年度末の議会定例会が近づいている。
しかも今回は、村の定例会と、自分が籍を置く広域議会とがダブルで、村の定例会の途中に広域議会が入る状態となる。
能力が・・・![]()
よって、普代村定例会中の一日は休会となりますが、わたくしは頭が休めません![]()
広域の扱う議案の介護関係は、非常に我々の負担率、
また、ほとんどを占める中低所得者の生活費に影響するものです。
住民にとっては、切実に関係することですが、あまり関心を持たれません。
というより、持てないというのが実際です。
その時にならなければ、あるいは関係したことがなければ接することのない無関係なことなので、しょうがないかなと思います。
政治の問題満載ですので、なおさら関心持てないのですね。
蛇足ですが、最近、地域の高齢者サロンに週一の土曜日に参加させてもらっています。平均年齢は80ぐらい?か。80代が多いような気もします。
みなさん元気です。それと、楽しい。
わたくしも年齢的には高齢者ですが、一回り先輩方です。
2~3時間ぐらい一緒に楽しんで帰ります。
本題です。
介護保険料の他、老後の介護サービスの内容に至っては、まだまだ、改善途中です。
体制が、現状に追いついていません。
なぜ改善が進まないか考えるに、予算が全てにブレーキをかけます。
いかに公金を使わずに介護を完結するかということが最優先されます。
ブレーキとアクセル同時のようなもので矛盾しています。
その矛盾の解決を公金ではなく、国民負担で進めようとするのでますます行き詰る。
行き詰れば、ほとんどの場合しわ寄せは、声の届かない弱い国民に来る。
政府は財源がないからと、国民に財源を求めています。
すると介護保険料など国民負担率が上がり、施設の利用料が上がる。
そうなると、国民の財源は最後は「命」を差し出すこととなります。
そこで、国民を助けるのに政府と国民一人ひとりとでは、
どちらが財源を手当てしやすいのでしょうか?
政府は自らの意思で国債という財源を確保できます。
よくいう「借金が・・」という議論はとりあえず置いときます。
国民は、財源を手当て出来ない人も当然出てきます。
国民の中で「とりあえす借りておくか」という人は、そうはいないと思います。
借金できる・できないに、圧倒的な違いがあります。
国債は今までも、とりあえずの手段だったはずです。
それが借金であり、たまれば誰が返すのかと大議論にされます。
この「借金問題」は、本来我々国民の負担率とリンクしない、
別の議論にすべきものだと思っています。
別々の問題を、一緒にするので、国民にしわ寄せが来ます。
若者の負担と、高齢者の負担という対立でもない。
若者は、自分の老後はまだ想像できない。高齢者になることを想定しない。
高齢者は、自分の若者時代を知っている。若者に思い至ることができる。
そこは対立させるのではなく、若者も高齢者も人間としてセットで考えて欲しい。
若者は、高齢者を敵対的宇宙人のように思うのではないかと心配する。
最近、うまいことを言うなと思ったのが、
「政府は財源が足りないと増税しますが、
じゃあ国民側の財源は考えないのか?」
その通りだなと思いますがどうでしょうか?
今の財源議論は、政府が出さない為の大義名分になり、消費税増税や、
各種上乗せ国民負担の正当性を保証していて、国民の同意を得やすくなっている。
しかし、政府のこの借金はこれまでもなんとかなってきています。
政府は借金できるが、国民はできない人がいることを考慮しなければなりません。
今は「とりあえず」、
政府がもっと国民負担を下げるために借金して欲しいものです。
ということで、
この介護保険制度は、政府で決められた制度です。
すべて決まって、地方に運営が来ます。
それを、地方議会で訴えても、地方行政でどうにかできる裁量は末端の細かいことしかありません。
なので、質問の仕方が難しい。そして、むなしい![]()
行政側も、「色んな場で政府に要望していく」としか言いようがなく、
議会で結論は出ない。
大筋は国の制度として決まっています。
国会を見ても、野党はどうにもできないケースは多い。
地方に来る前に、国会で国民に負担ならないような制度に議論して、
地方ではその運用程度の議会でなければ、
介護保険制度の地方議会は議会として矛盾を孕んでいる。
介護保険制度も国会に提出された時点で、社会保障審議会でほぼ形ができています。
社会保障審議会も、予算の制約を前提にするので、方向は国民負担しかない状態だろうと推測します。
本当は、社会保障審議会の中でもっと柔軟な予算志向を持っている人が多ければ、
サービスも、制度も、国民負担も、すべての人にいい方向へいくと思うのですが。
すべては予算です。制度のみでなく、人材、資格者、報酬。現場で余裕がない。
