今日は母の13回忌法要がありました。
親戚の方が集まってくれました。
お土産の品に、コースターをお渡ししました。
丸か四角か六角のコースターが、1組につき5枚、
渡ったはずです。
母への恩返しができて、ほっとしています。
これからの製作を、これから考えようと思います。
ヨシ!(◎o◎)b
僕の3・11を振り返って。
3・11から、1か月たちました。いまだに余震がありますが、その日のことを記録しておこうと思います。
3・11は金曜日で、クラフト学園の日でした。講習を受けた後、池袋で開催されている日本革工芸展を見終わって、駅に向かう時に地震に遭いました。
池袋の東武の入り口に着くと、ぐらぐらして、屋根にぱらぱら降る音を聞きました。もっと揺れてきたので、急いで、外に出てみたら、東武デパートがゆらゆら左右に揺れていました。
その後、たくさんの人がデパートから出てきて、芸術劇場前は、人だかりになりました。
しばらくして、また、余震もあったし、東武の下に、池袋駅の改札があるのですが、入っていく気もしなかったので、とりあえず、別の駅から電車に乗ろうと思い、1駅か2駅、歩いてから帰ろうと思いました。私鉄は、駅と駅の間が比較的短いので、それは可能な考えでした。
自宅は、池袋から西の方角にあります。池袋周辺は、大きなビルが多いので、大通りを歩くことにしました。ビルから少し離れたところを歩きたかったからです。
そして、要町から、小道を歩きました。要町は地下鉄有楽町線(その時は、東武東上線だと思っていました。)の駅で、僕が探しているのは、西武池袋線の駅でした。そして、なんとか江古田駅に着きましたが、電車はストップしていて、再開のめどが立っていない状況でした。それで、自宅まで歩くことにしました。幸い、江古田駅付近で、千川通りを見つけました。千川通りは、途中で新青梅街道と交差します。自宅までのルートがはっきりしました。
途中、ミスドで、ドーナツを食べました。それから、ジョナサンで、食事をとりました。歩いて帰る人も淡々と歩いていましたが、お店の方の仕事を全うする姿にも感心しました。
今時珍しいかもしれませんが、僕は携帯電話を持っていません。家族と連絡するすべがなく、すべては帰宅してからわかるところでしたが、ありがたいことに、千川通りには、電話ボックスが所々にありました。短い電話でしたが、自宅に電話をかけて、無事を知りました。
帰宅したのは、池袋から5時間くらいたった、夜の7時過ぎでした。
僕は、てっきり、東京近辺の地震だと思っていました。すると、テレビでは、福島沖が震源だと放送していました。
自分の体験は大したことではないという報道事実と、自分の実感とのギャップで、このまま、封印してしまおうかと思いましたが、1か月たった今、東京近辺の記録として残すことも無意味ではないと思い直し、記録しました。