勝利の予感から一転して敗北の予感が頭を過ぎった。
9回表、2アウト、ランナー無し。
1点を追う広陵の攻撃。
甲子園を包む割れんばかりの歓声は佐賀北に対してのものだ。
その中で、最後のバッターボックスに立ったエース野村は、
笑顔だった。
今大会は、さまざまなタイプの投手がいた。
平成の怪物といわれるほどの抜きん出た投手がいたわけじゃないが、
エースナンバーを背負い、守りの要としてチームのピンチを何度も救い、
毎回の奪三振や最高球速を記録した。
それぞれのチームが、甲子園に賭ける強い思いを感じさせてくれた。
なかでも、母が広島出身ということもあり、広陵の野村投手に注目して一回戦から見続けてきた。
彼は、他の学校の投手にはない、不思議な魅力があった。
気迫でおすタイプではない。冷静で無表情かというと、そうでもない。
投球の間が独特でテンポが良く、次々と球を放る。
笑う手前の顔というか、飄々としていてつかみどころのない表情だ。
いつも自然体で、ピンチのときも焦りが顔に出たり顔をしかめたりすることがない。
三者三振にとっても、ガッツポーズはなく投げ終えたそのままの流れでベンチに走りはじめている。
逆に捕手の小林選手のほうがミットを高く上げ「よっしゃー!」という気持ちを表すことが多いと思う。
守る1回1回に気持ちを入れるというよりも、試合全体を通して集中が途切れていないと感じた。
「広陵はいいとこまでいくかもしれない。」 駒大苫小牧戦の後、そんな予感がした。
決勝戦。
8回裏まで4対0で広陵リード。たしかに勝利に近づいていた。
アウトをひとつ取り、あと5人打ち取れば試合は終わる。
広陵応援席もそう願っていただろう。
しかし、抑えられていた佐賀北打線が繋がり始める。
佐賀北のエース久保が執念のヒットで塁に出た。代打の新川も必死で繋げる。
辻に四球を与え、1アウト満塁。
佐賀北の応援に沸く甲子園。観客の熱気が広陵ナインにプレッシャーをかける。
カウントは1ストライク3ボール。
バッテリーは攻めの一球を選んだ。
腕を振って気持ちの込もった球がミットに向かって投げられる。
外角低めにズバッ。
ストライクかと思われたが判定はボール。
「まさか。」
球を受けた小林捕手は思わずミットで地面を叩く。
それまで集中を保っていた野村も動揺を隠せなかった。
その判定で完全に勝負の流れは佐賀北に移った。
その後、副島選手が甘く入った変化球を完璧に捉えて満塁ホームラン。
形勢逆転された。
野村は、気持ちを切り替え、続くバッター2人を三振にとって次の回に望みをつないだ。
どうしても同点にしたい広陵の攻撃。
内野ゴロで1アウトをとられた後、林がヒットで塁に出た。
犠打の間に広陵らしい積極的な走塁で3塁を狙ったが、惜しくもアウト。
悔しそうな顔でベンチに戻ってくる林を、中井監督は手を叩いて迎え入れた。
2アウト、ランナー無し。
歓声で激しく揺れる佐賀北の応援席。祈る広陵応援席の声援がかき消されるほどだ。
どんな選手でも冷静ではいられないだろう。
だが最後の打席に入る広陵のエース野村は笑顔を浮かべていた。
「自信を持って思い切り投げた。打たれたことは仕方ないし、最後は思い切り楽しもうと思った。」 / 中日新聞
バットは無常にも空を切り、三振。試合は終わった。
野村は、佐賀北の選手たちが久保投手に集まり抱き合って喜ぶ姿を、一瞬まぶしそうに見つめ、
仲間のいる広陵ベンチへ戻っていった。
試合後。
肩を落として泣く選手もいるなかで、広陵の中井監督が審判への不満を口にした。
「ストライク・ボールで、あれはないだろうというのが何球もあった。
もう真ん中しか投げられない。少しひどすぎるんじゃないか。負けた気がしない。
言っちゃいけないことは分かっている。でも今後の高校野球を考えたら…」 / 日刊スポーツ
