私は関東地方の田舎町で育ちました。
父は仕事柄、長期の海外出張が多く、母は商売をしておりました。
私は妹と2人兄弟でしたが、特段仲が良いわけではなく、普通だったと思います。私が妹と遊ばない分、母が商売をしながら妹の遊び相手をしておりました。
小学生高学年頃になると日本はバブル景気が始まり、明日は今日よりももっと楽しいことが起こるという浮かれたムードが、田舎町でも感じてられるようになりました。
実家の前の道は舗装され、毎晩ふくろうが飛んでくる竹林は大型スーパーになり、今まで木造建屋だった最寄り駅は駅ビルとなりショッピングモールが連結され、町に初めてエスカレーターができました。
ショッピングモール開店前日には小学校で全校集会が開かれ、決して子供だけではいかないように!との校長先生の再三のお達しにもかかわらず、開店初日はエスカレータを使っての学年学校を超えた大鬼ごっこ大会。月曜日の全体朝礼では茹タコの様に真っ赤になった校長先生の激怒する顔が見られましたが、何を話していたのかさっぱり話の内容は覚えていません。当時、家の近くでは国際的なイベントが国を挙げてのお祭り騒ぎとなり、外国人を見つけると、次の日の学校ではまるで宇宙人を目撃したくらいの話題になり、世の中がどんどん変わっていくのを肌で感じておりました。
一方で、私はこんな時こそ浮かれすぎてはいけない(これは海外にいる父からの言いつけでもありました)と思い、中学・高校は勉強を頑張りました。我慢して、一生懸命取り組み、さらに良い生活ができるようにするんだ。という教育ママが考えそうなことを、自らが考えておりました。
中学高校の頃は無駄なお金と時間は使わず、部活動は無駄。恋愛は後でもっといい(?)恋愛をする。今ではない。ゲーム機は時間もお金も無駄にする。地元の県立高校ではいい大学への進学が望めないと、私の中学校で初めて東京の高校を受験しました。いい大学に入って、いい会社に入って、かわいい奥さんをもらって、子供を作り、十分すぎる収入のある生活。そのようなことを自ら考えておりました。
私は自分の代をガマンする世代だと位置づけて小中高時代を過ごしました。
そしていい大学に入り、いい会社に入って、かわいい奥さんをもらい、子供もでき、十分に収入のある生活を送っています。
子どもが生まれ、息子の代はさらに成長させ、飛躍させる代だと考えていました。
更に孫の代はその成長が安定する代だと考えていました。
そんなことを私は中高の頃から考えていました。
息子はそれに十分すぎるくらい答えてくれました。
そして息子はいい大学に入り、
そこで終わってしましました。
私よりいい会社に入って、私よりかわいい奥さんをもらい、子供もでき、私よりも充分に収入のある生活を過ごせるよう、がんばれがんばれ。お前ならできる。と叱咤激励し、それに答えてくれた息子。
今考えてみると私の代はガマンする代ではなく、自分本位・自分勝手な代だったのですね。
息子へは、息子の代は、さらに成長させ、飛躍させる代ではなく、つらい思いをさせる代にさせてしまいました。
後悔。自責の念。というのかもしれませんが、以上のようなことを考え、息子と過ごしてきた19年間。やはり私は毒親なのです。
私のゆがんだ考えがこのような結果を招いたのです。