あの日から8年。

また、3月11日が巡ってきます。

埼玉県の片隅での
ちいさな記憶

この日を境に
私の中で

仕事に対する
姿勢と

人に対する
気持ちが

少しだけ

でも

確実に

変化した




あの日



あの頃デイサービス勤務だった私
震災当日から
点滅や消えてしまっている信号
渡れない踏切
なかなか繋がらない電話
(施設の電話は繫がるが相手先が繋がらない)


震災翌日の朝
デイサービスに残り
指示出しをしながら
それでも数人ずつ到着する
利用者さんの対応にあたっていた

電話連絡がとれない利用者さん宅にも
当日利用予定の方のご自宅に伺うと
最終的には、ほぼ全員の方が
デイサービスを利用された


家にいると余震が心配だけど
みんなと話していれば
停電があっても怖くないから
と不安げな利用者さん

お昼ごはんだけは
間違いなく
食べられるからねぇ
とたくましい利用者さん

ここに来ないと
家でお風呂に
入れないから
と正直な利用者さん

理由はそれぞれでも
皆様
殆ど休む方はなく


震災から計画停電
ガソリンの入手困難

年末年始以外は
休業日のない
デイサービスでもありましたが

来る方がいるいじょう
営業を止められない

迎えるがわも
そんな思いで
1日も稼働を
止める事はありませんでした。


毎日
時間に追われる
日々の中だった
あの頃

デイサービスの必要性や
あり方について
ひとりひとりの利用者さんとの
関わり方に深く考えさせられた
重い時間でした。



そして
震災当日から
協力して
私を仕事に出してくれた
家族と

やはり
休む事なく
デイサービスに
出勤してきた
当時のスタッフさん仲間たちに

感謝の気持ちを忘れぬよう

今の自分に
この時の思いを
忘れることの
ないように

一日一日を
大切に……




震災当日のデイサービスの様子を綴った昨年のブログの
リブログです。
あの様な思いを誰もがする事が無いように……