以前に別の記事で書いたがADHD治療をしてみて身体に合わなくてやめた私が感じたADHD治療して良かったこと悪かったこと。
まずは悪かったことから
1.希死念慮が酷い
2.服用後動悸がする
3.服用後目がバキバキになる
4.服用後胃が痛くなる
5.夜飲むと眠れない
6.食欲が無くなりすぎる
7.ずっと気だるい
8.性格が大人しくなる
9.彩度が上がってものが見える
動悸と俗にいう「キマってる」感じってヤツかと思うような症状が多くてこれダメだなって感じだった。薬に身体が完全に負けていて飲み続けることを考えられなかった。
その他に初期には発生することがある希死念慮もかなりひどくて鬱の一番ひどい時並みにヤバかった。
むしろ鬱の一番ひどい時よりも変に行動力があるから鬱の治りかけの人が自◯してしまうのと同様ノリと勢いで◯にそうでかなり危険に感じた。I can flyしそうでマジで怖かった。
全体的に欲がなくなる感じがする。多動や性衝動が強い人にはいいかもしれないけどもともとおとなしめの多動系じゃない人が飲むとより静かになる感じ。
お口直しに良かったこと
1.自分の人生をより良くするためにチャレンジできた
2.確かにちょっと忘れっぽさや途中で他のことをしちゃうのはへる気がする
3.不完全な自分を肯定的に見れるようになった
4.グレーなままにせずに自分で選択できた
はじめにより良くするためにチャレンジ出来たことはすごく大きい。自分がADHDかを調べて薬を服用するには勇気がいるしリスクもある。
それを乗りこえて自分のためにやってみるということはまずすごくプラスになった。
実際飲み始めて多少忘れ物とかが減った気もするし、もしかすると治るかもしれないと思う瞬間がふとある。
その時に過去ADHD傾向で苦労したことを思い出したり、逆にこれから治った後の自分を想像したりした。
早く薬を飲めていて楽に生きられたら良かったのにと思いながらも、果たしてそれは自分なのか?という自問自答をあわせてしてしまう。
明らかADHD傾向が強過ぎて仕事やプライベートで重大な問題があるって人は身体に負担が少ないようなら飲んだ方がいいかもしれない。だれとでもセックスしちゃうとか暴れちゃうとか。
でも、軽微な忘れ物とかのおっちょこちょいや優先順位グチャグチャのとっ散らかったタスクをパワープレーで乗り切るところとかそういうのは病気として直す必要があるのか一つの個性なのかというとすごく難しいラインじゃないかなと感じた。
例えるなら整形と同じと個人的には思う。
病的な要因で形成が必要な人もいるけども、審美的に二重手術やプロテーゼ、骨切りまでして顔を整えることでメンタル的に満たされることを目的に行うのと同じような感覚。
それに薬を飲んでもミスはするだろうし完璧にはなれない。仮によく効いて仕事で頼られても薬が飲めなくなったら魔法が解けてしまう。
それに怯えて飲み続ける。
それは無限整形地獄と同じであまりヘルシーではないなと。
確かにこれまでおっちょこちょいで困ったことにはなってきた。いくつになってもギャー😱って騒いで謝り倒したり全力ダッシュしてきた。
理想のシゴデキで余裕のある落ち着いた人には程遠いw
でもそれがむしろ他の人が私を愛せる好きになっていたんじゃないかなってふと思ったのだ。
見た目がクソ真面目でうるさそなのにそんな人が本当にシゴデキで隙がなかったらとっつきにく過ぎるなと苦笑
結果として過去は確かに苦労してたけど今は個性として受け入れる方がいいかなと思うに至ったのでした。
服用チャレンジ自体は失敗したけど得るものは大きかったと思う。
ここに書いているのはあくまでも薬の耐性が無さすぎる私の例なので人によっては身体に不調が少なく効果がでる人もいると思います。
なんらかの参考になれば。