おはようございます。
状況は相変わらずです。
しかしながら、完全に打ちひしがれているとき、ばかりではないです。
1週間のうち、ほんの数時間、 数分でも、前向きになれることがあります。
それは、今です。
ひとりの時間が確保され、自分と向き合い、そして、ゆっくりと休むことができる空間
そこが、確保されています。(施設の宿直の仕事をしている関係ですが、仕事中の仮眠の宿直のほうが、実際眠れます。一人の過眠室も用意されていて、電気も消せます。)
実感であって、理論ではないのですが、
ものみの塔の考え方には、どこまでいっても、終わりがありません。
同じことの繰り返しで、気がつかないとは思いますが、こっちが苦しいと思うときは、
たいてい、張り合っている、気の抜けない、向こう側もかなりヘタリます。
たいていは、教義と抵抗から、自分を守るのに必死で頑張れているものですが、
こちらが、反対しなくなり、静観して、見守るようになると、自分と向き合うしかなくなり、
時折、世の中に目を向けては、それと戦うように、頑張るかもしれません。
しかし、ネタは、たくさんあっても、その人の中で尽きます。
変な言い方ですが、家族としては、もし、ほんのわずかでも救済の可能性にかけたいと
思うのなら、
すべて、赦すことだと思います。
いいじゃないですか。全員、そうなっても、自分以外の人間すべてが、そうなっても、1人になっても、家族だけでなく、町内、会社も含めて自分を取り巻く環境全てが、そうなっても、
それでも、赦せるか。
そこに、突破口があると、感じられました。
どなたかも、いっていました。
彼らが、時折、疲れた表情になるんですよね。
彼らの深層心理に深く入り込んでいるとしても、
一番彼らの困ることは、赦されることだと、思います。
具体性がなくて、うまく書けないのですが、理屈は、自分が考えなくてもいいのです。
相手が、自分で、考えてくれます。
その材料は、コンティかもしれないし、1914かもしれないし、607かもしれないし、20年のギャップかもしれないし、
大群衆が、どこにいるのか、かもしれないし、
血を食べることの意味合いかもしれなし、
イエスが生まれたときに、その所在を知らせたのは、だれか、ということかもしれないし、
戦争にいってはいけない、という意味が、どういうことなのか、ということかもしれないし、
でもね、そういったことも、全て、真逆にいっぺんにひっくり返る可能性があります。
そこを信じれるかどうかなのですよね。
放置して、野放しにしないだけでも、それはそれ、私たちのやってることは、決して無意味ではないです。
こんな風に、前向きになれる時もあります(笑)