独島(日本名:竹島)は日本領だという日本政府の主張の虚構性を暴き続けてきた日本の独島研究者、内藤正中・島根大学名誉教授(83)が、16日に死去していたことが分かった。内藤名誉教授は、日本政府や非専門家が政治目的で主導している日本の独島研究に対し、学問的真実性に立脚して正面から反論してきた代表的な歴史学者だと評価されている。
内藤名誉教授は、島根大学で島根県の郷土史や経済史を研究し、日本政府から叙勲された著名な学者だった。内藤名誉教授が独島問題を研究するようになったきっかけは、学者としての純粋な好奇心からだったという。内藤名誉教授は、1993年に島根大学を定年退職した後、鳥取短期大学の教授になり、偶然独島関連の資料に接した。内藤名誉教授は生前、あるインタビューで「郷土資料館に独島に関する貴重な資料が多数あるのを発見した。資料があるのに、どうして研究せずにいられようか。研究すればするほど、日本政府の独島領有権の主張は虚構だということがはっきりした」と語った。
特に2008年、内藤名誉教授は、外務省が独島の領有権を主張するため発行したパンフレット『竹島問題を理解するための10のポイント』に正面から反論する著書『竹島=独島問題入門』(新幹社)を出版した。
内藤名誉教授は当時、あるインタビューで「外務省の資料集を読んで『あまりにひどい』という思いを抱いた。歴史的事実のうち、都合のいい部分だけを選び出して使い、不利な事実は完全に無視している。一方的で、粗雑な内容だった」と語った。内藤名誉教授は08年、本紙のインタビューに応じ、著書を出版した理由について「国益に反するとしても、真実を明らかにすべきという学者の使命感があった」と語った。この著書は、明快な論理と史料で外務省の主張に反論し、独島研究のバイブルとなっている。
例えば、日本政府が「日本は17世紀半ばに独島に対する領有権を確立した」と主張するのに対し、内藤名誉教授は、1695年に江戸幕府、1877年に明治政府がそれぞれ「鬱陵島と独島は日本領ではない」と結論付けた公文書を基に反論した。また、1905年に日本政府が国際法の「無主地先占論」によって独島を日本領に編入したという主張に対し、内藤名誉教授は「固有領土論と矛盾する。独島の領土編入は『暴力と強要による略取』で、国際法上無効」と主張した。
内藤名誉教授は『史的検証 竹島・独島』(岩波書店)などでも、独島の日本編入過程が抱える問題点を詳細に明らかにした。内藤名誉教授は、日本経済史を学ぶ中で、日本の鉄道やダムの多くが在日韓国人によって作られたことを知り、在日韓国人の民権運動にも参加した。内藤名誉教授の父は、朝鮮仏教史を研究した内藤雋輔(しゅんすけ)・岡山大学名誉教授(東洋史)だ。
内藤名誉教授のこうした活動に対しては、日本の極右集団が島根大学側に「名誉教授の称号を剥奪せよ」と要求するなど、圧力をかけてきたこともある。
■「独島は韓国領」、真実を主張した日本人研究者はほかにも
1965年の山辺論文が先駆け
日本には内藤正中名誉教授のほかにも、歴史的記録や国際法的研究から「独島は韓国領」ということを立証するため努力した研究者がいる。歴史学者の山辺健太郎(1905-77)はこの分野の先駆者で、65年に「竹島問題の歴史的考察」という論文を発表、独島は韓国領だと主張した。梶村秀樹(1935-89)元神奈川大学教授も、78年に発表した論文で、国際法的観点から韓国領だということを明らかにした。京都大学の堀和生教授は、87年に『朝鮮史研究会論文集』に発表した「1905年日本の竹島領土編入」という論文で、日本政府の主張に反論した。池内敏・名古屋大学教授も、日本で初めて独島を記録した史料とされる『隠州視聴合紀』(1667年)を再解釈し「日本の領土は独島までではなく、隠岐島まで」と主張した。
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