久しぶりにここに戻ってきました
SNSの普及とは怖いもので
当時自由と思っていたツイッターやインスタは、フォロワーが増えすぎて自由な言論ができません
自由が不自由になったのでここを使います
自分の知らない自分の話
あの子から見た私は、当時「天才」だったらしい
他の子の気がつかない法則に気がつく
たとえ1人の意見でも正しいと思うものを信じる
小学校時代の私は神童でした
集中力があり、人の話を聞いて情報を汲み取る力に長け、そして素直だった
素直故、先生の言うことは絶対だと疑わなかったから、何より優等生と思われていた
あの子はそれを羨ましがっていたかもしれない
悔しがってたかもしれない
しかし、彼女と私の差はそれから開き続けるのであった
何が違ったのか?どこで差がついたのか?
それは紛れもなく「悔しさのバネの使い方」だと思う
自分は出来るからか人に興味がなかった
誰がどうであれ、他人のことは見えてなかったのだろう
もっと他人と共に高め合う意欲、そして努力が有れば、今の自分ではなかったかもしれない
それが正しかったのか?と聞かれると、私はよくわからない
そこで差が開いたことは確かなのであった。
SNSの普及とは怖いもので
当時自由と思っていたツイッターやインスタは、フォロワーが増えすぎて自由な言論ができません
自由が不自由になったのでここを使います
自分の知らない自分の話
あの子から見た私は、当時「天才」だったらしい
他の子の気がつかない法則に気がつく
たとえ1人の意見でも正しいと思うものを信じる
小学校時代の私は神童でした
集中力があり、人の話を聞いて情報を汲み取る力に長け、そして素直だった
素直故、先生の言うことは絶対だと疑わなかったから、何より優等生と思われていた
あの子はそれを羨ましがっていたかもしれない
悔しがってたかもしれない
しかし、彼女と私の差はそれから開き続けるのであった
何が違ったのか?どこで差がついたのか?
それは紛れもなく「悔しさのバネの使い方」だと思う
自分は出来るからか人に興味がなかった
誰がどうであれ、他人のことは見えてなかったのだろう
もっと他人と共に高め合う意欲、そして努力が有れば、今の自分ではなかったかもしれない
それが正しかったのか?と聞かれると、私はよくわからない
そこで差が開いたことは確かなのであった。