記録用として、アップしましたので、宜しかったら。

 

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こんばんは。

私たち人間は生まれながらにして、親も、生まれた国も、選ぶことができなかった。

そう、話す言葉も食べ物も、習慣も。

でも、大人になれば仕事を始めて、稼げるようになれば

それまでがんじがらめに己の身体を纏わりついていた鎖も、

意識をしないうちにはずれていくのだ。

 

ところが、彼らはどうだ?

親、選べない。私たちと同じ。住む国も選べない、私たちと同じだ。

でも、彼らは物のやりとりをする為に使われる手段の為に使われる、

紙や金属で出来たあの忌々しい、いやしい物を知らない。知らなくて済んでいる。

 

「雪になればよいのです。私たち雪のようにね。そうしたら姿を消すことが出来ます。

あなたの身体はもう、跡形もなくなるでしょう。」

 

(そうね、どうして今まで気がつかなかったのかな。他のどんな進んだテクノロジーよりも驚くべき出来事なのにね。)

と明子は思った。

 

明子の明は明るいの明、彼女の両親がお陽さまのような子になりますように、と、

願いをこめて名づけた名前だ。その名前とは裏腹に、明子は人前だなど表舞台に立つことをひどく嫌った。

それなのに学校の先生や友人は、名前の由来をしつこく聞いてくるのだ。明るいの明...。

友人の美奈子はそんなこと誰にも聞かれたりしないのにどうして私は...と納得がいかない。

 

その彼女たち雪(彼女たちは自分たちが人間に"雪"と呼ばれていることを認識しているのです)、

その雪になるには、なりたいといってもなれるものでもないらしい。

というのも、雪になりたがっている人間は、五万、いやその倍もいる。

全員を雪にさせるには時間も労力ももったいなさすぎる。

 

「雪さん、私のために紹介状を書いてくださらないかしら。私はもうこの世界にはうんざり。

親や友達の顔色をうかがって日々暮らすのなんて、もううんざり。

でも.あなたたちみたいに、ひとたび雪になれば山の頂に降ろうが、商店街のアーケードの屋根に振り落ちろうが、

誰が落ちてきたか、どこに居るのかなんて知られずにすむじゃない。

だから、私もあなたたちと同じ、雪になりたいのです。

宜しくお願いします!」

 

「まぁ。こんな切実な子は初めてだわ、私。わかりました。書きましょうとも、紹介状。

ただ…、今シーズンの採用締め切りはもうすぐだから間に合うといいけれど。

この冬にあなたが私たちと同じ雪になれますように…。」

 

一ヵ月後、明子が大学から帰ってくると、水色の封書が届いていた。

差出人の名前は書かれていない。明子はハサミを使わずに、

自分の人差し指を封筒とののりづけとの間に入りこませ、

左右に動かして封を切った。

 

 

拝啓

 

厳正なる審査の結果、貴殿を私たちの仲間にお迎えすることとなりました

当日はスマホ、印鑑を持参の上、港区芝公園4丁目2の8までお越しください。

                                       

                                       敬具

 

 

正月気分も抜けた一月の土曜日、明子は指示された住所google mapに入力した。

JRの浜松町駅で下車し、西へと眼の前の一本道をスマホ片手に進んでいく。

両脇にはオフィスビルが立ち並ぶ伸びた道を進んでいくと、

増上寺の向こうに東京タワーが見える。

増上寺は言わずとしれた徳川家の菩提寺。

 

(格式高い建造物の真裏に

こんな西洋のむきだしの鉄骨の電波塔の建設などと、よく大きな反対がおきなかったものだな、

今だったらSNSで大炎上でここに建てられることもなかっただろうな)

と明子はスマホの画面を見ながら目的地、港区芝公園4丁目2の8と進む。

すると、google mapの中の赤い印はもう明子の立っている眼の前であった。

そう、明子が今、たっているのは東京タワーの横の駐車場。

 

「え?集合場所は東京タワーだったの!?」

 

