続終章


 「……遠山さんの買いかぶりですよ。ぼくはそれほど大した――」

 

 「《手嶋さんに間違いありません》《ぼくは知っている人の声を聞き間違えたりはしませんから》――とか何とかいったらしいじゃないか。きみが記憶力、いいのは分かるけれどこんなに力強く言うのは違和を感じるよ」

 

 「つまり?」

 

 「つまり、だ。……きみは意図的に佐々倉さんに対してこの情報を言ったってことになる。その理由はなんだろう?あたしはこう思うね……きみは佐々倉さんから手嶋幸恵が殺された話を聞いたそのときに、ことの真相――白坂菜摘が仕掛けたギミックと手嶋幸恵絞殺の犯人――について気付いてたんじゃないかな?ってね」

 

 ほとんど有無を言わせない口調だった。沈黙などこの占い師の前では無意味。ぼくは「別にその時点で全部気付いてたってわけじゃありませんよ」と、比較的正直に答えた。「その時点では証拠も何もない。ただの当てずっぽうでしたしね。こういう方法を使ったとしたら可能だっていう、それだけの予想でしかない。――けれど遠山さん、もしもそうだったとして、もしもぼくがその時点で気付いていたとして、……どこかに問題が生じますか?」

 

 「生じるね。別にあたしも《友達を庇うため》に嘘をついたってことなら、何も構うつもりはないんだ、誰だって友達のためには嘘をつくし、友達を助けようとする。だけれどここで問題なのはきみと白坂菜摘は友達じゃないってことだ。白坂菜摘の方がどう思っていたのかはともかく、きみはそう思っていなかった。ただの知人、ただクラスメイト。つまりきみは庇ったんじゃない。ただ単に保留しただけ」

 

 保留。何のための時間を?それは決断するために必要だった時間。与えるのか、奪うのか。

 

 「そしてきみはあの日、白坂菜摘を弾劾したわけだ。《お前はお前の存在を許すのか》 とかなんとか」

 

 「――まるで見てきたかのように言うんですね……精神官能ってやつですか?」

 

 「そんなもの使うまでもないよ。きみの言いそうなことくらい推測がつく。――あたしも如月くんと同じ意見でね。人を殺すような有象無象が良心の痛みで自殺するなんて、心の底から全く微塵も思わないのさ。後悔するような奴は最初から人を殺したりしないよ」

 

 お前はお前の存在を許すのか。明日また来る。十二時頃。返事はそのとき。

 

 返事はそのときに。

 

 「白坂菜摘は罪の意識で自殺したんじゃない。きみが糾弾したから――違うね、詰問したから、死を選ばざるを得なかった」

 

 「――ぼくが糾弾した程度で?――その程度で刺激される良心なら、最初から人なんて殺さないでしょう」ぼくは遠山さんの台詞をなぞって言う。「そんなことで自殺するなんて――」

 

 「だってさ、白坂菜摘が手嶋幸恵を殺したのって、きみのためなんだから」

 

 「…………」

 

 「ああ、《きみのため》ってのは言い過ぎかな。白坂菜摘が勝手にやったことなんだからさ。きみには一切の責任がない。要はただの嫉妬だしね。簡単に言えば」

 

 ぼくは答えない。遠山さんは続ける。

 

 「誰にも心を開かない、決して必要最低以上の距離に近付いてこないはずの手嶋幸恵。……けれど、きみに対しては随分と踏み込んだよね。初めて会ったその日の晩に」

 

 致命傷。欠陥品。似て非なるモノ。

 

 もしもあのときの会話を、菜摘ちゃんが夢うつつながらに聞いていたとしたら?さくらこさんとの会話のときのように、もしも菜摘ちゃんに、あのとき意識があったのだとしたら?

