4月になって
新しい生活が始まりますね。
私も新しい生活を始めたい!
あきえです。
よく、「良い人だね」と
言われて来ました。
「良い人」って響きが嬉しくて
褒められているみたいで、
もっと「良い人」になろうと
努力しました。
お陰で困っている人から
何かを尋ねられたり、
頼りにされる事も増えました。
嬉しい一方で、
「あなたは良い人そうに見えるから
誰も見ていない場所でも、
良い人らしい行動を取るべき」
「例えば、誰もいない場所でも
ゴミを拾ったり模範的な行動を取るべき」
と言われて
段々と苦しくなってきました。
私が、
私らしくいるのは
「良い人」としての行動だろうか?
ここ数年。
私に対しての要求が多くて
ついに、疲れてしまって
「○○すべき」という人たちから
そっと距離を取る事にしました。
私に対しての要求は、裏を返せば
その人の問題だったりする事に
気が付いたのです。
例えば、「良い人なのだから、
良い母親であるべき。」という人は
自分が良い母親でありたい。
自分が褒められたい。
自分と自分の母親との関係を
良い関係にしたい。という
承認欲求の裏返しである場合があって
私がどれだけ良い母親であろうとしても
いつまでも「もっと良い母親であるべき」という欲求は止まらないんです。
私が、私の子供達からみて
良い母親であるかどうかは
私の子供達が決める事であって、
他人からどう見られるか?
他人から見て良い母親であるかどうか?
というのは、別の話なのです。
(ちなみに、私は子供達と時折こういう話をしますが、概ね、私は良い母親であります。思春期だからこれから先、きっと過去を振り返り、悪い母親であったと言われる日が来るかもしれませんが、親子とはそんなものかもしれませんね。)
良い人を卒業したい私は、
良い人(相手にとって都合の良い人)を止めて、今年度はもう少し悪い人になろうと思います。
心が疲弊せず、
自分が「楽しい」とか「好き」を
素直に受け入れるような
そんな新年度を目指してみようと思います。
気を遣い過ぎて
疲れてる人は読んでみて下さいね。