コロナ禍の中で色んな問題が世界で起きている。きっと知らないだけで常に問題は問題であり続けているんだろうけど。
この自粛期間で色んなことを考えた。
特に自分について、自分の価値について。
仕事がない分、私は何者でもない気がして苦しくなった。結局何にも持ってないんじゃないか、秀でて得意なこともなければ、自信があることもあまりない。そんな時に『書くこと』に助けられた。そして、今までの自分を振り返った。
周りに恵まれているって何度も言ってきたけど。ほんとに不思議なくらい。
でも、そうは言っても小学生時代意味のわからない嫌味言われたりとか、優等生だから、真面目だからいいよね。みたいな言葉もあった。
だからそういうふうに思われるのが嫌いだった。
だけど、私は信念に従い続けた。
嫌だったし、やめたかったのに。
学級委員とか、〇〇委員会委員長とか、生徒会会計とか、生徒会副会長とか、散々やったよね。
そして正当化した。真面目を体現したんだよ。
自分自身でも。納得させたんだと思う。
でも実際そのほとんどが、真面目というレッテルのおかげ?で、先生にすすめられてなったものだった。実際自分から進んでやったものって、小学生と高校生の時の学級委員長くらい。
先生とかそういう立場の人から推薦を受けたりすると評価してもらっている気がして、応えたくなってしまう。
結局、『やります。』と応えてからは早い。
生徒会に所属している自分と、仲間が大好きになった。特に高校の頃は同期にたくさん助けられた。
高校時代の生徒総会なんか、あんなに頑張って準備をしても意味わからないくらい早く散っていく。やるならやるで、高校生に生徒総会を意味あるものに思わせるためには工夫が必要なんだろうな。今になっては、どうしたら若い子たちが自分たちの生活を自分たちで決める権利がある。という自覚ができるか。そして、先生たち、生徒舐めすぎ問題も解決したい笑
そこから、英語と観光の勉強をするために専門学校に入った。ぶっちゃけ最初は設備とカリキュラムが良くて、ときめきが止まらなかったから選んだとも言える。でも、その通り、ときめきの連続だった。
一生に一度しかない旅行の思い出。
海外インターンの経験。
英語のスピーチという苦手と向き合った。出来ないなりに。
そんな学生時代を送ったわけだけど、
新しい経験は人を成長させることを当たり前のように思い出した。
私のここ2年弱の毎日は新しさが足りなかったのかな。ただ、私の今いる観光の世界は常に更新されているから、新しいものともよく出会う。
なのに、なぜこんなに壁にぶち当たってるんだろう。自分のいるべき場所を常に問いながら、そして、信念に従いながら、今年あと半分も歩いて行こうと思う。