 

 「ネックストラップがなくなってた理由もそう考えたら分かるよね。どうして白坂菜摘がそんなものを必要としたのか。石川旬からのプレゼント。だけどきみは言っちゃったもんね。《似合うよ》とか、なんとかさ。他人のことを滅多に誉めたりしないきみが、そんな台詞を言っちゃったわけだ。だからそれを奪った。必要ではなかったけれどただ純粋に奪いたかったから、現場からそんなものを持ち去った。これも嫉妬なのかな。とにかく白坂菜摘は、きみと手嶋幸恵が仲良しこよしになってるのが気に食わなかった」

 

 「……だから殺したって言うんですか?その程度の動機で?ばかばかしい。そんな理由で殺されるなんて、殺された方はたまったもんじゃない」

 

 「その通り、たまったもんじゃないさ。だからこそきみは許せなかったんだろう?その程度の下らない理由で人間一人を惨殺した白坂菜摘を。そして責任をとらせたってわけさ」

 

 「ぼくがそんなことをすると思いますか?」

 

 「思わないね、これがもしもただの突発的な犯行だったなら、さ。《思い余って》の犯行だったら、多分きみは見逃した――許しただろうね。けれどそうじゃない。あれは計画的犯行だった。決して《酒を飲んだ勢いで》とかじゃない。だって、最初から凶器を用意していたんだから」くく、と笑う遠山さん。「きみだって勿論、リボンが犯行に使われたなんて思っちゃいないよね。石川旬からのプレゼントを包んでいたリボンが凶器だと如月くんには説明してたらしいけど、そんなわけないんだからさ」

 

 「それは分かりませんよ。あれはあれで、首を絞める凶器として――」

 

 「だって現場から無くなったものはさっきも言ったネックストラップだけなんだろう?警察資料にそう書いてあった。だったらリボンはなくなっていないってことだ。――つまり凶器は別にある。白坂菜摘が自殺に使った布が手嶋幸恵を殺したときのものと同じである以上。これはどういうことなのか?白坂菜摘は手嶋幸恵のマンションを訪れる前に、既に凶器を用意していたってことさ」

 

 「――つまり?」

 

 「つまり白坂菜摘は予測していた。きみと手嶋幸恵から似たような匂い。……雰囲気のようなものを感じ取っていた。そしてもし――その予測が的中した場合は手嶋幸恵を殺そうと、最初からもくろんでいたってことさ。そりゃそうだろうね、一介の大学生が咄嗟に思いつくギミックじゃないよ、これは」

 

 「――そうだとしたら、笑わせますよね」とぼくは微塵とも笑わない。「友達だ友達だと言っておいて……。たったそれだけのことで簡単に殺す。しかも友達だって思ってることに嘘はない。嘘はないんですよ、遠山さん。菜摘ちゃんは幸恵ちゃんが本当に好きだった」

 

 しかし、殺さない程度にまで好きだったわけではない。障害になったら容赦なく殺す。私のために死になさい。心の底から、実に素敵な神経だ、それは。

 

 「きみは少しの間迷ったけれど、結局白坂菜摘を断罪することにした」

 

 「断罪、ですか……。誤解を避けておきますけれど……、遠山さん、ぼくは別に自殺を勧めたわけじゃないんですよ。《勢い余って》自殺なんかしないように、菜摘ちゃんが落ち着くまで話を持ちかけるのを待ちましたしね。……少なくとも三つの可能性を彼女に示した。一つは自殺、一つは自首、もう一つは知らぬふりを決め込んで、ぼくに二度と関わらないこと。番外一つでこのぼくを殺すこと」

 

 ぼくは肩を竦める。

 

 「ぼくの予想では彼女は自首すると思ってたんです。……けどそうしなかった。ぼくが部屋に入ったとき、彼女は自ら死んでいた。だからぼくは……」

 

 「だからきみは自殺と分からないよう細工をした。……やっぱ遺書にはそんなこと、書いてなかったんだよね?《X/Y》を現場に残したのも、きみだろ?」

 

