たんたんのhumming DAYs -327ページ目

たんたんのhumming DAYs

横須賀での
静かで穏やかな暮らしの中で
徒然なるままに
思った事、感じた事。
素直な心の動きを



あの頃の私


何してたかな


長男が
旦那の仕事を手伝って2年目


津波が三浦半島に到達したころ
旦那のレストランにいた
2階の窓から
海を見ていたとか


次男は
修学旅行中で
シンガポールでした12日に帰国予定でしたが
震災翌日の当日、
成田が閉まってしまっていて
関空に着陸かもとなり
そこから、旅行会社がバスを出す
と言う話から
二転三転
結局、日本上空に近づいた時
成田が開き
成田着陸


成田から、
旅行会社のバスで
最寄り駅到着まで
通行止めやら、渋滞で
実に18時間


そのうち、菓子パンとペットボトル一本


彼は10日が誕生日で
シンガポールで
サプライズをしてもらった
と言う話は
ずいぶん後になって聞いたっけ


シンガポールのテレビで見た
日本の様子に驚いたとか


中2の娘と三男は
それぞれ学校で放課後で



すでに体調が悪く
常に機嫌の悪い旦那は
揺れの直後に起きた停電に腹を立て
避難を促すサイレンと放送に
従う様子もなく
やっと、宥めて避難のついでに
2人のお迎え

めんどくせえ、
と言いながら。
我が家より高台の裏の道には
すでに近所中の人が
車で避難して、
道路に長い駐車の列

どの信号も全て消えていた
小学校へ迎えに行くと

すでに、大方の子はお迎えが済み
遅い!と怒る三男
その場で
ママ友達に
中学生も迎え待ってるよ
と聞き、
慌てて娘を迎えに向かう


その晩は
どう過ごしたのか
何を食べたのか


ただ、
停電で暗いし寒いし
テレビもつかないし

何が起きてるのかも分からず

車に避難
車のラジオから
惨劇の様子を知るのであった



その前の年に父を亡くし
その辺りから
本当に激動の日々が始まった。


確か翌年の年明けに
近所で大火事があって
その日
朝起きるとウチが燃えてるのかと思うほどの
煙と焼ける匂い


翌日、その家の老夫婦が
亡くなったとか。
障害のある息子さんだけが
作業所に行っていて 
助かったそう

それから ひと月後、
今度は旦那が倒れ 
翌々日
無言の帰宅をしたのだった


火事で亡くなったご夫妻の方が
早くに亡くなってるのに
検死に、時間がかかり
ウチより数ヶ月後に葬儀だった
それも、
なんだか
不思議な奇妙な感じだったなぁ



あれから
10年

色々変わった
本当に変わった
子供達はもっとかな。
色んな後悔もあるけど


とにかく
この10年よく生きたと思う
やぶれかぶれ的な笑笑
必死、本当に必死だった。


やっと、
最近。ブログに書いてる通り
穏やかな気持ちになれてきた
10年かかったなぁ
平常心に戻るまで
息子たちの色々もあったけど
その根底には
この諸々があったんだなあ
とも思う


10年の節目で
ネットやテレビで
過去の画像や話が出ると
胸が詰まる
仕事中でも、涙が出る
分からないけど
込み上げてくるものが
止まらない
見ていられない
馬鹿みたいに


それで
さっき、ついさっき
思った


あー、
私も、人並みに
傷ついていたんだと。
ボロボロだったんだな、と。
自分の人生の出来事に
そして、311の災害に




やっと
それに、気づいて
自分、案外良くやったじゃん
と労えてる


その
涙なんだと。

悲しいことや
怖いこと
驚きや
不安や
何もかもが
ごちゃ混ぜに存在した10年



子供達は、
すっかり大人になったけど
どんな風に
感じて過ごしてきたのかな
それを
丁寧に寄り添って
あげれていたんだろうか
怪しいものだ


なにせ、
自分自身が精一杯で必死だったのだから
情けない話であるな


ただ、これからの10年は
経験した分
しっかりと抱きしめて
過ごそうと思う
子供達とも、自分自身とも
すっかり大人になっちゃったけどね



忘れられない10年
忘れたい10年
忘れてはいけない10年



何はともあれ、
今日この今の瞬間に
幸せを感じ、感謝をして
噛み締めながら過ごしたい




子供達とも
気持ちを分かち合い
愉しい時間と共に

これからも来るであろう
災害災難に
対応しうる準備をし
何もない日常は
少しずつ
何かの誰かの
役に立つことを念頭に

力強く
凛として生きていたい、
最後の瞬間まで


10年を思い
今日は、
そんな風に思いながら
すごしました


10年
あっという間でした。
これからは、
もっと、早く過ぎるんだろうな






あー、
久しぶりに
天国のお父さんに会いたいなぁ
今の私を、
どう思うかな。


あの家出をした時みたいに

でかしたな!
やるじゃないか!

と言うかしら笑笑
懐かしい