昨日は父の59回目の祥月命日だった。
父は私が生後3ヶ月で亡くなったから、私の記憶の中に動いている父はいない。
写真の中に笑っている父が、私の中の唯一の父の記憶だ。
生後3ヶ月で離ればなれになるなんて、きっと産まれる前から私はそのストーリーを知っていて、もしかしたらあえてそれを選択して産まれてきたのかもしれない。

このストーリーのおかげで、物心ついた時にはもう沢山の観念(思い込み)を握りしめて随分ジタバタしてきた。

私には父がいないから、私がしっかりしなくては‥。
私はここに居ていいのだろうか‥。
お母さんは大変だから、絶対迷惑をかけるような事をしてはいけない。
再婚した新しいお父さんは、血のつながらない私を面倒見てくれてるんだから、絶対に逆らってはいけない。

さらっと思い出しただけで、よく生きてきたねって思うくらい、重い暗いものを子ども心にいっぱい握りしめて生きてだんだなぁと思う。

そりゃ被害者だと思って生きるし、表向きはポーカーフェイスでも無理に抑えた自分の感情が、ねじ曲がってよく色々と心の中は怒りまくってたなぁと思う。

生きることは四苦八苦なんて信じてたから、しっかりと地球でしか出来ない体験を存分に体験しました。

これからはこのストーリーを抜けて、沢山の観念を手放して、ありのままの等身大の私にもどって生きていく事を決めています。

私という人間を創る根幹を三次元的に言えば、思い切りネガティブに振れるように設定しちゃったから、ちょっと人より大変だと思ってた。
その大変からスタートしてるんだから、進んでも進んでも進んでないように見えたりもするよ。
私のペースで一歩一歩、歩いていきましょう!