真人は踵で呼吸をする
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気をめぐらすということ

最近、元気がなかったので、全速力で走ってみた。

すると元気が出た。

特に胸椎のあたりがゆるんで、いい感じ。


で、ふと思った。

元気のない状態とは、気が不足しているというよりは、めぐっていない状態なのではないか、と。


気が沈んだり、あがりすぎたりする状態。とにかく気がどこか一箇所に集まっていると、変に躁状態になるか、元気がなくなっていくか、どっちかの現象が起きるのではないか。


だからあまり気を溜め込もうとするのもよくないかも知れない。

重要なのは留めずにめぐらすことだろう。


自然の状態であれば気はめぐるものだ。

できるだけニュートラルな状態を保とう。


と思っただるい月曜日の出勤の朝。

相手を動かす=自分を消す

昨日は河野智聖先生の心道講座。


相手の肩にそっと触れて一緒に歩く訓練をする。


これが難しい。


あくまでも相手を尊重して動いていただくのである。


しかしどうしても「歩かせよう」としてしまう。

自分を完全に消さないと、相手は動いてくれない。

自我の働きが、相手に反発する心を起こしてしまうのである。


「動け、動け」と思うほど、相手は石のように固まってしまう。


相手に「添う」ということはかくも難しいことか、と実感する。




成長の先に何を見据えるか

以前、まだ学生のときに、会社で新卒採用のリーダーをやっていたことがある。

うちの会社は変な会社で、まだ内定中で卒業もしていないような学生に、新卒採用を任せてしまうのである。


そのとき、いろんな学生と話す機会をもったが、その中でよく聞かれるのが

「いやあ、自分は早く成長したいんですよね。」

という言葉である。


続けて、そういう学生に夢や志を聞くと

「うーん、まだはっきりしてないんですよね」

というあいまいな答えが返ってくる。


そういう時、自分は「あちゃー」と感じる。


「成長」の定義は置いておいて、目標がないのに「成長」してどうするんやろ・・・


「成長」は手段でしかない。あるいはプロセスでしかない。大事なのはゴールだろう。ゴールがあるから成長のベクトルが定まる。目標のある成長とない成長では、そのスピードの差も歴然としたものになるに違いない。


これは自分への戒めもこめた文章である。


成長の先に何を見据えているか???


金?女?安定した生活?

単に自分の欲求を満たすだけならしょうもない。


折角、人生を賭けるなら、もう少しでかいものを見据えたい。


きっと、そんな奴はかっこいい。




蚊をたたいて、視野を広げる

今日は、公園で武術の稽古。

森の中でひたすら立禅(木を抱くように立つ中国武術の基本功)を行う。

半袖で立つもんだから、蚊が寄ってくる。

そして知らぬ間に、立禅の形を保ちながら、蚊が寄ってきた瞬間、たたき殺すという稽古に切り替わった。


蚊のわずかな気配を察知するには、本当に意識と身体を研ぎ澄ませておかねばならない。

ただしどこか一部分を緊張させてはいけない。たとえば肌が緊張していると蚊が止まった感覚がわからない。

かといって、神経が抜けていても食われてしまう。


身体全体をボーっと感じておく。しかし瞬時に動けるような漲りを内側に秘めておく。


この稽古が終えた後、世界の見え方が変わった。なんだか景色が広がったように感じるのである。

稽古の前に比べて、もっと広い景色が、奥行きをもって見えるようになった。きっと視点の偏りが消えたからであろう。


目前のあれやこれや追われていると、比喩ではなく本当に「視野」が狭くなってしまうものである。


んー、腕がかゆい。。





御岳に登る

連休中、御岳に登った。御岳とは標高3千メートルを超える日本の名山である。

実は、筆者は学生時代にこの山の山頂小屋で三週間ほどアルバイトをしていたことがある。

そのときに山の美しさに魅了された。

朝は雲海の中昇るご来光を拝み、夜は空いっぱいにびっしりと広がる星を眺める。

自分の原風景のひとつである。


自分を見つめなおすには、最高の場所である。

いてもたってもいられず出発。

ところが、登り始めは快晴だったのが、昇るにつれて雲行きが怪しくなってくる。頂上付近についたころには、2メートル先も見えないホワイトアウト状態。

結局、期待していた星空も拝めず、翌日下山。


下山中に3回ほど死にそうになった。

ガスが濃い上に、開山間もないつるつるの雪渓(雪原が谷底まで落ち込んでいる場所)である。一度足を滑らせたら、そのまま谷底まで落ちてお陀仏である。雪のわずかなくぼみに足をかけ、一歩一歩着実に進む。渡り終えたときにはほっと一息。

そのとき、ふと目を上げた先に、ガスの切れ間、雲海を望む。その美しさにしばし圧倒。命が充実する瞬間である。そんな時、自分についてのあれやこれやは全部消し飛び、ただ感動だけがある感じになる。


登山は死と隣り合わせである。しかし命を賭けるからこそ、得られる喜びもある。


・・・・・・・・今度はもうちょい晴れるといいな。



地力について

今日は「地力」ということを考えた。

自分がベンチャーで働く理由。

それは「地力」をつけるためだ。


「地力」とは、大人としてどんな状況においても動じない力。

いざというときに人に安心感を与える力だ。


「地力」はベンチャーでこそ身につく。

すべては自分の責任だから。

上司や環境のせいにできないから。

言い逃れできない状況、それがベンチャーだと思う。


ある意味、過酷な状況だ。

だからこそそこで過ごす一瞬一瞬が、自分自身を削りだし、

厳しさと懐の深さを生み出す。

それが「地力」になる。


そんな感じ。


ブログ始めました

ブログ始めました。

徒然なるままに思いを記していきましょう。


とりあえず自己紹介。


ライフワーク:武道、野口整体


好きなもの:ダイビング、釣り、山登り


なぜか「日本を元気にする」というベンチャー企業で、奮闘中。


まずはこんなところでしょうか。