JOÃO GILBERTO Garota de lpanema
「相撲取りにならんか」
そう言われたのは 中学三年の時だった
中学一年から 本郷三丁目に有った 相撲部屋に通った
相撲部屋に 通ったと言っても
相撲の稽古で 通った訳ではなく
居合道の 稽古に通っていたのだ
その相撲部屋は 木瀬部屋と言って
双葉山時代 関取だった桂川が
部屋の親方で 居合道の大先生だった
1階が 相撲の土俵があり
2階3階が 相撲取りの部屋で
最上階に 居合道の 道場があった
水道橋の駅を降り 後楽園を見ながら 道場に通う
日本刀を下げて 10分ほど歩くと
桂川という旅館があり そこが相撲部屋でもある
本身の 日本刀だから 緊張しながら持ち歩いた
中学1年の時に 昇段試験を受け 初段
翌年二段 中学三年で 三段に昇段する
まぁ良く 稽古をしたものだった
当時は 名だたる先生方に 稽古を見て貰っていた
山蔦先生 檀崎先生 大村先生 鶴岡先生
みな 全国でも有名な 範士の大先生だった
一緒に稽古した先輩たちは その後みな 大先生になっていく
居合の先生で 親方でもある 館長の檀崎先生から
「相撲取りにならんか」と言われる
当時いた 関取たちは 私より小さな人達ばかり
痩せてはいたが 太腿の太さを見て 誘われたのだ
この言葉がきっかけで 道場には通わなくなった
相撲取りなんて 思ってもみなかった話だから
居合をやめて 再び 剣道に精を出したのは
高校生になってからだ