2025年9月30日締め切り、9月30日にネット応募した詩1篇が、文芸大賞になりました。
主催は岐阜県なのですが、全国公募のコンクールです(なので埼玉県民の僕でも応募できた)。
本当は12月末に郵送で通知が来て、文芸大賞受賞はわかっていたのですが、いわゆる緘口令(かんこうれい)というものが布(し)かれていたので、このウェブログでの発表は、表彰式(3月7日)後の今日になりました。
有難いことです。
作品応募時には、こんな賞になるとは思ってもいなかったので(自分では前回入選になった作品のほうが思い入れがあった)、通知を頂いた時には正直びっくりしたのと、どこが評価されて文芸大賞になったのだろうという戸惑いにも似た気持ちが湧き上がってきました。
それを確かめるには、表彰式のあとにやる「作品講評会」(審査員の先生がたが出席して、作品のどこが良くてどこが駄目だったのか講評される会)に出るしかない、と思い、お金を貯めて現住地の埼玉から式典会場の岐阜まで行ってきました。
余談ですが、表彰式のあとには、プロの朗読者(元テレビ局のアナウンサーで現在も朗読やアナウンスを生業(なりわい)とされているかた)にプロの伴奏者(現ピアニスト)が、僕の詩を読んでくださり、それがあまりに素晴らしく、
「えっ、これが僕の詩?」
と、びっくりしてしまいました。
さて講評会では、一般の部の審査員と小学・中学の部の審査員がいっしょになって、僕の詩の感想と、評価・分析をしてくださいました。
後学のため、僕はそれを一言一句書き漏らさないようにノートに書き記(しる)しました。
ここに作品も載せずに講評を書くのも変なことですが、一応、作品集で述べられていることを転載します。
「風鈴」というタイトルの詩を書いたのですが、
『母が認知症になり徘徊する経緯や、「僕」が介護し看取った心境が描かれています。そのなかで、風鈴が作品の導入として自然に作用しています。「風鈴が鳴っている」からの二連、三連は、現在と過去が混在している母の意識の様子と共に、幼い僕が父母と行った縁日、その遠い日の三人のなつかしい姿が印象的です。思い出もいきいきと描かれています。オノマトペの「カランカランコロンコロン」も効果的で、構成や展開もスムーズで無理がありません。作品には詩情が漂っています。』
ここで自分自身が驚いたのは、「詩情」が漂っていると書かれた点です。
これは、僕がずっと「詩情って何だろう」と思い、頭で理解していないまま、常にもやもやしながら詩を書いていたので、他人から「詩情が漂っている」と評価され、うれしいはうれしいのですが、いささか困惑しています。
ただ、よくわかったことは、「詩情」って、書こうと思って書けるものではなく、書いたあとから自然に漂ってくるのだなーということです。
あと、小中学校の部の審査員の先生から、ちらと「散文詩」という言葉も出てきました。
これは先の「詩情」とともに、「散文詩って何だろう」という、僕にとって詩作の二大疑問のひとつでした。
気がつけば、散文詩的なものを書いていたんだな、と思うと、これも意識して書こうと思って書けるものではなく、作品を書いた結果、それが散文詩だった、と自分でもわかったようなわからないような、疑問が解けたようなまだ解けないような、でも何となくうれしく感じました。
最後に、僕のホームページ(詩を書き始めてからこれまでの授賞歴が書いてある)を見てくれたであろう審査員の先生から、
「もう文芸祭(に応募するの)は終わりにして、これからはもっと高みを目指しなさい」
とアドバイスされました。
僕もそのことはずっと思っていたので、今回の受賞をもって、これまで自分の詩の勉強の成果を確認するための、文芸祭で「武者修行」することをお終(しま)いにしたいと思います。
でも、他にあるコンクールには挑戦するよ、更に自分の詩のレベル向上のためにね。
ここまで、お読みいただき、ありがとうございました。