今年も岡崎律子さんの命日がやってきた。
自分は2001年の秋にアニメ系コンテンツに参入し
2004年の春に亡くなっているので
わずかに3年半であり、
それから岡崎律子さんのいないアニメ・ソングを
およそ4倍の期間を過ごしたわけだが
それでも時々聴いている。
刷り込みではないけれど、
やはり参入初期に触れたものというのは
特別のものなのか?
もちろん、とっかかりとして
最初に触れたものというのは
その世界を知るための基準となると思う。
アップデートしていくうちに変わっていくことも
もちろんあると思う。
ただ、少なくとも自分のアニメ観というのは
2007年ごろでストップしている。
作品群、声優、アニソン、
それ以降は縮小再生産である。
2006年に異色作が多く、そこまでは
興味を持って受容していたが
以降、萌えアニメと音事協系キャスティングが闊歩し
新作に対する意欲が失せてしまう。
アニソンも然り
以降はアゲノリだけの楽曲に
「声優」という肩書きの音事協タレントか
エロゲ上がりのボーカリストばかりで
非マス=番外地を積極評価するべきサブカルの一翼でありながら
多様性も、個々の価値観による評価も失い
マイルドヤンキー的な大衆と
全く同じ選択なのである。
違うのは、「アニメ系」というレッテルがあるだけ。
いや、じゃあなぜ「アニメ」を選んだの?
そこに、大衆に対する不信や
アンチテーゼはないのか?
タイトル数は増えても
最近めっきりアニメ的世界はみみっちくなっている。
自分は2001年の秋にアニメ系コンテンツに参入し
2004年の春に亡くなっているので
わずかに3年半であり、
それから岡崎律子さんのいないアニメ・ソングを
およそ4倍の期間を過ごしたわけだが
それでも時々聴いている。
刷り込みではないけれど、
やはり参入初期に触れたものというのは
特別のものなのか?
もちろん、とっかかりとして
最初に触れたものというのは
その世界を知るための基準となると思う。
アップデートしていくうちに変わっていくことも
もちろんあると思う。
ただ、少なくとも自分のアニメ観というのは
2007年ごろでストップしている。
作品群、声優、アニソン、
それ以降は縮小再生産である。
2006年に異色作が多く、そこまでは
興味を持って受容していたが
以降、萌えアニメと音事協系キャスティングが闊歩し
新作に対する意欲が失せてしまう。
アニソンも然り
以降はアゲノリだけの楽曲に
「声優」という肩書きの音事協タレントか
エロゲ上がりのボーカリストばかりで
非マス=番外地を積極評価するべきサブカルの一翼でありながら
多様性も、個々の価値観による評価も失い
マイルドヤンキー的な大衆と
全く同じ選択なのである。
違うのは、「アニメ系」というレッテルがあるだけ。
いや、じゃあなぜ「アニメ」を選んだの?
そこに、大衆に対する不信や
アンチテーゼはないのか?
タイトル数は増えても
最近めっきりアニメ的世界はみみっちくなっている。