Sonrisa de la Luz 輝の微笑
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Gracias por Exisitir  この世に生きてくれてありがとう

 

Gracais por Existir

 

ペルーで生活を初めて半年が経った頃から、私はサンポーニャと呼ばれるアンデス山脈地方で受け継がれている縦笛を吹かせて頂くようになりました。

 

サンポーニャを通して様々な素晴らしい経験をさせて頂きました。
今日はその中の一つの体験を書かせて頂きます。

 

 

2014年1月3日

ペルーでは新年のお休みなどはなく、年を越しても普段と変わらない日常があります。

その日はいつも通り仕事を終わらせて、サンポーニャの練習に向かいました。
お教室に着くと、その日はスペインから先生と私と一緒に笛を習っている子達の昔のお友達が遊びに来たということで、私は彼らの演奏を聞くことが多く、

素敵な癒しの時間になりました。

 

あと1曲練習したら今日は終わりにしようという時です。
パパチョ(先生)のもとに一本の電話が。

“友達が多いなぁ”

と思っていたら、パパチョが電話を切った途端

『今日は友人のお母さんのお葬式だそうだ。そのお葬式でサンポーニャを吹いてほしいと言っている。みんなで行こう。』

というではありませんか。

 

私の頭では思考停止。

 

何が起きているのか分らず、状況が呑み込めないでいると

 

『ハナコ。みんな優しい人たちだから、一緒に行こう。』

 

と誘ってくれます。
私は怖かったわけではなく、心配事が。

その時の私は、短パンにTシャツ。見ず知らずの外国人。

“いくら優しい人たちでも、受け入れてくれるのでしょうか?”

 

そんなことを考えていたのはこの一瞬。

周りのみんなhあ一斉に支度を済ませて外に出ていました。

私も急いで支度をして、吹く曲の順番を頭に入れて。

そんなことをしていると先程の心配はどこへやら。

私はの頭は“またサンポーニャを誰かのために吹くことができる”という高揚感でいっぱいに。

 

お葬式の場所に着くと、想像していたカトリックのお葬式ではなく(ペルーはスペインからの植民地時代の影響でカトリック)、アンデスの山地文化の村で行われる(と予想される)お葬式の様子で、一軒家の屋上にあるテラスにはコの字型にベンチが並べられ、テラス中央にはアンデスの儀式には欠かすことのできないメサ(テーブル)と呼ばれるお供え物が用意されていました。棺はコの字の空白部に。

 

来ている方々はみなさん普段着。

自分のTシャツに短パンが目立つことはありませんでした。

 

ただ、その中に2人、アンデスの民族衣装を着ている方々が。

一人は長老の男性、真っ赤なアンデスのかっくさんの柄が織り込まれたポンチョを着てベンチにどっしり座っています。

もう一人はインティライミ(クスコで行われる太陽のお祭り)で見ることのできる白い民族衣装を着た方です。

 

普段目にすることのない光景に圧倒されていると、お葬式が始まりました。

白い衣装を着た方がケチュア語(アンデス山脈文化で使われていた言語)なのか、スペイン語ではない言葉で歌い始めます。

その時に、やっとサンポーニャが必要な理由が分かりました。

不思議な光景に釘付けになっていると、パパチョが『準備して。』と一言。

 

“こんなお葬式の真っ最中に吹くんですか?”

 

と動揺しながらも、準備します。

 

白い衣装の男性が歌い終わると、彼がなくなった方に対して

『Gracais por Existir (この世に生きてくれてありがとう)』

『Gracias por compartir su tiempo con nosotros

(あなたの時間を私たちとシェアしてくれてありがとう)』

と感謝を伝え

『Baila, Baila mucho en proximo viaje tambien

(踊れ。次の旅でも踊るんだ)』

と締めくくります。

 

私の心は感動でいっぱいです。

『この世に存在してくれてありがとう』

なんて素敵な言葉でしょう。

 

素敵な言葉に胸がいっぱいの中、私たちの演奏の番が来ました。

 