 その通りだった。菜摘ちゃんはぼくにそんなこと、一言だって依頼していない。あの《呑みこみ》は全てぼくの一存である。自首をしなかったというのは、罪を知られたくなかったということ。だったらその手伝いくらいはしてやろうと、ぼくは気まぐれを起こしたのだった。

 

正直に言うと責任を感じていたというのもあるが。

 

 「《責任》ね……、そういうのは事態を全く予想してなかったときに使う言葉だと思うけどね、あたしは」

 

「予想外だと思ったことは確かですよ。《予想外》――……実際予想外だったんです。ええ。ぼくだって如月や遠山さんと同じく、人を殺した人間が罪の意識で自殺するなんて、本当のところは考えてもいなかった。だから菜摘ちゃんが自殺しているのを見て驚いた。気分が悪くなったのだって。腹の中に消化できないものを詰め込んだからなにか、そうでないのか、実際のところは分からない。ぼくには本当に分からなかったんです、遠山さん」

 

 「……でも、白坂菜摘は罪の意識で死んだんじゃないかもしれないよ。きみに追い詰められたから、きみに本気で嫌われたから。きみを敵に回しちまったから、それで希望をなくして死んだのかもしれない」

 

 「もしもそうだったなら余計に腹が立ちますね。人を一人殺しておいて、それなのにその程度のことで悩み死に至るなんて。彼女は犯人になる資格すらなかった」

 

 「……ああ、責任を感じたっていうのはそういう意味かい。白坂菜摘じゃなくて手嶋幸恵にね……、そういうことか。なるほどなるほど、そういう概念ね……。しかしきみ、他人の好意に対して何も思わないのかい?方向こそはとんでもないところに歪んでしまったけれど、白坂菜摘がきみのことを好きだったのは間違いなく――」

 

 「あなたのことが好きだから自分のことも好きになれ、なんてのはただの脅迫ですよ。残念ながらぼくは相互主義ではないし――情欲で他人を殺す人間なんて増悪する」

 

 「――辰巳遥に対しても同じことを言うわけかい」遠山さんは神妙っぽく言った。「……あたしが一番感心してるのは、きみが最初からこうなることを――こういう結末を想定していたってことだよ。だからこそ辰巳遥に《ダイイングメッセージだ》と間違った情報を植え付けておいた。きみ、如月くんには《辰巳遥は勘違いしていた》とか言ってたけど、勘違いさせたのは実際きみなんだよね。仮に辰巳遥が白坂菜摘が自殺した後に事件を続けた場合にすぐにそれと分かるように。手嶋幸恵のマンションに忍び込んだのだって、ただ単純に《普通は知っているはずのない情報》を仕入れるためで、推理のためじゃなかった。一体いつから、どこまで視えていたのかな?」

 

 「――ただの保険だったんですけどね……、そこまで計算高くはありません。そんな《全てぼくの手のひらの上》みたいな言い方されるのは心底心外です」

 

 あくまでも殺したのは彼女で、殺されたのは彼で、自殺したのはあの子。結局ぼくは何もしていない。操ってすらもいない。他人の気持ちが少しも分からないこのぼくが、一体どうやって他人を操ったりできるっていうのだろう?

 

 「……佐々倉さんと高木刑事がね、昨日、辰巳遥を保護したそうなんだけどさ……。辰巳遥、自殺寸前だったらしいよ。屋上から飛び降りようとしているところをギリギリで助けたんだってさ。完璧に錯乱してて何言ってるんだか分からない状態らしいよ。今のところ。元に戻るかどうかは微妙なところだってさ」

 

 「……そうですか」

 

 「きみ、何か言ったんじゃないのかい?」

 

 「言ってませんよ」即答した。「言ったでしょう?ぼくは情欲で他人を殺す人間になんか興味はないんです」

 

 「さっきは増悪しているとか言っていなかったかい?」

 

 「聞き違いでしょう」

 

