ずっと、鮭が豊漁の村として育った。

 

自宅の稼業も水産物の仲買人で、水揚げされた魚を市場で買い、

 

小売店や中央卸売市場などに卸していた。

 

鮭の漁期、10月から12月の3か月が1年の半分以上の稼ぎだったのではないか?

 

過去のよき時代でした。

 

 

 

その鮭が不漁となった。

 

鮭以外も、サバも、サンマも、タコも、その他ほぼ激減した。

 

 

地球の温暖化で、環境が変わったので海にも影響したという定説が普通だ。

 

あるいは、他国の乱獲が、とも言う。しかしそれも一部の要因。

 

ところが、以外にも水産物の水揚げが減っているのは、

 

日本海域だけであるという。

 

温暖化の影響は日本だけの問題ではない。

 

日本だけが、水産業不況になっている。

 

おかしいではないか?

 

では、温暖化とか海の環境のせいであるというのはうそになる。

 

そう、まったくウソではないが、それは一部の要因のようだ。

 

 

温暖化のせいでもなく、他国の乱獲せいでもない。

 

原因は自分にあったという、そんな問題に思えてしまうのです。

 

 

人間による資源管理なしの、魚の乱獲でほぼ結論は出ているようだ。

 

現実に、乱獲をせず魚の子孫繁栄を科学的に管理して、

 

そのルールを作って実行している国の水産業は繫栄している。

 

日本は、そのルール作りに遅れているというより、

 

そのルールにすら、まだ至っていない。

 

 

ルールに対する考え方に、現場の人間がついていけない状態ではないかと思う。

 

恐らく、水産庁の官僚や技術者、専門家や学者は分かっているはずです。

 

こうすればいいという方法論は、答えは海外の実績に出ている。

 

分かっている人が制度を動かしていないから、実態と違う。

 

 

政治的な問題なのか、既得権益の問題なのか、両方か。

 

産みの苦しみもあるのかと思うが、それは政治が解決できるはず。

 

しかし、それを理解している政治家がいるのかも怪しい。

 

 

農業政策が間違っていたから米不足になったと最近ようやく政府が認めた。

 

 

農業はまだ、農家の人は間違いであると分かっていた人もいたような気がする。

 

漁業も変わりないが、海の中は見えない。

 

海にあるものをいかに多く獲るかという、博打に近いのが漁業である。

 

畑であれば、まだ生育していないのは残し育て、価値がでるまで取らない。

 

海のものは、生育していない小魚も獲る。

 

 

見えないし、網に入ってしまう。

 

安くても、獲ったものは金になる。

 

価値が低いうちのものを獲らないという方法が分からない。

 

漁業の成長している国では、その方法も確立している。

 

畑のものは余程不足していない限り、未成熟は流通はさせない。

 

 

成熟したものだけを獲り、加工をするので価値が高い。

 

しかも、船が港に入る前に買い手は決まり、

 

加工する側は、前もって量もわかるので効率よく仕事ができる。

 

そして、価値は高い。

 

 

人間も、子供が減ると人口が減る。

 

魚の子供も減ると、魚人口が減る。

 

産む存在が減るのだから、当然と言えば当然。

 

日本はその、魚の子孫繁栄の仕組みがないまま今日に至り、

 

水産業の衰退を招いている。

 

それでもまだ、変えていこうとする動きがない。

 

 

先進国で漁獲高が下方に推移しているのは、日本だけである。

 

これらの事実を知ったとき、

 

先進国でGDPが伸びていないのは日本だけであるという事実に気づいた。

 

農業政策も、水産業政策も、

 

経済政策の税制・消費税なども、日本は間違っていたのだろう。

 

そのために国民は苦しむ。

 

本来、この時点でアウトな政府のはずであります。

 

これは、政府による、人災と言ってもほぼ間違いではない。

 

しかし、国民も、政府も、政治家もそう思っていない。

 

一部の分かっている人が、「違う!」と声を上げても、

 

多くの間違った?声、

 

あるいは一部の人に都合の良い方向の声にかき消される。

 

 

 

米不足問題のように、気づくのは手遅れに近くなってから気づく。

 

世界と日本の「水産資源管理」の違いの本を読んで見て感じたことです。

 

 

なぜ日本は、こうも国民が苦しむ方向に舵を切ってしまうのだろうか?

 

今のままでは、普代村の漁業は希望がありません。

 

国が動くべき問題です。

 

それを動かすのは、現場の人間が事実を知り、正しく声を上げるしかないようです。