第1回東京オリンピックが開催される年の梅雨時にこの世に生まれてきた私。

両親は男の子を希望していましたが残念ながら私は女の子でした。よく泣く赤ん坊だったと言われてました。

 記憶があるのは2歳後半からです。私の首、ちょうど喉の所には小さな穴が開いていて手術してガーゼ交換や病院生活の事を覚えています。

又、3歳で母の弟である叔父さんの結婚式に出た時におとなしい子だと褒められてました。

 麻疹か水疱瘡かおたふく風邪の時、母親は買い物に熱のある私を置いて「大丈夫ね、待っていてね。」と出かけて行きました、心細かった。

 そして成長して幼稚園児になりました。あの時代は幼馴染が濃い時代でした。何故か私は母親にいつも幼馴染の3人と比べられ「なぜできないの?」と言われる事が多かった。

 偏った母親の接し方のせいかオシッコを漏らす習慣がありずっと怒られていた、オネショはしなかったけど。お友達と遊ぶのも苦手でした。

 お稽古をお金のないのに母親はやらせてくれましたがオルガンも音符は苦手で感覚で絵画の塾は母親曰く「何でみんなみたいにちゃんと描けないの!」と言われては賞を取ることが多々ありました。又少し大きくなり通った習字では全く上手にならず母親を呆れさせました。

 そうです、母親にとって私は情け無い子供だったようです。

 小学生になりやはりお友達は苦手でした。低学年はなんとか過ごせましたが四年生になると「ブスだなぁ」と言われることが増えてきました。そして帰宅して母親に話すと「服や靴なら買い替えてあげられるけどお顔は変えられないのよ。」と言われた思いがあります。そしてピンクや淡いブルーを着たがる私に「あなたの顔には似合わないから。」といつも白、黒、紺、グレーなどを着せられてました。

 あの時母親に「あなたは十分可愛い、笑った顔が1番可愛い」と言ってもらいたかったと今でも思っていますし悲しいことです。

 父親は酒飲みで気分悪くなると暴れる、そんな中、6つ下の妹ができました。母親は私には非常に厳しかったのに妹には何でもオッケーの人でした。「何故か?」と聞いたら「あなたを育ててみて2人めになるとほっといても育つって思ったから。」と言われました。

 あれダメ、これダメの私の幼少期の支配された生活はなんだったのでしょう。私にとって父親は暴れる人、母親は私を支配したい人という観念が無意識に私の心の中にできてしまったのです。

 続きは又…