先日、わたしは新しく安いボールペンを買いました。そしてそれを使い、いざ執筆に勤しもうと思い、筆を走らせました。しかし、一文字目から筆先に取っ掛かりを感じ、スムーズに文字を書けなかったのです。無理強いペンに力を込めるも、インクが滲んだり出なかったりと安定しません。そしてあろうことか力を込め過ぎて原稿を破ってしまったのです。わたしは苛立ち混じりに嘆きました。
「あぁ、なんて使いづらいボールペンなんだ!」
わたしは後悔し、ボールペンをゴミ箱にダンクシュートし思いました。「100円ショップの3本セットなんて買うからこんな事になったのだ。ケチな事をしなければ良かった。」しかし、どんなにボールペンという物に当たろうと破れた原稿は帰ってきません。
わたしは平静を取り戻そうと、コーヒーを煎れ一息入れました。そしてわたしは、ゴミ箱の中で憐れに横たわる何の罪もないボールペンを見つめ呟きました。
「使いにくいボールペン。」
そう言ってから、わたしはコーヒーに手を伸ばし唇に運ぼうとしました。しかしその時、わたしの内に一つの疑問が湧き出しました。
「ん?この場合、使いづらいと使いにくい?どっちを使うんだ?」
わたしは、日常で平然と使ってきたこの言葉のニュアンスの違いに意識を回したことがなかったのです。三十数年間生きてきたというのにお恥ずかしい話である。
わたしはさっそく辞書でこの違いについて調べてみた。
当たり前だが、この二つは漢字が違う。なので漢字から違いを探ってみた。「~づらい」は「~辛い」、「~にくい」は「~難い」と書く。
「辛い(形容詞)」は「その状況に身を置くことが苦痛に感じられて、 出来ることなら自分としてはその状態から離れたい 状態」とある。
「難い(形容詞)」は「何らかの対処を必要とする事柄について、 容易に解決 (克服) することができない状態」と記されている。
漢字だけの意味合いを噛み砕くと、どうやら「辛い」は自分の気持ちが入った「主観的」なニュアンスで、「難い」は「客観的」に見て対処が容易でない事柄を表すようだ。
これらを考慮して、いくつか例をあげてみる。
「~づらい(主観的)」
(1)個人的な意見だが、わたしの直属の上司がメンヘラ過ぎて話しづらい。
(2)個人的な味覚の問題だが、辛いものがとても苦手なので、蒙古タンメンの北極が食べづらい。(というか、客観的でも食べづらい)
(3)個人的に、わたしは柔術をやっていたので耳の形が変形している。なので、この最先端のフィット感を売りにしているBluetoothイヤホンが装着しづらい。
「~にくい(客観的)」
(A)世間一般的、客観的な目線で見ても、この車はフォルムが変なので運転しにくい。
(B)誰がどう見ても、このB級オカルト映画は荒唐無稽で理解しにくい。
(C)常識的に考えて、真っ白なTシャツに付着した醤油の跡は洗っても洗っても落としにくい。
「主観」か「客観」かで考えると、とても分かりやすく理解できた。この事に気づかせてくれたゴミ箱の中のボールペンの君に感謝したい。ありがとう。