記録。
母と家族の癌治療の
戦い。
読みたくない人は是非スルーを。
長くなります。
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絶対にこの日
4月18日のことを
忘れないように。
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19時半、
ションちゃんとお風呂を済まして
ハンちゃんの授乳中に
『ピーポーのおとするねぇ』と。
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まさか自分の母がのっているとは。
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その10分後、
兄から母の意識がないと心配停止との連絡。 .
来る時がきてしまったのかなって
一瞬思って
涙すら出なくて、
パパに電話した時にどっと堪えた涙が
出てきたのを覚えてる。
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その瞬間、
ションちゃんが
『どうしたの?ママ?大丈夫?誰がやっちゃったの?』
って。
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笑顔で、大丈夫だよって答えて。
はんちゃんのおむつ替えをして、
手は震えて
母の元に行きたい気持ちを
グッと抑えました。
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パパが飛んで帰ってきてくれて、
まだ救急車止まってたから
急いで行けと、
出際、何を察知したのか
ションちゃんが
私に『ママぎゅー』って
言ってくれて、してくれて、
思うことがあったのかなぁ。
今思うと。
それで
入れ替わりで走って、はしって。
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住んでる所は
実家のマンションの真隣。
3号館まであってその並び。
もちろん全てはこの時の為って
言っても過言じゃない。
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母の元に行ったら、
兄が母の隣に。
なんとか目を開けて意識があった。
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主治医の先生の説明とか
諸々のことは
私の方が詳しいから
兄に変わって母の病気の説明を1から。
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そして、
待っていましたと言わんばかりに
《コロナ》の洗礼。
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心配蘇生から、
5分足らずで救急車は来たものの
世間で言う
コロナの医療崩壊で
受け入れ先が20分経っても決まらない。
もう怒りを通り越して
本当に祈る思い。
近くの大きい病院も全部ダメ。
嘘みたいな本当の話だよ。
何故このタイミングで私達なのって。
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結果、母の治療先
日赤、埼玉新都心まで救急車を
走らせることに。
普通に走らせれば
1時間弱はかかる場所。
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救急隊に
コロナのこともしこたま聞かれた。
新生児もいるから
母の病気のこともあるから
家族で常日頃から万全にしてたので
絶対に大丈夫ですって。
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でもね、救急隊の人は
誰一人最初から
顔を母から遠ざけることなく
懸命に母の顔の様子、
耳元大きな声で叫んでくれてたよ。
コロナのこと聞く前から。
もう、頭が上がらない。
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幸いにも走らせる救急車の
中で言葉も喋れるほどに戻りました。
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日赤に着くと、
救急車が入る地下には
既に白い大きなテントがありました。
テレビで見てたやつ。
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わたしは1人救急車に乗り込んでいて
待ち合い室に通されて、
しばらくすると、
中からドクターが出てこられて
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『お母さんのマスク持ってますか?』
とのこと。
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『持ってません!!
買ってきます!!!』
と私。
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『娘さん、
マスク今どこにも売ってないんです。』
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と言われて
初めてそこで、
あっそっか。
コロナ騒ぎでいつもその辺にある
マスクすら買えないんだって気づいて、
院内でこんな状況でもマスク
貰えないんだって思って。
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お分かりの通りとっさに出てきたから
自分のマスクはしてても母の分は
持って家から出てきていない。
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後発からくる兄に頼んで。
伝えて。
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『こんな状況なんでお互いにマスクが必要で』
って言われて、
まさかドクターにマスクをくださいなんて
言わせてしまった事にもう
なんだか、なにも言葉もでなくて。
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色んな検査を終わって、
ドクターから
話を聞いて。
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納得して、改めて恐ろしい
病気だなって思って。
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昨日は、そのまま意識も戻って
喋って、
何とか歩けるから
帰宅。
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普通なら帰宅じゃない、
入院だよね。
そう思って父も荷物をまとめて
持ってきた。
とっさに出た私たち家族には
コロナの頭なんて無いから。
病院にいるより、
自宅のほうがコロナより
遠いから安全。
安心だし、そういうことみたいで。
愕然とする。
でもなんかどこかで
ホッともして。
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今は歩いて会話もしています。
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今回は、
自宅に警視庁に務めていた
訓練に訓練を重ねた父が
心肺蘇生を施し、
たまたま兄がいて、
手を止められない、手があかない
父にかわって救急車を呼べた。
父に代わってロビーにある
AEDをとりにいけた。
救急車がたまたま出払って近くにいた
奇跡が全部重なった。
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それがなかったら
取り返しがつかなかったと思う。
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病院の受け入れで
コロナのせいで
身の毛もよだつ思いをしたけれど、
一切の手を抜くことなく
母に当たるドクター達を
目の前で目の当たりにして
為す術もない私は
ただ涙を流して
『本当にありがとうございます。』
って何度も、何度も
感謝の気持ちをつたえることしか出来なかった。
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これが今回の現状でした。
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後半へ続く。
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