いいんです、これでいい

いいんです、これでいい

わたくし蘇武(ソブ)は2018年4月から詩を書き始めました。今は、ふと思いついたときに書く程度。いいんです。それでいい。
※思うところあって、2023年5月10日より「蘇武 家人」から「蘇武 羊」に改名しました。いいんです、これでいい。

自称究極の超私的音楽感想家。しかし音楽の仕事は回ってこない。人生そういうもの。
今はクラシック音楽を聴きながら、ひとり静かに詩を書くのが至福の時間。
ここは主に技術向上のため武者修行(コンクール)に出した自作の詩の結果を忘れないよう、備忘録として使っている。
詩作品はなるべく載せないようにしている。理由は、AIに窃用されたくないから。
心が狭い?いいんです、これでいい。


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もうすぐ締切りの明石市文芸祭の詩の部門に、詩がかけてすぐ、8月11日にネットで応募したのだが、後悔することしきり。

 

ひと言で言えば、推敲不足。

 

もっと言えば、推敲以前に土台からなっちゃいない。

 

何でそういう拙速なことをするかなー。

 

読み返せば読み返すほど、書き直したくなる。

 

いつもそうだ。

 

詩に限らず、どんな芸術作品も、醸成期間が必要だと僕は思っている。

 

どんな化学変化が起きるかわからないからだ。

 

その変化は実に内向きで、作った者にしか気づけないほどのことかもしれない。

 

でも、その気づきがとても重要なことなのだ。

 

放っておくと、腐ってしまい、お客様(読者)に出せない代物になっている。

 

いや、僕の場合、最初から腐っているのだろう。

 

腐ったものを平気で出した自分がとても恥ずかしい。

 

賞を獲るとかそういう話ではなくて、もっと大もとの話だ。

 

そんな代物を、

 

「はい、蘇武羊の作品です。」

 

と、自ら差し出すこの破廉恥さ。

 

穴があったら入りたくなる。

 

「恥だのなんだのと、そういう風に考えているから、いつまでたっても詩が書けないんだよ。」

 

別な自分が、そうささやく。

 

うん、一理ある。いや、十理ある。

 

でもね、カッコつけの自分には、自分の恥が耐えられないのだよ。

 

そう言えば、以前、ツイッター上で頻繁にいい詩をアップロードする詩作の友だちとお話したところ、

 

「ツイッターで詩を発表するのは、野球で言う『素振り』のようなもの。」

 

と言われ、ハッとしたことを覚えている。

 

そうだよな。

 

あの大谷選手だって、バッターボックスにいきなり立って、たくさんのホームランを打っているわけではないもんな。

 

そのレベルに到達するまでに、どれほど鍛錬してきたことか。

 

それこそ、花巻東高校時代から、いや、野球を始めた頃から、きっと数えきれないほど素振りをしてきたことだろう。

 

それを、なんの練習もしないでいきなりホームランを打とうとして、三振した自分を恥じているなんて、へそで茶を沸かすほど、ちゃんちゃらおかしいこと。

 

そのこと自体を、ほんとうは恥じなきゃいけないんだ。

 

「おい、蘇武羊よ、お前ってやつはほんとうにちっちぇえ人間だな。」

 

あ、なんか聞こえてきたぞ。