Okamotoのブログ

Okamotoのブログ

32歳、無職。さて、何しよう。

Amebaでブログを始めよう!
上京して1年半。

高卒・無職・無資格・32歳独身・ワープアだった私は、

高卒・無資格・33歳独身・デザイナーになりました。


2012年の1月に奇跡的に今の会社で働き始め、
広告デザイン、タレントさんとの撮影、著名人のパーティ。。
田舎では一生出来なかったであろう
シンデレラストーリー的経験をさせて頂いています。

社長が拾ってくれなかったら、
人事が私を面接してくれなければ。。
感謝の気持ちでいっぱいです。

そんな奇跡的な人事だったため、
周囲のPRはもちろん大学を出た立派な人ばかり。

ひらがな表記部分が漢字になっていると、
その部分の画像を添付したメールを部署内に回され、公開処刑。
時には修正して下さいと50ページ以上の紙を渡され、
「そんな基本的な事もわからないなんて恥ずかしい」「非常識」だと罵られ。

甘美な悩みです。

嫌みでも何でもなく、本当にありがたい。


それ程、転職活動というものは
自分を無意味に感じさせるつらいものでした。

春で、就職・転職シーズンかと思いますが
私のような例もあります。

今の会社は年商180億円の大きな会社で
本社勤務・正社員ですが

おととしの私の年収は170万円にも満たない
ワープア中のワープアでした。
(そこで4年間働いていました。契約社員です。)


人生、何が起こるかわかりません。


今まで、上司や役員や社長なんて、仏頂面で愛想もなく
嫌われているものだと思っていましたが

上司は理解が有り、やりたいと思った事は全てやらせていただき、
役員はいつも笑っていて話が面白くチャーミング。
社長にいたっては、今や一番信頼でき、常に悩みを相談できるメル友&飲み友です。
(という表現が他の人から失礼とか非常識と言われる原因ですが、
他にどういう、しっくりした表現があるのか言葉を持ち合わせていません。)

直属の上司や社長のやさしさに触れ、何回泣きそうになったかわかりません。

そういう事もあるのです。


また、去年の9月、私はインテリアの賞をいただき
母を海外旅行に連れて行く事ができました。

おととしまでの生活を考えたら、一生できないような事です。
実際、33歳の今になるまで母と二人で旅行さえ行った事がありませんでした。

父や母の誕生日にプレゼントを贈る事が出来るなんて
本当に泣きそうです。


その話を社長にしたら、「良かったねえ」と言ってただ笑っていました。


人より、少し時間がかかってしまいましたが

今はとても落ち着いた気持ちで生活できています。

転職して1年半、「その後」のご報告でした。
面接に行ってみなければ、わからない。


本当にそう。


私には学歴も資格もない。

持っていたのは
1冊のポートフォリオだけ。


競うのは
デザインの現場で働いていた
実歴のあるキャリアの人々。
クライアントに
バンバン有名な会社の名前が出てくる。

受かるはずないと思いました。

それにゴージャスな会社のインテリアを見て
やりたくないな、とも思った。
こういう時代じゃないのだ。

だから、広報誌を見て正直に言った。

「これを作るならやりたくないです。」

じゃ、あなただったらどうするの?と聞かれ、
思った限りを遠慮なく全部話した。

もう、面接なんて関係ない。

単なる外部の一般人の客観的主観。

バイトに行く前に寄ったので
私はジーパンにボーダーのカットソーでした。

「おんしゃ」どころか、
立派な敬語も尊敬語もない。

全部自分の言葉で伝えました。

・・・5分後。

「じゃあ、それ全部やってよ。」

にっこり笑って彼女は私に言いました。

会社の批判をしたのに。

「学歴や技術なんていらないの。センスが欲しいの。」


ドラマでも
映画でもありません。

一切話作ってません。

誰かの脚本でもありません。

・・・や、

神様が演出家で
脚本家かもしれない。



私の思考回路は停止しました。

そんな事言われたの初めてです。

急に胸に
何かが込み上げました。


目の前にいるのは
見ればすぐ
美容業界にいることが
想像つくような
綺麗な大人の女性。

目をキラキラさせて

「あなたが言ってる事、
ぜひうちでやってほしいの。

社長面接に来てみて。

会ってみてもし嫌だったら
断ればいいじゃない。

とりあえず社長に会ってみてよ。」



言うのです。





一時間半話して帰る時には
私の気持ちは180度変わっていました。




絶対ここで働く。


人事との運命の出会いです。







6月下旬に会社を辞めると決めて、

8月に会社を辞め、
web エントリー
20社ほど。
1ヶ月間で面接にこぎつけたのは2社だけ。

9月に生まれてはじめて東京に来て

シェアハウスで暮らし
12月まで3ヶ月間

レジュメは約20社
面接に行った会社は7社

就職活動に疲れ
12月にバイトをはじめ

賃貸アパートを借り

一人暮らしをはじめ



12月下旬。

私の夢は叶いました。


東京で、一人暮らしで、
正社員で、デザイナーです。


信じられない。


実は

誕生日に内定を頂きました。

これは人事の演出ではありません。




私は東京で32歳になりました。



私の10歳の時の計画は


勉強もしたくないし、こんな家早く出たい。
(両親共働きで、喧嘩ばっかりだった。)
このご時世アパレルは食っていけないし
大学出ても仕事が無いから
高校出たらすぐ地元の安定した企業で働いて
正社のOLやりながら集英社に投稿して漫画家になろう。

