6月23日

今日は私の55回目の誕生日だ。




時は1969年

私は東京都府中市の産婦人科で産声を上げた赤ちゃん泣き


父は東京消防庁の消防士として、

都心の消防署に勤務消防車


父と結婚して上京した母。


田舎から出てきた母は、

都会暮らしは珍しいことが多かったびっくり

外国人が普通にその辺歩いているのが

一番びっくりしたと言っていた。



両親は府中市のとなり、

国分寺市のボロアパートに住んでいた。


私が生まれる半年前に府中三億円事件が発生し、

事件現場の府中刑務所の裏にあった

ボロアパートの2階から、身重の母は

たくさんの警察官が捜査しているのを

眺めて過ごしていたらしい。




その後両親は、

故郷、岡山に戻ってくることになる。


なぜ父が東京で消防士になったのか?


いろいろ謎の部分がある。


父が生きていた時に、

もっと詳しく聞いときゃ良かったえー

その時はあんまり興味も無かったし。


母もすでに寝たきりの生活。

頭もしっかりしてないから聞いても分からない。







先日母の施設に面会に行った時、

「6月23日は何の日か分かる?


問うてみたが、分からんと言う。


自分がお腹を痛めて私を産んだ日。


母と私が一番頑張った日を

母はもう忘れてしまったようだ。


一抹の寂しさを感じるも、

仕方がないとあきらめる。






今、健康で元気に誕生日を迎えられたのも

そんな両親のおかげ。


感謝の気持ちを伝えたいが、

父はもうこの世の人ではない。

母も私のことを忘れつつある。


親孝行したい時に親はなし


そんな言葉が頭の中をよぎった。



でも母はまだ生きている。

穏やかな表情で車椅子にもたれている。



一方通行の親孝行かもしれないけど、

これからの人生、

私は母に精一杯寄り添ってやりたいと思う。