心をこめて演奏します。

一生懸命、亡くなられた方が最後の時間をみんなと楽しく踊れるように。

すると、その場にいた数名が棺の周りに集まり、棺を持ちあげ始めました。

何が起こるのかと思ってみていると、棺を日本のお神輿のようにゆっさゆっさと揺らすではないですか。

中にご遺体がいらっしゃいます。

それにもかかわらず、激しく上下に揺すります。

同時に白い衣装の男性が 『ママチャ(お母さん)踊るんだ』

とはやし立てるかのように呼びかけます。

どうやら、お葬式は悲しみの場ではなく、

亡くなった方との最後の時間を踊って楽しむもの

のようです。

最後に心置きなくみんなと踊って次の旅もまた楽しめるように

 

 

すると一匹の蜂がメサ(お供え物のテーブル)へよたよたと近づいてきました。

逃げることもなく、ずっとメサの周りにいます。

“楽しそうにも見えるな” と見ていると、白い衣装の男性が、マラカスを鳴らしながら蜂に近づいて行きました。

“何をしているんだろう?” と見ていると、彼は

『ママチャが私たちと最後一緒に踊るために来たんだ』 『踊るんだ。踊るんだ。』

と蜂に対して叫び始めました。

その時、私は以前読んだ本に書いてあったことを思いだしました。

アンデスではお葬式などの場に、蜂や虫が現れると、そのお葬式のご遺体本人の魂が虫と共にやってきて、最後の時間をみんなと分かち合って次の旅へと着くのだと言います。

 

まさにその光景を目の当たりにしたのだと思いました。

そして、彼はその蜂に対して先程の 『Gracias por Existir (この世に生きてくれてありがとう)』

と心を込めて伝えていました。

 

なんて素敵な場面に私はいられているのだろう

 

と感動すると同時にこのような素敵な経験をさせて頂けていることに対しての感謝の気持ちで胸がいっぱいになりました。

彼らの 『魂に対する愛情の大きさと敬いの心の大きさ』 に心打たれ、

その場所をすっぽりと包み込んでいる彼らのお互いへの愛情こそが

私たちを包んでいる宇宙そのものであるのだと感じました。

 

 

私は数年前、大好きな友人がなくなった時、

彼の遺影の前では「安らかに眠ってね」と言いながら、

心の中では 

「なんで?どうして死ななきゃならなかったの?あんなに一緒に夢を語ってたのにどうして?」

と何度も何度も繰り返したのを今でも覚えています。

しかし、今回の経験をさせて頂いたことで、

彼にどうしても伝えたいことができました。

 

『この世に生きて、同じ時間を一緒に過ごしてくれてありがとう』

あなたが一番悔しく思っているはず。
でも、あなたは私が悲しむことは望んでいない。

私があなただったらそう思うように。

 

あんなに 「なんで?なんで?」 と駄々っ子になってしまったこと、

この場を借りて謝ります。

ごめんなさい

 

 

この世の中は全てのできごとに意味があり、

全ての存在に意味があることを再度痛感したこの経験を、私は一生忘れません。

 

そして、これからも、『Gracias por Exisitir』 を合言葉に、

世界が愛で満たされるように

まずは 自分の心を愛で満たし

周りの人を愛で満たせるようになりたいと思いました

 

みなさん、本当にこの世に生まれてきてくださってありがとうございます。

みなさんに出会えて同じ時間を過ごせるこの奇跡に感謝します。

 

Gracais por Existir. Gracias por compartir su tiempo conmigo!!
この世に生きて、私とあなたの時間をシェアしてくれてありがとう

 

 

by 旅人ヨギーニ 華子

生まれてきてくれてありがとう‼

 

本日は朝の気持がいい時間に友人と公園でヨガをやらせて頂きました。
私がヨガをお伝えし始めてから月に2度程のペースで一緒にヨガをやってくれる彼、
実は今日が誕生日‼‼

 

「誕生日を気持ちよくヨガでスタートさせたかった‼」

 

と嬉しい一言。
彼とはいつも色々なテーマの話をなんでもできる仲で、大切な仲間です。

 

 

そんな彼と誕生日ヨガを終え、語り、お昼を食べて帰り道。

 

ペルーでのとてもとても大切な経験を一つ思いだし、

今日のこの日を一緒に過ごして、

大切なことを思いださせてくれた彼への感謝で胸がいっぱいになりました。

 

 

