東日本大震災から10年。
多くの人命とともに
多くの動物たちも犠牲になりました。
亡くなった動物の中には、もし人間であれば確実に助かった命が沢山ありました。
私たちは命の大切さを学び、
命を思いやる心を育んできたはずです。
災害はいつ、どこで起こるかわかりません。
すべての命が平等に守られるよう、
強くて優しい社会を目指したいものです。



(Animal Rights Center様FBより)

牛舎一面に、立ち上がれない牛たちが何十頭と横たわっていた。ペットボトルの水をバケツで口元に持っていくと、あっという間に飲み干した。立ち上がれなかった彼は、あのまま数日後に餓死した。
隣の牛舎の牛たちは全滅していた。まだみんな3~4ヶ月程度の赤ちゃんだった。
別の農場では子牛用のクレートで子牛たちが一頭づつ入れられており、そこからなにかの拍子に抜け出た1頭以外、全員が死んでいた。たった一人で。
肉用牛の繁殖用に使われていた大きなメス牛も、2頭を除いて全員死んでいた。残された牛たちはおとなしく、私達の髪の毛をなめた。死亡日が不明な彼女はもしかしたら今もどこかで生きているかもしれない。

これは10年前の福島の福島原発20km圏内で見た様子だ。
This is the scene within 20km of the Fukushima nuclear plants 10 years ago

津波と地震、停電による凍死、そして閉じ込められたまま餌がなくなるなどして、東北3県では牛662 頭、豚5,850 頭、鶏454万9千羽が死んだ。福島県での死亡数の正確な数字は把握ができないが、震災前に警戒区域(当時)で飼育されていた牛約3,400頭、豚約31,500頭、鶏約63万羽が飼育されており、保護された牛約800頭以外は死亡、または殺された。

畜産動物たちを襲った多くは、自然災害ではなく人災だった。
津波が来る時、普段から檻に閉じ込められて自由を奪われている動物たちは助け出してもらうことはできなかった。津波が去った後、逃げ出していた豚は衛生を理由に殺された。
福島県の原子力発電施設が被災した後、動物たちは取り残され、多くの動物が相当長い時間をかけて餓死したが、そんな中でも一部の牛農家は日々警戒区域内に立ち入り、牛の世話をし続けたていた。多くの動物保護団体も警戒区域に立ち入り動物を救助し、またアニマルライツセンターも手伝っていた経験からすると、できることはいくらでもあった。

未曾有の災害であったため、どうにもならないことも多かっただろう。しかし問題は、この後の災害でも、毎回、同じことが起き続けていることだ。
このときの教訓は活かされていない
結局の所、被害の数に違いはあれど、毎回数十万頭づつ、動物たちは被害者になり続けている。
命を扱う畜産業者は、その命に対して、責任と覚悟を持たなくてはならないのではないか。
国は、行政はもっと強く指導すべきではないのか。
畜産物を調達する企業だって他人事ではないはずなのに、調達する際のポリシーを持ちすらしていない。
命を蔑ろにしているかぎり、命の大切さはわからないし、ましてや子どもたちに教えることなんてできない。
工場畜産が続く限り解決しない
災害の多い日本はより一層の対策を行うべきだが、実際には他国も毎度ものすごい数の被害を出している。守れない数の動物を飼育する限り、悲劇は生まれ続ける。

私達は、対症療法的な緩和策とともに、この問題の根本解決を求めている。

■緩和策
動物を利用するのには責任が伴っており、最大限努力するのは当然のことではないのだろうか。命が大切と子供に伝えながら、それを実行はしなくてもいいというのはなぜなのだろうか。

災害はすぐそこ。ちゃんと動物を守れるようにしてください


命を扱う畜産農家は災害への準備はできているのか



■根本解決
工場畜産をなくさなくては根本解決はしない。
あなたが肉や卵や乳製品をあたりまえのように購入し続け、動物の喰い続けることこそが、この問題の根本だ。
10年前の東日本大震災以降、世界中で増え続ける自然災害、雪だるま式に増える畜産動物を襲う疫病、感染爆発した人獣感染症(新型コロナウイルス蔓延)、世界はいい方向に向かっているとは思えない。
根本解決を目指すべきだ。動物の搾取をなくす方向に転換するときがきている。
まずは、ほんの少しでも、苦しみの中死んでいった約5,219,612頭の動物たちを思ってくれるのなら、完璧ではなくていい、動物性の食品を減らす食事への転換を実践してほしい。

アニマルライツセンターは動物たちのために力を尽くします。






東日本大震災

津波が来る時、動物たちは助け出してもらうことはできなかった。津波が去った後、逃げ出していた豚は殺された。

福島県の原子力発電施設が被災した後、動物たちは取り残され、多くの動物が餓死した。かろうじて牛は生き残ったものもいるが、多くの農家は殺処分し保証金を得ることを選んだ。そんな中でも一部の牛農家は日々警戒区域内に立ち入り、牛の世話をし続けた農家もある。多くの動物保護団体も警戒区域に立ち入り動物を救助し、またアニマルライツセンターも手伝っていた経験からすると、できないことは何もなかった。犬を見捨てられないからと避難しなかった民家もあったほどだ。

人の命が大事と多くの人が言うだろうが、畜産動物を襲ったのは自然災害ではなく人災だった。動物を餓死させた農家に足りなかったのは覚悟と責任感と少しの勇気だ。わたしたちはあの時見た壮絶な動物たちの死に様は到底受け入れられない。