驚いているところに、同じくスマホ片手に不安げに辺りを見回す2人の男女。

年齢は明子より少し上の、大学を卒業した社会人一年生というぐらいか。

 

首から青いストラップのIDをさげた、スーツ姿の係りに声をかけられた。

 

「お待ちしておりました。さぁ、私のあとをついてきてください。

くれぐれも足元には気をつけてください。」

係りの男は迷うことなく真っ赤な階段を上り始めた。まさか、そのまさかだ。明子は思った。

(東京タワーの階段を上るなんてわかってたら、最初からここなんてこなかった!)

すると、その係りの男は振り返り、

「だったらちゃんと調べてから来るべきだったかと。

それに、キャンセル待ちの方も何人もいらしたのに。」

といわれてしまった。見透かされているのか…。

 

一方、二十代の男女2人は、嬉々として一段、一段、足取りも軽く上っていくのだった。

(私は雪になる為にここへ来たんだった。それにくらべたらこれくらいのこと…。)

そう自分に言い聞かせ、最後尾から何とかしてついに600段、所要時間は20分で

最後の一段を上り終えた。

 

係の男が言った。

 

「おつかれさまでございました。

実を申しますと、これは、その、皆さんが雪になられるわけですから、何といいましても高さに馴れていただかねばならない

ということでございました。でも雪によっては、もっともっと、この東京タワーの倍の高さ、いや、それ以上から降ってくるわけです。

…ま、頑張ってください。」

 

明子は自分が高さのことをまったく考えておらず、恥ずかしく思った。

 

それからまた係の男は次にこう言ってきた。

「ご連絡いたしましたとおり、ここで、スマホと印鑑をお預かりいたします。」

といい、ジッパー付のプラスチックの復路に、明子と2人の男女のスマホと印鑑を回収しはじめようとした。

 

「あの~、聞いてもよろしいでしょうか。」

と明子が尋ねた。

「どうぞ。」

と係の男は言った。

 

「何故、提出しなくてはならないのです?」

 

「印鑑は、この誓約書に捺印いただくためでございます。守秘義務の為でございます。

そして、スマホは、そう、これも守秘義務の為です。だってあなた方は、何でもかんでも常日頃から、

やれ電車が遅れただの、お昼はお気に入りの汁無し坦坦麺を食べた~、だの

のべつまくなしSNSにアップされますでしょ?

あなたがたのことですから、雪になったら、ちょー寒い、とかアップしかねないですからね!」

 

この男の説明を聞いている間に明子の唇は紫になり、両耳は冷えが酷く、

もはや自分の身体の一部では無い感覚になってきた。でも、眼は、不思議と眼は、よく機能するものだ。

 

「明子さん、橋詰明子さん!あなた、この期に及んで、今、あなたの両眼は

私のくるぶしの高さに視点を落としていましたね!? 

スマホの充電の為のコンセントを探していることくらい、お見通しです!」

 

明子の頬は凍りついていてすでに赤くなっていたが、そう男に指摘されてそれが更に濃く、

完熟トマトみたいになった。

 

「早く、早くスマホをこっちへ渡しなさい!」

 

明子はどうしても自分からはスマホを渡すことができなかった。しびれを切らした男が

明子から奪い取った。その時だ。

 

明子の身体は足元からドミノの駒が上がってくるように、息をつくひまもなく、真っ白になった。

そして完熟トマトのような頬も、両耳も、眼も、全部白くなった。

 

男が言った。

 

「私がしてさしあげられることはここまでです。

あとは、あなた方は自分で考えて舞い降りていくのです。

google mapにも、スマホにも頼らずに。」

 

明子は思った。

(私の手元にはもう、何も無い。

っていうか、もう、未来永劫、スマホとおさらばだ。)

 

明子は腹をくくった。

早速、寄ってきた風に声をかけて、自分を一緒に連れて行ってくれないか、と

交渉し始めたのだ。

 

                                                   ~終わり~