思いだしたのはこれ‼

 

『Gracias por existir. Gracias por compartir tu tiempo con nosotros. 』

『この世にいてくれてありがとう。

私たちとあなたの時間をシェアしてくれてありがとう

 

私がサンポーニャという南米アンデスの地域に伝わる縦笛を吹き始めて数カ月が経った頃、

アンデス伝統のお葬式の場で、

笛の演奏をするという経験をさせて頂きました。

(この経験は次に書かせて頂きます)

 

そのお葬式は私が日本で経験したものとは全く異なるものでした。

 

一番の違いは亡くなった方へ贈る言葉。

 

何度も、何度も、涙を流しながら

 

『一緒の時代に生きてくれてありがとう‼‼』

 

『一緒の時間を過ごしてくれてありがとう‼‼』

 

『次の旅も楽しむんだぞ‼‼』

 

 

そう叫ぶのです。

 

 

私は彼らの言葉から、彼ら自身から大切なメッセージを貰いました。

 

 

私たちの一人一人が生まれてくることが奇跡で、

 

また、同じ時代に生まれてくることも奇跡で、

 

一人一人の決断によって人生が交差することも奇跡で、

 

なにかが通って一緒の瞬間を共有できることも奇跡で、

 

何一つとして“当たり前”なことはないということ。

 

そして、一緒の時、空間、思想、様々なものを共有できること自体が

すでに奇跡であるということ。

 

 

つまり、今この瞬間を生きる私たち自身が、奇跡の結晶なのです。

 

様々な奇跡のより集めた今を奇跡である私たちが生きている。

 

 

そう思うと、今を一生懸命生きないなんてもったいないことできません‼‼

 

全力で走りたくなってきます‼

 

 

そんな大切なことを思いださせてもらった素敵な一日に感謝します。

 

 

そして、大切なことを思いださせてくれた彼へ、

 

この時代に生まれてきてくれてありがとう‼

あなたの大切な時間を一緒にシェアしてくれてありがとう‼‼

 

これからもたくさん素敵な時間があなたにありますように‼

 

 

 

皆様の笑顔があふれますように‼

 

by 旅人・ヨギーニ 華子

私の居場所は、私がいるところ

 

ペルーでの生活が始まって数週間が経ち、ペルーという国にも慣れてきた頃、

『ここが自分の居場所だ』

と思っている自分に気が付きました。

 

13歳の時にパラグアイで感じた時から自分の中で、

“日本ではない”

というなにかが私の中に住み着いていたのでしょう。

 

ペルーの人々も大好きで、スペイン語という武器も最大限に使えて、

何よりも自分が望むものに向かって行動を起こせば、

その通りにものごとが運んでくれていたことで、

自分に対する自信もついていたように思います。

 

全ての条件がそろい、とても居心地が良かったことを覚えています。

 

 

 

最近ふとこんなことを思いました。

『今はどこであっても自分のいる場所が私の居場所』

だと思えている。

 

なんでだろう??

自分に問います。

 

やっぱり自分の中にある幸せと豊かさを見つけることができたから

なのだろうと思います。

 

 

今この瞬間の自分を受け入れ、

今この瞬間にここにいられる自分に感謝して、

今この瞬間にできることを全力でやって、

今この瞬間を味わえる幸せに触れて、

 

 

自分の中を感じれば感じるほど

見える世界はキラキラと輝きを増し

 

自分の目と意識というフィルターが磨かれれば磨かれるほど

=自分が見ようとする世界が磨かれるほど

自分が見つめる世界が色鮮やかに

より美しく見えるようになってくる。

 

 

でも、世界は全く変わっていないという事実。

 

世界は本当はとっても美しい

 

でもそれを見ようとするかしないかの違い。

 

私たちの見方が変われば、

 

足元の苔たちも小さな幸せをいつでもくれている。

 

その小さな幸せを集められるようになれば、

 

世界中どこで何をしていても、

 

私が私でいる限り、

 

私がいる場所がわたしの居場所になる。

 

 

旅がそれを教えてくれて、

ヨガがそのことをより強く実感させてくれました。

 

そんなヨガをこれからも皆さんと一緒にできたらいいなぁと思っています。

 

by 旅人・ヨギーニ 華子