コンビニの雑誌コーナーで、ふとふわふわした猫と目が合って、
いや正確には、猫の左上に書いてあった俳句に、
郷田義家さんという尊敬する漫画家さんの名前を見つけて、
ひっさしぶりに漫画雑誌を買った。
ビックコミックスピリッツ。
表紙の猫の絵はずーっと変わらないし、
中身を描いてる漫画家さんも、
紫門ふみさんとか、三丁目の夕日の人とか、
ベテラン勢も変わらずいらしてなんかほっとした。
随分前に漫画喫茶で読んでハマった、「モンキーパトロール」という漫画の作者の有間しのぶさんの作品もあった。
その作品の中で、
小さな女の子が不安定な家庭で育って、夜のお墓に逃げる場面があった。
「もう死にたい」と言うお母さんの三文芝居から逃げて。
最近、リエゾンていう漫画でも、うつ病のお父さんが出てきたけど、
子供に対して「死にたい」っていうのは、脅しでもあるんだなあと。
うちの母が死にたいと言ってたのは私がほぼ大人になってからだけど、
母という役割を果たしてくれてないという怒りが私の気持ちの中にもあったように思う。
死にたいなら死ねばいい、どうせそんなことできないくせにと思っていた。
でも違う。
本当は、お母さんらしくしてほしかった。
「死にたい」なんて言うお母さんはいらなかった。
私がいるのに、私がいるこの世界から消えたいと言うなんて。
私がいるこの世界が気にいらないと言うなんて。
でも私たちは、親に期待をしすぎているのかもしれない。
特に母親に。
ハッピーちゃんというスピ系の人の動画で、
全ての人は「源からの全肯定がある」と学んだ。
母親から「いらない」と思われた(ような気がする)としても、
もともと、「源」からは全てを肯定してもらっているのだから。
それも宗教のようだなあと思いつつ、
考え方としていいなあと思う。
死なないで、あなたが死んだら私悲しい、って言われたいんだよね。
あなたが死んだら私生きていけないって。
大好きだよって。
そういうの本当はセルフで賄えるシステムになってるんだよ。
忘れてるだけなんだ、って。