私も、試合開始のサイレンから最後まで見続けて、
勝負の分かれ目は満塁ホームランを打たれたことではなく、押し出しの四球の判定にあったと思う。
佐賀北の優勝について認めないわけじゃない。
彼らの何度も見せた好守備、最後まであきらめない粘り強いプレーは
全国49校の頂点に立つにふさわしい清々しいものだった。
それは誰もが認めることだろう。
だが、広陵バッテリーが投じたあの一球には、高校三年間がつまっていた。
今までの、敗戦の悔しさ、練習のつらさ、ベンチ入り出来なかった3年生選手の夢、離れて暮らす家族の応援、
友人の支え、勝利への執念、すべてが野村に渾身の一球を投げさせた。
「あの1球は完ぺきにストライク。ウチでは審判の判定にどうこう言う教育はしていない。
その子が言ってくるんだから。キャッチャーは『どうしたらいいですか?』という顔をしていた。
子どもたちは命を懸けてやっている。審判の権限が強すぎる。高野連は考えてほしい。
これで辞めろといわれたら監督をやめる。」 / 日刊スポーツ
広陵、中井監督の言葉だ。
批判をしても判定が覆らないことは十分わかっている。
審判の判断は絶対という今までの慣わしからいって、批判をした監督が処分を受けるのは避けられないだろう。
高校野球は教育の場という。
だが果たして、胸に抱いた疑念を押し殺して負けを受け入れなさいというのが教育なんだろうか。
それが「青春の痛み」であり、「血と汗と涙の美学」というのか。
選手のがんばってきた姿とこの大会にかける強い思いを知っているからこそ、
選手たちの思いを汲み取ってほしいという中井監督の気持ちが、痛いほど伝わってきた。
模範となる教育者がしてはいけない発言としてただ処分するのではなく、
再び無念の涙を流させないための努力をしてほしい。
審判だって人間だからと一言では片付けられないほどの
たくさんの生徒の思いが集まる憧れの甲子園なのだから。
広陵ナインは、これから何度もこの試合を思い出すだろう。
いい球だった、と認められて初めて受け入れられる負けもあるんだと思う。
NHKの解説者が言った。
「佐賀北が優勝したけれど、広陵は敗者ではない。」
まさにその一言に尽きる。
中井監督は、辞任するべきではない。
あのときの準優勝があったから今の野村がいる、今の広陵がある、今の喜びがある、と
言えるような未来にするために、監督の使命は続いていると思う。
授賞式。
佐賀北の主将に優勝旗が渡されるのを、広陵の野村は口を真一文字に結んでまっすぐ見つめていた。
中井監督の指導で、自主性と思考力を培った広陵ナイン。
監督が熱中症で倒れるアクシデントを乗り越えて、自分たちの力で決勝戦まで勝ち進んだ。
その成長の証を感じさせる、たくましい横顔だった。
強豪校である広陵で、レギュラーに選ばれることだけでも大変だろう。
エースとしてチームを引っ張った野村祐輔投手。
2年前、母親の反対を押し切って、古豪の門を叩いた。入学後、慣れない寮生活に苦しんだ。
そうじ、洗濯などすべてを自分でしなければならず、テレビ、携帯電話は禁止。
部屋には勉強道具と野球用具と着替えだけという環境に、逃げ出したくなったこともあった。
しかし、全国準Vを示すメダルを胸に「ここに入ってよかった。悔いはないです」と言い切った。 / スポーツ報知
野村は、試合前日に「絶対勝ちます」とキッパリ。それだけの努力に裏付けられた自信があった。
まさかの逆転負けも、「甲子園の最後の試合ができるのは幸せ。」と顔を上げてさわやかに言った。
高校最後の夏は終わってしまったが、まだもう少しこのメンバーで試合が出来る。
国体での広陵ナインの勇姿、日米選抜野球に選ばれた野村投手の活躍にまた期待したい。