてくれて マンションを 出る時も 敷金も 礼金分も 返してくれたりとか いつも 気を遣っていただきました。
今日の広告も 94才 99才 90才の方や 病気療養中のところと ある方は 63才でした。
本当に もう いつ 誰が 自分が
いくつで 亡くなるやら わかりませんよね
母も あと 数日で 89才になります。胸に 乳ガンは持ったままで
(80過ぎてから ガンがわかりホルモン療法の薬だけで 今日まできています) 元気に畑仕事をして 
自分のことは
全部 自分でしてくれ みんなに
野菜もたくさん 分けてくれたり
梅干し らっきょうも いまだに
全部 作ってくれたのを もらっています。実家に寄れば おでんや
炊き込みご飯や ちらし寿司など
たくさんもらってきたり 今も
ホントに 何の世話も かけられずに
いてくれています。

ちょっと この頃 愚痴ってきてますが めんどくさい年寄りには なってきていますが それ見て 反面教師で
私は あんなことは 言わないでおこうとか 思いながら

先日も 実家に行ったら みかん どうぞと くれた。うちの弟が 持ってきてくれたと言うので 
「よかったね!みかん持ってきてくれる息子がいて!」と言うと
「一人しかいない親やも 週に一回くらい 来てくれても あたりまえよね!」何て言うから
「来ない息子なんて いっぱいおるよ!」と 言いましたが
弟は 接骨院をしているので土曜も仕事だから 日曜日には 必ず 実家に行くし 墓の掃除も 当たり前にしてくれる 親孝行な息子だと ホントに思うわ
私は 長女ですが いつも弟夫婦が
墓掃除もしてくれて 姉は あとで
お参りするだけです。

もう 母も 89にもなるし
いつ 何があるやら いろいろ
考えておかねばと 思います。
主人の両親の時も そうでしたが
先日の 主人の先輩の大家さんの葬儀も すごく ステキな遺影でした。
主人の両親も 今年亡くなった 伯母も ステキな遺影で みんな 金婚式の時に 撮った写真だそうです。
みんな そんなに 記念にスタジオで
写しているのかしら??
子供たちは 七五三だ 成人式だと
スタジオで写しているけど もう私らも 結婚式以来 写真なんて 写してないよね
うちの 母は 金婚式の時 父は
入院していたしで 写真など撮ってないし 父は うちの長男の結婚式の時の写真を 遺影にしました。
母も お棺に入れる 着物はこれよ!と 風呂敷に包んで わかるようにしてくれてます。遺影は これか これにしようか なんて言っていますが

そう言えば 今年亡くなった伯母は
二十歳くらいで結婚しているから
金婚式って70才ですよね  亡くなったの 確か 90才くらいだっよ
若い写真ですよね 

私も 73才の時に 金婚式で あと数年 写真なんて 撮るかしら??
私の友達は 絶対に撮りません!と
言いきります。金婚式なんか 行くもんか!と 
市町村で 金婚式の祝いの式典など
やっていて 翌日に新聞に 特集が出たりします。50年間 いろんなことがありました。とか 助け合って ここまで 来ました。とか 妻の支えがあって!とか  いろんな人生が ありますよね

いろいろ 考えますわ・・・