従弟に連絡を取ろうと思ったのは

私が親戚との行き来がなかったことで
当然;娘、息子は従兄弟達と会った記憶すら無いと言う


朝、目覚めると1番最初に思うこと
今日も生きてる

癌の再発、転移の恐怖
 
何年経過しても拭い去れるものでは無く
今私が人生の幕を降ろすことになったら

鬱の傾向のある息子は
信頼できる相談相手にも困るだろう


私自身が両親を亡くして1番後悔したこと
それは夫や義家族に実家との交流を良しとされなかったことで
人との縁を切ってしまったこと
お金が無いより孤独は辛い

今、私が残すべきことは
人と繋がるということ 何より最優先するべきことだと思いました




この従弟が後々、さらにストレスと弁護士を交えての争いになるのでした


藁をもつかむ思いで頼った従弟が
私達に牙をむくなんて
困っている私達を利用するなんて、思ってもいませんでした






1月14日

転居する前ギリギリに書いて頂いた病院の紹介状
慌ただしい毎日の中で一日延ばし一日延ばしで、とうとう年を越してしまいました



お金も無い  薬も無い 

このまま治療を放棄するか悩みました

私が今するべき事は何か


このまま治療を放棄して、この先どうなるか想像のつく事態を受け入れるか

私が今この世からいなくなっても夫は悲しみもしないでしょう

それどころか連絡さえ絶っているのだから死んだことさえ知らずに生きていくでしょう
  
    俺は死なない  と言う人だから






持病や術後の経過など複数の診療を受診する身としては転院する事はとても不安です
10月に此方へ来てから始めて内科、乳腺外科、眼科と診療科のある総合病院へ


今までの総合病院で小さな不安にも真摯に答えてくださる信頼している主治医の紹介で
留学中、一緒に学ばれ帰国後も東北と九州に離れていても
今も交流があるという先生が偶然にもバスで20分程の近くの総合病院に居られるという、私としてはとても心強い事でした



緊張しながらも始めてお目にかかる先生は、
⚫⚫先生から年賀状で

⚫⚫さんという患者さんを紹介しました、
よろしくお願いします。

と書いてありました
なかなかお見えにならなかったので気になっていました
体調はどうですか



冷えきった心。誰も信じられない。
街を歩けば肩がぶつかるほどに人はいるのに誰ひとり私がいることに関心は無い。必要ない人間。興味のない人間。


そんな私に一瞬にして氷をとかす熱湯のように暖かい言葉
両先生方の言葉、心づかいに
私は診察室で我慢できず大粒の涙を流し泣きました


どうしました? 

