お久しぶりです。


僕は昨日と今日で、鹿児島へ行ってきました。


目的は、知覧へ行くこと。








この写真を見て、あなたは何を想うか。




あなたは知っているだろうか。


70年余り前、まだ成人にも満たない若者、少年が特攻(今でいう自爆攻撃)をして、アメリカと戦ったことを。



上の写真は、17歳、18歳の少年たち。
彼らはあと数時間で、生命を終えるんだ。



今から死ぬというのに、なんでこんな表情が出来る?





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僕は、昔、この特攻が行われていた知覧という基地に行くことが1つの夢だった。多分中学生の時から。



最初は、若い人たちが日本の為に生命をかけて亡くなったんだ!
そこへ行きたい!という気持ちからです。


ただ、それから5、6年が経ち、自分にも気持ちの変化や、教養などで考え方が変わった。


彼らと同じ年齢になり、自分なりに物事を知りたいと動いている今、僕は行くことに決めました。



行く前、ここにも書いてある通り、自分の考えを持つことが出来ず、歯がゆい気持ちでした。


そして、今日



零式艦上戦闘機(零戦)
※これは海から、当時不時着したものを引き上げた機体だそうです。






※決戦前夜、ここで集められた若者たちは、遺書の手紙や酒を酌み交わしたそうです。




手紙や遺品がそのままの状態で残っていて、特攻隊員の写真も全て残っていました。高知県出身の人も知覧だけで、6人。

そして全員では1036人もの若い生命が沖縄近くの艦隊に突撃することを目的に飛び立ったといいます。


ただ、写真には死ぬことを感じさせないような振る舞いをしてるものばかり。数時間後には飛び立つのに、楽しそうに寝転んで戦友と話しをしている人。


笑顔で映る人ばかり。それが建前なのか本音なのか。



語り部や経験者は、みんなお母さんやお父さんと泣きながら突撃したって言う。



でも、あの写真や手紙を見たら、本当なの?ってどうしても思ってしまう。




写真や風景と、語り部の言うことは反比例してるような、そんな感覚。






記念館では遺書である手紙をみて、泣いている人がたくさんいました。


ある1人のおばさんが僕に




「あなたと同じくらいの人が死んだのよ。
すごい悲惨だよね。
あなたはどう思う?」



そう言われた。

 

僕は言葉に詰まった。





ようやくでた言葉



「伝えて行くことが僕たちの使命です」




あとはよく覚えていない。



その答えで良かったのかさえわからない。



でも、彼らがどんな気持ちでとか、どんな風にとか、そんな心情を考えるのは多分、ナンセンスなことだと思う。
だって、一人一人の物語があるはずだから。


だから、勝手な解釈は必要無い。


伝えてくことが、自分に出来る唯一の方法。



彼らが生きたあの瞬間、あの写真に映る明るい顔。あの人たちが作ってくれた未来でもあるし、その未来を、僕たちは今として生きている。

伝えて行くこと。知ること。受け継いで行くこと。

みんなが戦争を知ることで、これからの日本を作る何かきっかけになればいい。



僕はこれからも言葉にして伝えて行く。


鎮田勝一朗。今を生きる‼️