と、いうものでした。

「漫画家になる。」という事以外の夢は捨て去っていました。



けれど、26歳の時
このまま人生が終わるなら
安定した職より
自分のやりたい事全部
チャレンジするべきだと思い、

高卒なのに

せっかく8年間勤めた会社を辞め



でも、そのおかげで

給料は3分の2になってしまったけれど


憧れのショップ店員をし、
ディスプレイを担当し、
運命の人に出会い、
写真で賞をもらい、
アメリカを車で旅し、
父の仕事に通訳で同行し、
飲食店の店舗デザインをし、
世界中に友達が出来、
英語で外資にプレゼンし、
集英社に原稿を持ち込み、
シェアハウスで共同生活をし、
東京で一人暮らしをし、
デザイナーになった訳です。


こう、字にしてみると
まるでリアルじゃない。
自分の人生じゃないみたい。

月9の主人公かと思うような
絵に描いたかのような
ストーリー。。。


英語の成績2だったし
英検4級さえ持ってません。

背も低いし顔ぶつぶつだらけだし
どう考えても美人じゃないのです。

何度も言いますが
高卒で無資格で32です。


でも、

ほかに言葉が無いので
言い古された台詞ですが

夢はあきらめなかったら叶うんだと

やっぱり思います。

それに向かって行動すれば、

そして周囲の人を
うらやましがって妬むのではなく、

自分もそうなりたいなと学ぶ気持ちと
周囲の人に対する感謝の気持ちを
忘れなければ

きっと叶うシステムなのだと思います。


あと、やぶれかぶれというか

ゼロになってもいいや

と、飛び込む気持ち。

これが一番怖かったですけど。。。



私はこれから、

写真新世紀にノミネートと、
漫画家になりたい、
雑誌(リトルプレス)を作りたい、
1年半後親友とロンドンに行きたい、
セネガルの友達に会いたい
今年親の60歳を祝うため家族旅行がしたい。

などの夢がありますが

きっと叶うと思います。






短い間ですが
読んでいただいた皆様
ありがとうございました。

自分を見失い
人生のどん底を味わいましたが

本当に良い経験となりました。

思い切って
泣きながら
故郷を離れて良かった。

これを読んだかたが
少しでも自分の夢に近づけるよう
祈っています。

Okamoto




匿名なのを良い事に
誰の目も気にせず
心のうちを書いた結果
ここまでの内容がめちゃめちゃですが

北海道を出て4ヶ月弱。

東京に行くと決めて約半年。


自分でもびっくりしますが

来月から某会社の
アートディレクターです。
あこがれの
平林奈緒美さんや長島りかこさんや
箭内道彦さんがやっている、
あの職業です。

もちろん私は
ムサビもタマビも
出ておりません。

美容にちょっと詳しい人なら
誰もが知ってる会社です。

正社員です。

給料、前の仕事の倍以上です。


嘘みたいです。

なぜ、急にこんな展開になったのか。


まず、前の日記で書いた某ぱ○`は
即落ちしました。

そしてそれはあくまで「編集」で、
「デザイナー」ではありませんでした。

で、「インテリアデザイナー」として受けた
某パシフィック○ーニチャーは
「販売」枠なら、という事で行きましたが落選。

私は12月から恵比寿の雑貨屋で
時給900円、月14万円にしかならない
バイトをはじめました。

32で販売員でバイト。

高卒・無資格。

先が見えなくなりました。

正直
「やっぱダメだったか・・」と思いました。



私がなぜ東京に出てきたかというと、

2010年に写真コンテストの
グランプリで賞金が入ったのも

自分の力を試したかったというのは
もちろんありますが、


直接のキッカケは
ぶっちゃけると
前のインテリアショップでモメたからです。


会社で雑誌を立ち上げる構想があり、
そのメンバーを社内公募するという内容が
社報に掲載された為、
雑誌の編集デザインをやる事が夢だった私は
それから一週間かけてブックを制作し、
エリアマネージャーにプレゼンをしました。

エリアマネージャーの答えはまず
「正社員以外にその権限がない。」
との事でした。

店長でさえ契約社員の会社です。

ほとんど正社員なんかいないのです。

そんなもの、社内公募って言いますか?

