国谷は、恵里と響子を連れて世界で五指に入る病院と呼ばれるイギリスの病院に行った。
「前にもいったが、医療は一つの科にとらわれていては、決して真の意味での医療はできない。
そして、それを成すために重要なのが最新の設備と患者がリラックスできる環境だ。
患者の精神面は、治療するにあたって大きく左右される。
この病院は、その理想の全てが整ってるんだ。
それを、成している学長はアレクサンダー教授と同期でな。
アレクサンダー教授は、医療を自分自身が極めるのを一理としたが、ローエングラム学長は、一つの病院を誰もが理想と考えるような病院を作ることを一理にしたのさ。
二人ともこの病院で、多くのことを学んで、それを日本に帰ったらどういう医療をするべきなのか実践してほしい。
私は、これからアフリカに行く。
二人とも、よく医療とは何なのかを考えておくこと。
いいね?」
「はい。わかりました。」
国谷は、アフリカに行ってしまった。
二人だけ、取り残された中で国谷がどれだけ忙しい中、自分達のために貴重な時間を割いてくれてるのかを改めて理解できた。
この病院の医療は、本当に素晴らしかった。
医者の腕が、超一流なのを前提に内科的治療の研究、そして、外科的な新たな手術の技法、心療内科の充実性、救命の実力、リハビリの充実等どれをとっても素晴らしかった。
そして、何よりも凄いのが、病院が患者のために一体化してることであった。
日本では、考えられないことだった。
日本の大学病院では、必ず教授同士で派閥が作られ、常に科同士が対立している。
そこに、汚ない金が動き、自分の出世を妨げる存在を蹴落とすというくだらない権力争いを続ける日本では到底考えられないことだった。
どうして、いつまでもくだらない権力争いを繰り返すのか、どうして、一つの事に向かって一致団結して動くことができないのか、恵里はこの病院を見れば見るほど許せなくなった。
争いからは、何も生まないということに何故気づかないのか、権力争いをする全ての人間が恵里には理解できなかった。
響子も、理想の医療とは何かを考える中で、例えば医者の子供だから医者だとか、政治家の息子だから政治家、そういった世襲制が、今の日本を駄目にしてしまっているという事実、もちろん鷹が鷹を生んだのなら問題はないのだが・・・。
もちろん世襲制が、周りを安心させるという事情もあることも響子にはわかっていたのだが、だからこそ矛盾が生じるのでやるせない気持ちになるのだ。
権力争いも、そういったことからも起こる原因になるのだ。
跡継ぎが、たいした人ではない場合は、その跡継ぎを裏で操って利用しようとするものが現れた時、それが悪意を持った人であればその瞬間に全ては終わる。
響子は、このことを子供の頃からずっと考えてきたのだが結論はでなかった。
恵里は、やはり心療内科に特にこだわった。
患者の心を、救うことができなければ、どんなに病気や怪我を治療したとしても解決にはならないのだ。
響子は、もちろん外科を何よりも重視した。
人の命を救えるのが、外科だからだ。
そう考えるとやっぱり私は、父の娘なんだと実感し、苦笑いしていた。
二番目が、恵里も響子も内科だった。
内科的治療の発達が、より重病の患者を救うことができるからである。
三番目が、恵里は外科だった。
美紀の死によって、外科には限界があるということを思い知らされたからでもあった。
アレクサンダー教授や国谷のような本物の外科医なら、常人よりも多くの重病患者を救うことができるかもしれないが、常人ではおそらく救うことのできない患者の方が多いだろう。
だから恵里は、内科的治療の重要さを考えるのである。
響子は、恵里の影響で心を重視するようになったため心療内科が三番目だった。
恵里と響子は、癌病棟にやってきた。
二人とも、イギリスで一・二を争う外科医が、指導医としてついてくれたのだ。
二人とも、やり方は全然違った。
一人は、癌だとわかった瞬間にオペを考え、一人は告知を家族にすらしないで治療をした。
結果的には、今回は手術で二人とも助かったのだが、果たして患者に告知をするのが正解か否かということである。
指導医は言った。
告知するかしないかは、まず家族が、その病気を受け入れることができるか否かを判断しなければならないのだ。
患者が、どういう人間なのかにもよるが、出来る限り患者の前で病気の進行状況を聞かれた時、状況を患者に悟られないように芝居ができる必要があること、そして、影でどんなに泣いても重病患者の前では決して泣かないこと。
患者の精神面が、何よりも病気と戦う上で重要なのだ。
それを理解した上で、判断をする必要があることを指導医に言われた。
「響子、あなたがもし癌になったとしたら、告知してもらいたい?」
響子は、真剣に答えた。
「私は、告知をしてほしいな。
もし、私が死ぬ運命だとしても残された時間を大事に後悔のないように生きることができるでしょ。
だから、私は告知してほしい。
恵里は、どう?」
恵里は、苦笑いしながら言った。
「私は、隠し事されることそのものが嫌いだから、例え助からなくても告知してほしい。
人の命の尊厳を、考えたら告知はするべきだと思うんだ。
だって同じ生きるにしても、ありのままの姿でいれた方がより長生きできると思わない?
