また、討論課の友人達と食事をした。
私達も含めて、帰国する人間が多いので、このところ毎週の開いている。
今回は先生紹介の北京料理の店。
12人で来たものだから、飲んで食べて30元。あまりの安さに妻の友人は驚いていた。
中国じゃ特別安い値段じゃないんだけどね。
みんなで食べると、いろいろ食べられて安いです。


今回のメンバーは先生(私より一つ年下、頭全部そってます)、
韓国人5人、アメリカ人1人、オーストラリア人1人、あと日本人4人。

妻の友人が中国語しゃべれないので、妻が通訳をしながら話。

妻と妻の友人は、彼らとは初対面で

日本人と韓国人が初対面だとやっぱりつかみはヨン様ということに。
ヨン様、いまでは時期を過ぎた俳優というのが韓国人の一致した意見。


ところが今回は、彼らの口から
高校の時、ヨン様の隣の棟に住んでいただの、
ボーリングしていたら、隣のレーンでヨン様が一人でボーリングしていただの、
興奮して、話しておりました。
二人のアメリカ人、オーストラリア人は、蚊帳の外。

こっちだって「冬のソナタ」まともに見たことないのに。
ま、自国民の俳優を外国人が知っていて(しかもすごく人気で)、
自分の目でそのスターを見たと言うのであれば、やっぱり話したくなるだろうね。


私も千葉真一とボーリング場で居合わせたら、アメリカ人に自慢したいものね。
サニー・チバとボーリングしたって。

児童村 という児童保護施設に行ってきた。
たまたま、友人に紹介されて知ったのだが、
親(片方もしくは両方)が、投獄され身寄りのない子供達を預かっている施設だ。

1996年に陝西省の刑務官だった張淑琴さんがNGOとして組織しスタートした。
以前、女囚たちが自分の子供達を心配するあまり、自殺をしたり、
残された子供達の生育環境があまりにも劣悪で、子供まで犯罪に走るケースが多いことに知り、始めたようだ。
中国のNGOの実態はよくはわからないが、中国で政府とは少なくとも財政的に無関係でこういった組織をはじめるのはかなりたいへんだったことだろう。


わずかなお金と服を寄付してきた。
個人の幸せって絶対的な部分と相対的な部分があると思う。
だとしたら、ここに限らず、こういうところは見ておいたほうがいいのかな、
と思った。


前に、NHKが取材に来て、放送したそうだ。
そのVCDを頂いた。
もし欲しければVCD焼いて送りますので、どなたでも連絡ください。

ertong

妻の友人と子供たち

jk

昨日、テレビを見てたら、上海映画祭の開幕式をやっていました。
中国に来る前は、中国のテレビ、映画のことはほとんど知りませんでした。
最近、だいぶわかるようになったけど、それでも知らない人もいっぱい。


そうそう、山田洋二監督も来ていた。
相変わらずジャッキー・チェンのサービス精神にはいろんな意味で感服します。
ひとりだけ観客と握手をしてたもんね。

林心如がかわいい、背中のあいた服を着ていた。
私の好きな蒋麗斐が審査委員の一人でした。


姜文がかっこいいと思いますか?
例えば「金城がかっこいい」というのはこれはわかりやすい、好きか嫌いかは別にしてね。
だけど、姜文がかっこよさって何?男らしさ?
じゃ、弟姜武との違いってなんでしょう。
少なくとも男らしさで、姜文に軍配が上がっているような気がするけど、大して変わりない気も。


中国はおっさんスターが多いような気がする。
王志文なんか最初見たとき、おっさん以外の何者でもないと思っていたけど、結構、いい役(二枚目の役)しているものね。

だれか、彼らの魅力をおしえてくれ。

yige

「ヒーロー」の張芸謀監督の作品。
最初この作品を見たのは、日本でなんですが、
かなりびびりました。
理由①貧しさの度合いが想像を超えていたこと
理由②一昔前の話かと思ったら、今のことだったこと
中国に来た理由の一つは、この貧しさを見てみたいということなんです。
そして、できれば貧しい人を助けたいっていうか。


しかし、来てみてわかったことは、
「あの子をさがして」の貧しさは映画の純化された貧しさで
実際は政治的なこととか、人々の変わらない考えが複雑に混ざり合って、
なかなか単純に片付く問題ではないことがわかりました。


冷静に考えてみたら、当たり前なんですけど、日本にいた時は、わからなかったんですよね。
あほだから。
それに、今の日本はそれほど貧困から遠い。
貧困なんて今やおとぎ話みたいなもんです。

だから、ここに来て、どうしよっかなと悩んじゃってるわけです。


アメリカ人の友人は「愛が救う」と本気で言いますが、彼らの「愛」は彼らの宗教観が支えているからね。
おまけに彼らの言う「愛」はかなり自己中な「愛」に見えるときもあります。実際、「愛」とはそういうもんだという話もありますが。彼らいい人なんだけどね。
でもね、宗教がないとなかなかそこまで単純にはなれないわけですよ。信じきれるって、要するに見方を変えれば、単純ってことだから。


でも、それでも救われるんだったら、信仰があったほうがいいかも知れないな、と今思っております。