ゴーカ絢爛な店長会で募ったらいいじゃないですか。
本社のラウンジとやらで
酒でも飲みながら

その他何千人といる
地域の最低賃金で雇われている
「ここで働くと、おしゃれらしい。」という
悪い暗示にかかってしまった
ピュアな地方の若者抜きでさ。




そして次に言われた事は
「店長に言ったの?」
でした。

現場で働いている人は
きっとわかると思いますが

「管理能力」と「センス」は
まったく異なるものです。

言う訳ないのです。


もう、ここで話す相手を間違えたのは明白でした。

やはり直接本社に書留で送るべきだった。

地方の一店員が
中間管理職に
めんどうを起こされないよう
封じ込められるのなんて
よくある話です。

見る人が見ないと
何の意味もない。

コロンブスがエリザベス女王に会ってなかったら

ガウディがグエル公爵に会ってなかったら。


さておき、
それでも私は泣きながら
せめてコンペに
出させてくださいと
頼みました。

会社辞めて
外部からプレゼンするのは
自由なんですよね、と。

内部にいるのが
足かせになっているのは
システムがおかしいと。

会社にとって
何のデメリットがあるのかと。

何百人という人が
ブックを作ってると思えない。

や、正直
正社員でも
ブック作った人は10人いるか
いないかじゃなかろうか。

目を通す5分やそこら

そんなに無意味だろうか。
会社にとってすごく有益な事が
書いてあるかもしれない。

新しいアイデアがそこにあるかもしれない。

むしろ
チャンスを
タダで、自家製で得られるのに。


という私の二時間の
泣きながらの抗議が
めんどうだったのか
何なのか。

私のブックは
店長を越え、マネージャーを越え
エリアマネージャーを越え
ブランドマネージャーまで行きました。

…社長は見てないと思いますが。




そして3日後の返答は

やはり

「管理職をやっていない人は
どんなにセンスがあったとしても、
本社では働けない。」

というものでした。



大学や専門学校を出て
デザインを学んできたものだけが
はじめっから新卒で
正社員で
本社で働ける訳です。

デザインのエリートだけが

某博○堂や資○堂で
働けるのと同じように。



一般公募の賞なんて
意味ない訳です。

一般の店舗をデザインしてきたとか
メニューやらフライヤーやらチケットやら
時刻表やら看板やらシンボルマークだ
タイポグラフィーだ写真だマンガだ文章だ

今まで山ほど流通させてきた
デザインは加味して頂けない訳です。


悔しくて
次の日39度の熱が出ました。

会社は好きじゃなかったけれど、

お店が大好きでした。

休みの日も買い物に来てたくらい。
一緒に働いてるみんなと
うちに集まってごはん食べたり。

ディスプレイで
商品の売れ方がこんなにも
違ってくるという、
ヴィジュアルマーチャンダイジングが
すごく面白かった。

売り上げが
その棚だけあがっていった。
(担当の子はすぐわかるけど、
店長はどこをどう変えて売れたかなんて
一切わかってない。)

・・・話がだいぶブレましたが。


で、エリアマネージャーにその時言われたのです。

「本当にあなたが自分に自信があるのなら、
才能があると思うのなら、
ここなんか辞めて、自分で会社やれば?
給料も安いし宗教じゃないんだから。」と。


それで
ハッとしました。


その通りだわ。


私は自分に自信がないから
「上司が見る目ない」とか言って周囲のせいにして
チャレンジしようとしない。

もしも、自分に才能があるって
本当に思ってるのならば

こんな地元の小さいところにいないで

東京でもLAでもNYCでも

できると思うなら
行って試すべきじゃないのって。


もう、周りのせいにするのやめようって。



それで、大して自信もないくせに
半信半疑で

自分でも
高卒だわ31だわ無資格だわ
賞はいくつか貰ってはいるけれど、
履歴書の職歴は
「事務員」と「販売員」しかないわ
コネもないわ

ほぼゼロで


でも、そんな私が
どれだけやれるか
自分が一番興味があった。

東京にチャンスは転がってると
聞くけれど、
果たして本当にそうなの?

このご時世、
仕事がなくて
みんな困っているのに。

不安80%希望20%で東京に来た。



外資がプレゼンを
受け入れてくれた時は
かなり舞い上がった。

いつも友達としゃべっているはずなのに
ビジネスの場では
私の英語は全く通じず

3次に進めなかった時は
倍落ちた。


出版社も

インテリアショップも

デザイン会社も

3次に行けない状態が続き

光が見えなくなって
バイトを始めた。


やっぱりダメなのだ。
私は何をやっても
中途半端で
こんなのできる人は
東京にたくさんいて、

ベクターかインデザインか

はたまた
専門卒か
toeic か

とにかく何かしら
武器をもたないと。


と、思った矢先。

バイトして3日目。
急に電話が鳴った。

webエントリーで返事がこなかった会社だ。

てっきり落ちたと思っていた。

「おかもとさんはwebの知識はありますか?」

html、コーディング、まったくできない。

webページ更新の管理スタッフ
という枠で応募していた。

私はその人に
コーディングはできませんので、
エンジニアを雇った方が
良いですよ、と言った。

だけどその人は
とりあえず
会いたいから
来て話しましょうと
言った。


「会いたいから」

そんな風に
かかってきた
面接の電話は
初めてだった。


・・・・長くなりそうなので続きはまた。