東京2畳半、鬱からの復活日記 -3ページ目

東京2畳半、鬱からの復活日記

色弱、夜盲症、手掌多汗症、うつ病(6年目)、せめて三重苦くらいに減らしてほしい。

理由あって会社を辞めた。
耳鳴りがひどくなり、これ以上続けたら立ち直れないと思ったからだ。
タイミング的には間違いなく良かった。
うつ状態は相変わらず重いけれど、あのまま続けていたら、他の仕事をする元気は、ずっと失われていたと思う。

さて、以前の会社はコールセンター。
大手、優良企業…と確かに外見だけではそうなのだが、実際は

「外部に情報を漏らさない」
「2chなどに書き込まない」
「勤め先も教えてはならない」
「場所も教えてはならない(家族にも)」

という、超絶ブラック。

なんだ?お前は、忍者か何かなのか?というほど。

つまり情報が漏れないようにガッチガチに奴隷で固めましたという職場。
そんな職場だったが、当初、同期が28名居た。
同期がこんなに居るのだから、大丈夫だろうと、その時は思った。

間違いだった。

4月に入社した同期の半分以上がいなくなった。

途中から新卒の正社員も研修に参加。
いったいどこの大学から来たのかと思ったら、偏差値50そこそこの大学。
うーん。
まぁ、この新人に関してもネットで名前を検索してみると、2chに実名書かれてたり、
しょうもない感じ。何か悪いことしてたんだろうね。

せめて、自分も大学さえ出ていたらなぁと心から思う。
コールセンターでの派遣や契約の立場は奴隷だったが、
正社員はまだ、そこそこ普通の扱いをされていた。

地元から大学に行くなら一流大学、そうでなければ

ノー○アジア大学(経法大)へ行け。

というシビアすぎる教育の元、生きてきたので、
自分の中で心がぽっきり折れて、地元の専門学校へ行ってからが、
奈落に落ちていった一歩目だったと思う。

弟はそんな俺を尻目に、明治大学へ行き(1浪)
両親は言いはしなかったが「これで親戚に顔向けできる」とご満悦だった。
結局、二浪した弟を両親は不出来だと、やっと気づいたようで、
しかし、その後ブラック企業に内定が出ると、
まだ、ネットもそれほど普及していない時期だったので、
「いい会社に入った。上場企業じゃないか。」とご満悦。

俺がそこはブラックではないのかと言うと
「そんなネットの便所の書き込みなんか信じられるか」

そんな弟は2年後、精神的に追い詰められて、地元に帰ってきた。
それから何年も公務員試験を受けているが、一次すら落ちる。



愛想がつきた俺は、うつ病が完治していなかったが実家を出て県外へ。
そもそも、かなり状態が良くなく、強い薬を飲んでいる所に父は

「お前くらいの歳になれば、親父の愚痴聞くくらい当たり前だろうが」

と、下らないストレスをぶつけてくるので、全く良くならない原因の大きな
大きな1つだったから。

俺は良くなっていかなければいけないし、新しい確かな明日を目指さなければいけない。
ストレス発散の道具ではないし、もしそうなら対価をくれ。
金をくれ。仕事をくれ。せめて、居場所をくれ。
できないなら離せ。俺は俺個人だ。