先生は優しく声をかけてくださいました

たかが私のような一患者に先生方のお気持ちが嬉しくて   と




先生は 

そんな事ないですよ これから一緒に頑張りましょうね 
薬もそろそろ減らしていこうとする過程でしたが急な転院の為、今後の治療、経過を宜しくお願いします

と書いてありました

私もその様に考えています    
一緒に頑張りましょう


絶望の中で少し心が楽になりました





眼科では10年近く経過観察だった白内障

ほとんど自覚がなかった白内障も去年あたりから光が眩しい、見えづらいと感じるようになってきました

視力検査など一通りの検査をした後 両目共に手術が必要と言われました
目だけは、ほおって置くわけにもいかず早期に手術をすることにしました

3月に予約を入れていただき準備のための検査など2月に

夫の携帯には無視され続けましたので電話をすることはやめてメールのみをずっとし続けました

夫の 今後どうしたいのか、離婚したいのか
このまま、うやむやにしたら夫は再婚も出来ないでしょうに





私は目が見えづらくなっていること、手術日の予約をしたこと
そして何より費用が必要なこと
さすがに、これだけは無視できないと思っていました

ところが生活費はおろか、この手術に関しても全く無視でした
メールを読んでいるのかさえわかりません



荷物の中に未だに手元に無いピアノがあります
ピアノは専門業者の運送ということで夫が何処の業者に依頼したのかわかりません

生活費すら1円もくれない夫にピアノを売って送金して欲しい旨もメールしました

今どきピアノが大した金額にならないことも知っています
しかし出ていく一方で入る見込みの無い生活費ならば

保管料を取られるピアノは売って微々たる金額も生活費に回したい
そんな気持ちでした
両親に買ってもらった想い出の大切なピアノ

これもまた私は両親の愛情をお金に換えることにしまました




しかし夫は全くの無視
現金化する事もできず何処にあるのかさえも未だにわかりません

手術をキャンセルするか
まだ手術の検査日まては日があります
もう少し待つことにしました






1月17日

従弟が自営業の仕事終わり家まで来てくれました
1月は日の暮れるのも早く不慣れな土地で息子をナビゲーターとして
最寄りの駅まで迎えに行きました

車中、従弟の家族のことで 本人いわく
息子の働いていた会社の弁護士4人を相手に
従弟は弁護士も立てずに一人で勝ち取ったと武勇伝をとうとうと語りました
私は当時も今も法律とは無縁の仕事をしている素人が弁護士にかなうとは思いませんが

仕事帰りに、わざわざ来てくれたことに感謝し、今までの経緯をつつみかくさず話しました






従弟は家の中を一通り見て回り、

いい暮らししてるやん 











そして私の話に理解を示すどころか
夫の弁護を始めました

あげくに私が夫に非協力的と言わんばかりに






従弟の生活が苦しいとき奥さんが
  
  「私は立ちん坊でも何でもする」 と


  「わかるよね」   と言った



つまりそれは

それくらい愛情が深いと言いたがったのだと思いますが







私は  


「深いね」 

「でも私は出来ない
その代わりと言っては何だけど私は自分の貯金、両親が残してくれたお金大半を夫の為に使いました
約2500万の念書も書いてもらい、いざと言うときは実家の土地や他の土地を売っても必ず返すと」


従弟はなぜか援軍と言うよりは、やはり男の論理だなと思いました






此処にいつまでも留まっていることは今後、夫のどんな、とばっちりを受けるか
[計り知れないだけに
とにかく此処を早く出て自分とチビ達の生活をしたい



ただ、それだけでした


「正直な話今手持ちはいくらある?
 引っ越し費用に30万当面の生活費に50万位は必要だろう」   と言われ
「他にお金に換える物はないか」  と聞かれました


早速、の転居先を探すことにして従弟も心当たりをあたってくれると
しかし
「此処の荷物は多すぎる
必要な分だけ持って後は置いていくように」    と言われました



まさか今となっては行方不明の娘も含めて家族が3つに分かれるとは思わず
4人分の荷物

まして夫がとりあえず家の中に積み重ねた荷物

必要な分だけと言われても何処に何があるのかさえ広げるスペースも無いところで
気の遠くなる仕事をすることになりました







そして後日

従弟の次男が遺品整理業の仕事をしているので、この引っ越しの費用がどのくらいになるか見に来てくれるとの約束でわかれました



1週間後、従弟と次男が来ました

初対面です

どうやって引っ越すのかの話がありました
今までの経緯は話してあるので実際の段取りのようなことを提案されました




私には
金銭的に余裕は無いこと
夫は何処で何をしているかわからない状態なのでこれ以上迷惑はかけられたくないこと
つまりもう夫の尻ぬぐいはしたくないことを理解してもらい




従弟からの提案は

この借家の契約は夫であるから私が荷物を持って出ていくには問題は無いとのこと
連絡さえ取れないのなら黙っ出ていってもいい








しかし私は不動産屋も夫と連絡が取れない場合、家賃がいつ支払われなくなるかなどが金銭を含め私に後始末が来るのではないかと不安を口にすると


いわゆる夜逃げ

と言われました






夜逃げ?此処は大型車は入らない
何度もに2t車で往復しなければならない
1回で運び出せない
引っ越し業者をたどれば私の転居先がわかる

どうしても結局、私が後始末をしなきゃならないのね




だから自分の知人の業者に頼んでやる
知人には口止めをしておくから大丈夫だ
誰に聞かれても教えない



夜逃げなどテレビのドラマの世界と思っていました

私の心臓はバクバクし私が、それをするのかと思うと
とんでもない罪を犯しているような気になりました



そして家庭を放り出した夫は普通に生きていく

世の中の矛盾をひしひしと感じました







いつかテレビで見た詐欺師の話し
弁護士がお金を返さなくても払う気はあると言えば詐欺にはあたらないとか、、、
ことは違えど言葉一つで罪の意識も違う

私には、もう何が何だか分からなくなりました





逃げようとしている私が悪いのか
たった一つの連絡さえよこさない夫は責められないのか