 「…………」しばらく沈黙してから遠山さんは言う。「どっちにしろ……それがたった一人ずつしか殺してない人間を断罪して、老若男女容赦なしの如月くんを見逃した理由か……。与えるか、奪うか。ね……。きみってやっぱ、残酷だよね」

 

 それから遠山さんはぼくの瞳を覗き込むようにする。自然目が合った。その瞳は酷く暗いように見えた。

 

 「なんですか?」

 

 「白坂菜摘の遺書には本当は何が書いてあったんだい?」

 

 「…………」

 

 ぼくはちょっと黙ってから、

 

 「一言だけでした」と、言う。

 

 「へえ。どういう一言?」

 

 「……《助けて欲しかった》」

 

 「嫌な言葉だね、それ」遠山さんは笑った。「嫌でもココロに残ってしまう。きみの場合は特にかな。告白されたっていうのが最後の記憶なら綺麗なもんだけど、最後の言葉が恨み言とはね」

 

きみはこれから一生白坂菜摘のことを忘れられないね。と冗談っぽく言った。

 

 「佐々倉さんの方にはあたしから手を回しておいてあげるよ……きみにはお咎めがいかないようにね」

 

 「お咎め?何のですか?」

 

 「手嶋幸恵の件にしても真実を詐称して白坂菜摘には自殺を勧めてしかも証拠隠滅、その上真相を隠匿したままで辰巳遥にチョッカイをかけたお咎め。普通ならただじゃ済まないだろうけど。あたしが世話を焼いてあげるよ。きみは貸しを作っておいた方がよさそうだしね」

 

 「佐々倉さんにも似たようなこと言われましたよ」

 

 どうやら話は終わったようだ。ぼくは立ち上がり、その場を去ろうとする。

 

 「じゃ、また会おうね」

 

 「もう会う機会なんかないんじゃないですか?」

 

 「そんなことはないさ。きみとは仲良くしたいしね。あたしのことも一条みたいに名前で呼んでくれてもいいんだよ?」

 

 そう言った遠山さんの顔に、邪悪な笑みはなかった。

 

 「さようなら。遠山さん」

 

 この人とはまた会うのだろう。そしてまた、彼女はぼくの裏側を暴くのだろう。お決まりの邪悪な笑みをうかべて、既に終わっている物語を更に終わらせるのだろう。

 

 廊下を歩き、外に向かうぼくに「X/Yが残されていた理由きみはどう考えているんだい?」と遠山さんは訊いた。ぼくはつまらなそうな顔つきで、「自分で分かっていることを他人に確認しないでください」と言った。そしてドアを引き、外に出る。

 

 帰りはバスか何かで帰るかと、期待も憧れもない未来のことを考える。

 

 「未来への憧れ……ね」

 

《X/Y》。菜摘ちゃんがどういう思いで、それを残したのか。まるでダイイングメッセージのように、幸恵ちゃんの身体の脇に、それを残したのか。それは本当に予想でしかないが、予想はつく。

 

 菜摘ちゃんは多分、幸恵ちゃんを殺したくなかったのだろう。勿論遥ちゃんだって、旬くんを殺したくはなかった。

 

 「……だけどぼくは」

 

 だけどぼくは、菜摘ちゃんも遥ちゃんも、本当は殺したかったのかもしれない。鏡の向こうのぼくは殺人鬼なのだから。

 

 何にせよ、彼女の残した矛盾を孕む記号は、きちんとぼくが受け取った。だったらそれでいいじゃないか。惜しむべくは、それが鏡の向こうにしか届かざるを得なかったことだが。

 

 《そんないっくんのことが、大好きです》。だから、《助けて欲しかった》。

 

 それに対してぼくが抱いた答えはたった一つ。菜摘ちゃんに送りたかった言葉は唯一だ。それは多分、幸恵ちゃんがぼくに向けたかった言葉と同じ。そしてそれは、確かにぼくにこそふさわしい言葉だった。

 

 『甘えるな』。