それに例え癌になったとしても、半年と言われた人が十年以上生きたケースだってある。
という事は、癌の特効薬がその間にできる可能性だってゼロじゃないと信じることができるから、私は戦えるよ。」
響子は、関心しながら
「さすがは恵里ね。
私もそう思うけど、仲には該当しない人もいるんだよね。」
「そうだね響子。
それを、見分ける判断材料を持ってくるのが看護婦の役目だと思うんだ。
看護婦が、患者や患者の家族と信頼関係を築くことに成功していればその判断はできると私は思うんだ。」
それが、看護婦の役割なのだと改めて恵里は思った。
「前にもいったが、医療は一つの科にとらわれていては、決して真の意味での医療はできない。
そして、それを成すために重要なのが最新の設備と患者がリラックスできる環境だ。
患者の精神面は、治療するにあたって大きく左右される。
この病院は、その理想の全てが整ってるんだ。
それを、成している学長はアレクサンダー教授と同期でな。
アレクサンダー教授は、医療を自分自身が極めるのを一理としたが、ローエングラム学長は、一つの病院を誰もが理想と考えるような病院を作ることを一理にしたのさ。
二人ともこの病院で、多くのことを学んで、それを日本に帰ったらどういう医療をするべきなのか実践してほしい。
私は、これからアフリカに行く。
二人とも、よく医療とは何なのかを考えておくこと。
いいね?」
「はい。わかりました。」
国谷は、アフリカに行ってしまった。
二人だけ、取り残された中で国谷がどれだけ忙しい中、自分達のために貴重な時間を割いてくれてるのかを改めて理解できた。
この病院の医療は、本当に素晴らしかった。
医者の腕が、超一流なのを前提に内科的治療の研究、そして、外科的な新たな手術の技法、心療内科の充実性、救命の実力、リハビリの充実等どれをとっても素晴らしかった。
そして、何よりも凄いのが、病院が患者のために一体化してることであった。
日本では、考えられないことだった。
日本の大学病院では、必ず教授同士で派閥が作られ、常に科同士が対立している。
そこに、汚ない金が動き、自分の出世を妨げる存在を蹴落とすというくだらない権力争いを続ける日本では到底考えられないことだった。
どうして、いつまでもくだらない権力争いを繰り返すのか、どうして、一つの事に向かって一致団結して動くことができないのか、恵里はこの病院を見れば見るほど許せなくなった。
争いからは、何も生まないということに何故気づかないのか、権力争いをする全ての人間が恵里には理解できなかった。
響子も、理想の医療とは何かを考える中で、例えば医者の子供だから医者だとか、政治家の息子だから政治家、そういった世襲制が、今の日本を駄目にしてしまっているという事実、もちろん鷹が鷹を生んだのなら問題はないのだが・・・。
もちろん世襲制が、周りを安心させるという事情もあることも響子にはわかっていたのだが、だからこそ矛盾が生じるのでやるせない気持ちになるのだ。
権力争いも、そういったことからも起こる原因になるのだ。
跡継ぎが、たいした人ではない場合は、その跡継ぎを裏で操って利用しようとするものが現れた時、それが悪意を持った人であればその瞬間に全ては終わる。
響子は、このことを子供の頃からずっと考えてきたのだが結論はでなかった。
恵里は、やはり心療内科に特にこだわった。
患者の心を、救うことができなければ、どんなに病気や怪我を治療したとしても解決にはならないのだ。
響子は、もちろん外科を何よりも重視した。
人の命を救えるのが、外科だからだ。
そう考えるとやっぱり私は、父の娘なんだと実感し、苦笑いしていた。
二番目が、恵里も響子も内科だった。
内科的治療の発達が、より重病の患者を救うことができるからである。
三番目が、恵里は外科だった。
美紀の死によって、外科には限界があるということを思い知らされたからでもあった。
アレクサンダー教授や国谷のような本物の外科医なら、常人よりも多くの重病患者を救うことができるかもしれないが、常人ではおそらく救うことのできない患者の方が多いだろう。
だから恵里は、内科的治療の重要さを考えるのである。
響子は、恵里の影響で心を重視するようになったため心療内科が三番目だった。
恵里と響子は、癌病棟にやってきた。
二人とも、イギリスで一・二を争う外科医が、指導医としてついてくれたのだ。
二人とも、やり方は全然違った。
一人は、癌だとわかった瞬間にオペを考え、一人は告知を家族にすらしないで治療をした。
結果的には、今回は手術で二人とも助かったのだが、果たして患者に告知をするのが正解か否かということである。
指導医は言った。
告知するかしないかは、まず家族が、その病気を受け入れることができるか否かを判断しなければならないのだ。
患者が、どういう人間なのかにもよるが、出来る限り患者の前で病気の進行状況を聞かれた時、状況を患者に悟られないように芝居ができる必要があること、そして、影でどんなに泣いても重病患者の前では決して泣かないこと。
患者の精神面が、何よりも病気と戦う上で重要なのだ。
それを理解した上で、判断をする必要があることを指導医に言われた。
「響子、あなたがもし癌になったとしたら、告知してもらいたい?」
響子は、真剣に答えた。
「私は、告知をしてほしいな。
もし、私が死ぬ運命だとしても残された時間を大事に後悔のないように生きることができるでしょ。
だから、私は告知してほしい。
恵里は、どう?」
恵里は、苦笑いしながら言った。
「私は、隠し事されることそのものが嫌いだから、例え助からなくても告知してほしい。
人の命の尊厳を、考えたら告知はするべきだと思うんだ。
だって同じ生きるにしても、ありのままの姿でいれた方がより長生きできると思わない?
それに例え癌になったとしても、半年と言われた人が十年以上生きたケースだってある。
という事は、癌の特効薬がその間にできる可能性だってゼロじゃないと信じることができるから、私は戦えるよ。」
響子は、関心しながら
「さすがは恵里ね。
私もそう思うけど、仲には該当しない人もいるんだよね。」
「そうだね響子。
それを、見分ける判断材料を持ってくるのが看護婦の役目だと思うんだ。
看護婦が、患者や患者の家族と信頼関係を築くことに成功していればその判断はできると私は思うんだ。」
それが、看護婦の役割なのだと改めて恵里は思った。